第27話 ショック

 友達であるはずの島谷が放った、不意打ちの縦拳たてけん

 それは完璧に信吾の虚を衝くものだった。

 はずなのに、


「普通、今のかわす?」


 島谷の口から、呆れた声が漏れる。


 その名のとおり、親指を上にすることで、拳を縦にした状態でパンチを放つ縦拳。

 島谷はその特性を活かして、余すことなく拳が腰椎を捉える形で殴りつけることで、一撃で終わらせようとした。

 にもかかわらず、信吾は身を翻しながら飛び下がることで難なくかわしたみせた。

 顔には出していないが、不意打ちとしては完璧だった分、島谷はそれなり以上にショックを受けていた。


 だが、例によって眉一つ動いていない信吾が受けたショックは、島谷とは比較にならないほどに大きかった。

 友達だと思っていた島谷が、下手をすると下半身が不随になってしまうほどに危険な一撃を、不意打ちで放ってきた。

 そのショックは当然、信吾にとって大きなものだったが、本当にショックを受けたのはそこではなかった。


 


 完全に油断していたはずなのに、慮外の不意打ちだったのに、


 自分から友達になろうと言った相手のことを、心の底では信じ切れていなかった。心の底では〈夜刀〉の残党かもしれないと思っていた。そうでなければ、島谷の不意打ちをことに説明がつかなかった。

 その事実が、信吾にとっては何よりも大きなショックだった。

 もっとも、それによって受けたショックすらもいつもの無表情で塗り潰しているため、島谷は信吾の心中に気づきもせずに、話しかけてくる。


「さすがに、僕の正体はもう見当がついてるよね?」

「〈夜刀〉の用心棒……ですか」

「正解」


 答えながら、島谷は口の端を吊り上げる。

 今の彼からは弱々しさの欠片も感じられず、いっそ禍々しさすら感じるほどに危険な香りを醸し出していた。


 相対する者に、一目見ただけで只者ではないと思わせる〝凄み〟――それを身につけてようやく〈夜刀〉の用心棒として一人前だと、組織内では言われている。

 用心棒として「こいつの前で下手なことをしたら、逆にこちらが殺される」と思わせるほどの〝凄み〟を身につけることができれば、それだけで大きな抑止力になる。ひいては、戦闘という危険リスクを負わずして依頼主クライアントを護ることができる。


 その〝凄み〟を、島谷は完全に消し去り、信吾以上に学校生活に溶け込んでみせた。

 そんな真似ができる時点で、島谷の用心棒としての実力が、一人前を通り越して一流であることは火を見るよりも明らかだった。


「〈夜刀〉での僕の呼び名は〝ワイ〟。梶原くん……いや〝S〟。君と同じ〈夜刀〉に拾われた憐れな子供ってわけさ」


 その話を聞いてなお眉一つしかめることができない自分に、もどかしさすら覚える信吾を尻目に、島谷は得意げに続ける。


「けど、勘違いしないでほしい。『憐れな』と言ったのはあくまでも君も含めた他の連中の話であって、僕自身は自分のことをこれっぽっちも憐れだとは思ってない。むしろ〈夜刀〉には、拾ってくれて感謝してるくらいなんだ」

「感謝?」


 思わず聞き返してしまった信吾に、島谷は首肯を返す。


「そうさ。僕はね、人を壊すことが大好きなんだ。だから、人を壊す技術を教えてくれた〈夜刀〉には感謝してるし、実際に相手を壊す訓練をさせてくれる〈夜刀〉という組織そのものが、僕にとってはこの遊園地よりも楽しいテーマパークだったってわけさ」


 自分と同じように〈夜刀〉に拾われ、用心棒になるための訓練を強制された子供たちを喜々として壊していたことを暗に自白しながら、島谷は続ける。


「〝S〟、君とは訓練施設が違っていたから顔を合わせる機会はなかったけど、君の勇名は嫌というほど僕の耳に届いたよ。僕と同い年のくせに、僕よりも早く用心棒として認められてる君のことは、はっきり言って気にくわなかった。同い年で僕より有能な人間は見たことがなかったからね」


 そう言って、島谷は肩をすくめる。その仕草ほどは、ゆとりの欠片もない表情で。


「このままじゃ僕がどれだけ才能を示しても、君が上にいる限りは軽く見られてしまう。それが許せなかったから、僕は必死に努力して……やっと僕も用心棒として認められたと思ったら、君はもう〈夜刀〉内でも屈指の実力者として認められて……」


 ゆとりのなかった表情が、少しずつ、少しずつ、屈辱と怒りに彩られていく。


「挙句の果てに脱走して、〈夜刀〉の情報を警察に売って、本部を潰した……用心棒として実力を認められた僕の、本部への異動が決まった矢先に! わかるかい!? 〈夜刀〉の用心棒になって、思うがままに人を壊せるはずだった僕の輝かしい未来を! 君が台無しにしたんだ!」


 憤怒をぶつけられた信吾の内心は苦くて苦くて仕方ないはずなのに、表情はやはり限りなく無に近いままだった。

 無表情無感情な信吾の前では怒り狂うのも馬鹿らしいと思ったのか、ため息と呼ぶにはあまりにも深く、長い息を吐いてから、島谷は落ち着きを取り戻した声音で言葉をつぐ。


「だから僕は、君に死の制裁を与えるために人員を集めていたの話に乗り、按樹高校に潜入した。まさか授業開始初日に馬脚を現すとは思わなかったし、思ったよりも君がポンコツすぎて、本当にあの〝S〟かと疑ったりもしたけど……」


 島谷は縦に握り込んだ拳を鳩尾の高さまで持ち上げ、左拳と左脚を前に出し、右拳を鳩尾の前に添える。日本拳法における、半身立ちの構えに酷似した構えだった。


「さっきのをかわされた以上は認めるしかないね。君は、僕にとって目の上のたんこぶであり、僕の輝かしい未来を台無しにした、あの〝S〟だってね」


 さあ、そろそろ始めよう――そんな目で睨んでくる島谷を前に、信吾は瞑目する。

 島谷が〈夜刀〉の残党だったことに対するショックも、心の底では自分が島谷のことを信じ切れていなかったことに対するショックも、正直まだ尾を引いている。

〈夜刀〉に拾われたことを感謝しているとはいえ、自分と同じ境遇の相手と拳を交えることに、躊躇がないと言えば嘘になる。


 だけど、


(島谷くんの言うが誰なのかはわかりませんが、人員を集めているという話が本当ならば、この状況で假屋さんにだけ累が及んでいないとは考えにくい。だから……)


 信吾は、島谷と同じように左拳と左脚を前に出して構える。

 島谷の半身立ちの構えよりも構える拳の位置が高い、左自然体の構えで。


「島谷くん……申し訳ありませんが、可及的速やかに制圧させてもらいます」


 瞬間、信吾の〝圧〟が爆発的に高まる。

 ぞわり――と、島谷の背筋に悪寒が駆け巡る。


 信吾は与り知らない話だが、授業開始初日、島谷は信吾の行動をそれとなく見張っていったところ視線を気取られてしまい、その際に信吾が発した〝圧〟を前に、不覚にも足が竦んでしまった。

 今度は足こそ竦まなかったものの、悪寒を感じたこと自体に屈辱を覚えた島谷は、表情に憤怒を舞い戻らせることで悪寒を消し飛ばした。


「前から思ってたけどさ……君、天然で人を煽るところよね!」


 半身立ちの構えをそのままに後ろ足で床を蹴り、間合いに入ると同時に、最短最速で左の縦拳を放つ。

 乳頭の間にある正中線の急所一つ――壇中だんちゅうに迫る拳を、信吾は上体を後ろに反らすだけでかわした。


 当然、島谷の攻撃がそれだけで終わるはずもなく、縦拳を放った際に前に出した左脚をそのまま軸足にして股間を蹴り上げにかかる、

 信吾は半身になって金的蹴りを回避するも、こちらの動きを見てすぐさま蹴り足を戻した島谷が、腋下の急所――稲妻いなずま目がけてフック気味の縦拳を放ってくる。

 信吾はそれを肘で打ち落とそうとするも、即応した島谷は途中で縦拳を止めたことで、互いの攻撃が不発に終わってしまう。


 的確に急所を狙う技術に、こちらの動きを見てから対応できる反応の早さ。

 島谷の実力は当初の見立てどおり、〈夜刀〉の用心棒の中でも一流と呼べる水準にまで達していた。


 だが、所詮は一流

〈夜刀〉でもトップクラスの実力を有する信吾の敵ではなかった。


「ぐふッ!?」


 攻撃の繋ぎ目を狙い澄ました信吾の左ジャブが、島谷の鼻っ柱を捉える。

 負けじと反撃に出ようとした島谷の出鼻を挫くように、二撃、三撃と、ジャブが顔面に打ち込まれていく。島谷の反応速度をもってしても、かわせないほどの拳速で。


「この程度……!」


 牽制ジャブゆえに一撃が軽く、これくらいなら耐えられると判断した島谷がダメージ覚悟で前に踏み込むも、


「ッ!?」


 そうくることはわかっていたと言わんばかりに、信吾は右の大砲ストレートを顔面に叩き込み、島谷の上体を盛大に仰け反らせた。

 島谷は飛びかけた意識を歯を食いしばることで繋ぎ止めるも、駄目押しのハイキックが左側頭部に直撃し、今度こそ完璧に意識を刈り取られてしまう。

 信吾は、蹴られた方向に倒れようとしていた島谷を抱き止め、その場にそっと寝かせた。


 心の奥底では島谷のことを信じ切れていなかったことに対する罪悪感もある。

 だがそれ以上に、騙されていたとはいえ、友達だと思っていた相手を不必要に傷つけるような真似はしたくない――それが信吾の本心だった。


 このまま島谷を捨て置くのは後ろ髪を引かれるものがあるが、今は莉花のことが心配で心配でたまらないので、すぐさまT字路まで戻り、莉花が進んだルートを駆け抜けていく。

 島谷がいたルートと同様、ただ曲がりくねっているだけの一本道の廊下が続いているだけで、仕掛けの一つも作動しない。

 まるで、信吾を誘い込んでいるかのように。


 しばらく進んだところで、行く手を塞ぐようにして設置された立て札を発見し、足を止める。

 立て札には、矢印で左に進むよう記されているだけだった。

 矢印の先には五メートル程度の長さしかない廊下が延びており、突き当たりには錆びているように見えるよう加工された、両開きの鉄扉てっぴが設けられていた。

 廊下の隅には、関係者以外立ち入り禁止を意味する「STAFF ONLY」の札が吊り下げられたチェーンスタンドが打ち捨てられていた。


 最早、誘い込んでいるかのようどころの話ではない。

 間違いなくこちらのことを誘い込んでいると確信した信吾は、そうとわかってなお微塵の躊躇もなく鉄扉を開く。


 その先にあったのは、これまでのお化け屋敷然とした洋館の廊下とは正反対の、外連味けれんみの欠片もない事務所然とした廊下だった。

 その終点には、同じく事務所然としたアルミタイプのスイングドアが設けられていた。


 島谷の言っていたかどうかはわからない。

 だが間違いなく、あのドアの向こうに、自分のことを恨んでいる〈夜刀〉の人間がいる。


 確信にも似た予感を抱きながら廊下を進み、スイングドアを開けると、お化けやゾンビ、血塗れの死体などなど、コミカルな物からリアルな物まで揃えた無数の人形が信吾を出迎えた。

 もっとも人形それらは全て壁際に整然と並べられており、部屋の規模もバスケットボールのコート一面分に匹敵するほどに大きいため、手狭どころかむしろ開放感を覚えるほどだった。


 だからこそ、否が応でも目についてしまった。

 気を失っているのか、部屋の奥で床に倒れ伏したまま動かない、莉花の姿と、


 眼鏡に白衣という如何にもな風体ふうていをしている、按樹高校の化学教師――志倉の姿が。

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