第26話 クロ

 お化け屋敷のスタッフと思しき青年に接触を試みた恵は、


「あの~すみませ~ん。お化け屋敷、まだ閉まってるんですか?」


 一時閉館していることを知っているような口振りで訊ねてみる。

 すると青年は、信吾と莉花をお化け屋敷に案内した際に壁際に追いやった、一時閉館の立て札を恵の前に引っ張り出しながら平謝りする。


「申し訳ございません。代わりの機材を搬入した際にどかした立て札を、元に戻すのを忘れていました。ただ今機材の入れ替えをおこなっている最中でして、誠に申し訳ありませんが、わたくしどももいつ復旧するかまではわからない状況にありまして……」


 話は変わるが、恵はお化け屋敷を見張っている間、青年に気取られないよう死角になる位置取りをしていた。

 ゆえに青年は、信吾たちをお化け屋敷に案内していた場面を恵に見られていたことに気づいてすらいなかった。


 それを知らずに平然と嘘をついてきた時点で、クロは黒でも真っ黒だと断じた恵は、懐から警察手帳を取り出してニンマリと笑う。


「あれれ~? おかしいな~? さっきの高校生のカップルは中に入れてあげてたのに、どうしてわたしはダメなのかな~? どうしてまだ復旧していないことになってるのかな~? そのあたりについて、ちょ~っと詳しく聞かせてくれるとお姉さん嬉しいんだけど~?」


 警察手帳を前にしたせいか、露骨に煽られているにもかかわらず、青年はただただ口ごもるばかりだった。


(この感じ、〈夜刀〉の用心棒候補か、下部組織の構成員といったところでしょうね。捜査一課の元エースわたしのことも知らないみたいだし)


 サングラスの下の目を細め、抜かりなく目の前の青年を分析しながら、あえて無言で返事がくるのを待つ。


 ややあって、


「〝上〟の人間に相談――」

「なんてさせると思う?」


 笑顔で圧をかける恵に、青年は絞り出すような声で答える。


「〝上〟の……人間のところに……案内します……」

「うん。よろしく~」

「……ついて来てください」


 軽い調子で答える恵とは対照的に、青年は緊張した面持ちできびすを返し、お化け屋敷の中に入っていく。

 恵はその後をついて行きながら、ため息を噛み殺した。


 正直な話、恵個人としてはこんなまどろっこしい真似なんてせずに、強行突入して信吾の安否を確認したいところだった。

 もし莉花が〈夜刀〉の関係者だった場合、信吾が彼女のことを信じ切っている以上、彼といえども無事では済まないかもしれない。

 莉花が潔白シロだった場合、今回の騒動に巻き込まれた形になるので、それはそれで心配というもの。

 一刻も早く、二人のもとに駆けつけたくて仕方なかった。


 だが、ここまでひたすら秘密裏に動いていた者たちを相手に、下手に事を荒立てることがどれほど危険な行為であるかは、捜査一課の刑事として培った経験から恵は熟知している。

 騒ぎが大きくなってしまったせいで相手が手段を選ばなくなり、テロ紛いの行為に走る可能性もないとは言い切れない。

 実際〈夜刀〉の用心棒が、警察に追われていた依頼主クライアントを護るためにあえて民間人を巻き込み、その混乱に乗じて逃げた事例もある。

 園内に人はあまり多くないが――今にして思えば、人が少ない遊園地だからこそ利用されたのかもしれない――近くに駅がある園外はその限りではない。

 相手の出方如何によっては、最悪、大勢の死傷者が出る恐れがある。

 一人の刑事として、そんな危険リスクを負ってまで強行突入するなんて真似は、やるわけにはいかなかった。


 だから今は、相手の出方を探るためにも、前を行く青年に大人しくついて行くのが最善――そう自分に言い聞かせることで逸る気持ちを抑えながら、恵は青年の後をついて行く。

〝上〟の人間のところに案内するという言葉に嘘はないのか、それともそう思わせて罠に嵌めるつもりなのか、青年はスタッフ専用の通路に恵を案内する。

 そのまま道なりに進んでいき、突き当たりの扉に辿り着いたところで青年は足を止めた。


 扉を三回ノックしてから、「重田しげたさん。お客様をお連れしました」と、扉の向こうにいるであろう〝上〟の人間に伝える青年を見て、恵は(はいはい、符牒ふちょう符牒)と心の中で嘆息する。


「……通してください」


 短くない沈黙を挟み、三~四〇代くらいの男の声が返ってくる。

 許しを得たところで、青年は扉を押し開いて部屋の中に入り、恵もそれに続く。

 扉の向こう側はどうやらスタッフの休憩室になっているらしく、ソファにテーブル、スタンド式の灰皿、全ての飲み物が無料になっている自販機が設置されていた。


 室内には、スタッフ用のユニフォームに身を包んだ男女が三人、思い思いの場所に立っていた。

 そして、〝上〟の人間――重田と思われるビジネススーツに身を包んだ男が、一人ソファに身を沈めていた。


(わたしを案内した子も含めて、計五人か……)


 と、恵が室内にいる人間の数を確認していた最中さなかのことだった。

 青年が押し開いたことで、入口のすぐ隣の壁を隠していた扉が、ゆっくりと閉まっていき……その後ろに隠れていた、例によってスタッフ用のユニフォームに身を包んだ女が姿を現す。

 女は音もなく恵の背後に近づき、無防備を晒す延髄目がけて、メリケンサックを嵌めた右拳を振り抜いた。


 転瞬――


 まるで背中に目がついているかのように、恵は身を沈めて凶拳をかわす。

 唐突な落差に置いてけぼりにされた帽子が代わりに殴られる中、恵はジャケットの内側に吊り下げていた特殊警棒を右手で掴み、円を描くようにして下から思い切り振り上げる。その遠心力によって振り出され、九〇センチにまで伸びた警棒が女の顎を跳ね上げた。


 一撃で昏倒させられた女が床に仰臥する中、帽子が脱げたことで解放された恵の黒髪が、思い出したようにハラリと垂れ下がっていく。

 不意打ちを仕掛けた側がこうも完璧に返り討ちにされるとは思ってなかったのか、ユニフォームの男女が狼狽える中、唯一動じてなかった重田に、恵は警棒の先を向ける。


「随分、古典的な手を使ってくれるじゃない」

「そう言われる程度には使える手ですからね。まあ、が捜査一課の元エース殿だと事前にわかっていれば、もう少しマシなお持てなしができたのですが……あなたがた警察に悟られないよう、仲間内で共有する情報を最低限に留めていたのが裏目に出ましたねぇ」


 恵の正体を聞いたユニフォームの男女がさらに狼狽える中、重田はジャケットを脱ぎ捨て、ネクタイを緩めながら鷹揚に立ち上がる。

 ワイシャツ越しからでもわかる屈強な肉体もそうだが、雰囲気からして他の者たちとは明らかに違う重田を見て、恵は確信する。


(やっぱり重田こいつ、〈夜刀〉の用心棒ね。ま、〝上〟の人間と聞いた時点で、そんな予感はしてたけど……ちょ~っとオマケが多いわね)


〈夜刀〉の用心棒が飛び抜けて腕が立つというだけで目立っていないが、用心棒かれらをサポートする組織の構成員も戦闘訓練を施されているため、その実力は一様にして素人とは一線を画している。

 現場慣れしていないのか、狼狽が顔に出たりとが見え隠れしているものの、だからといって甘く見ていたら、手痛いしっぺ返し程度では済まないだろう。


(そこに〈夜刀〉の用心棒まで加わるのは、リハビリの相手としては、ちょ~っとハードだけど……)


 後顧の憂いを断ち、一刻も早く信吾のもとに駆けつけるためにも、今は泣き言を頭の隅に追いやり、恵はあえて自信満々に啖呵を切る。


「御託はいいから、さっさとかかってきなさい。お姉さんが胸を貸してあげるから」

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