第24話 邂逅・2

『ここのお化け屋敷、前の組が入ってから五分経たないと次の組は入れないルールになってて尾行はできそうにないから、わたしは外で待つことにするわ』


 莉花と一緒にお化け屋敷に足を踏み入れる中、信吾は一度歯を打ち鳴らして恵に了解を伝える。


『信吾くん、怖かったらいつでも悲鳴を上げていいからね。お姉さん、信吾くんがどんな声で鳴くのか興味あるし』


 という戯言たわごとは、符牒サイン一つ返さず無視スルーした。

 もしかしたら、お化け屋敷という閉鎖空間で〈夜刀〉の残党が仕掛けてくることを危惧して、助けが必要なら声を上げてでも呼べと言っているのかもしれないが、正直今のは鬱陶しさの方がまさっていた。


 館内のスタッフに案内され、信吾たちはスタート地点となる両開きの扉の前に到着する。

 扉は自動ドアだったようで、近づくと独りでに左右に開いていき……真夜中の病院を彷彿とさせる、不気味な廊下が信吾たちを出迎えた。


 廊下に足を踏み入れたところで、両開きの扉がバタンッと大きな音を立てて独りでに閉まる。

 信吾も莉花も、その音には驚かなかったものの、


「假屋さん大丈夫ですか? 顔色が青いですよ?」


 薄暗い照明の下にあってなお、莉花が青ざめていることに気づいた信吾は、メチャクチャ気遣っている内心とは裏腹に、抑揚の欠片もない声音で訊ねた。


「え?……はは……だ、大丈夫。思ったより雰囲気あるな~って思っただけだから」


 明らかに強がっている莉花に、信吾がどうしたものかと心配していると、


『信吾くん。心配したくなる気持ちはわかるけど、そこはグッとこらえなさい。その様子だと、ワンチャン莉花ちゃんに抱きついてもらえるかもしれないから』


(抱きついてもらえる? 假屋さんに?)


 いったい全体何をどうしたら抱きついてもらえるのかは、信吾にはさっぱり理解できなかった。

 けれど、莉花に抱きつかれた場面を想像したら、かつてないほどに賑やかになった頭が爆発ばくは――


『信吾くん……! 今すぐわたしの裸を想像しなさい……!』


 言われるがままに恵の裸を想像し、賑やかの極みに達しかけた頭の中が、すん……と鎮まる。


『今のはわたしが悪かったわ……うん……わたしが悪かった……』


 と言っている恵の声は、なぜかちょっとだけ泣いているように聞こえた。

 どういうわけか恵が完全に沈黙したところで、信吾はもう一度莉花に話しかける。


「假屋さん、そろそろ進んでいこうと思いますが、本当に大丈夫ですか?」

「ほ、本当に大丈夫だからっ。ほらっ、行こっ」


 やはり強がっているように見えるが、本人が大丈夫だと言っている以上は信じるしかなく、信吾はいつも以上に莉花に気を配りながら、彼女と肩を並べてお化け屋敷を進んでいった。


 お化け屋敷の仕掛けは、不均衡アンバランスの一語に尽きるものだった。

 随所に見え隠れしているお化けは、館の外観と同様コミカルな造形になっており、突然開いた扉から出てきたゾンビも、お化けに負けず劣らずコミカルな有り様になっていた。

 その一方で、コミカルさとは対極の、無駄にリアルな血塗れ死体が行く手を遮る形で天井から吊り下がってきたり、BGMの如くそこかしこから聞こえてくる呻き声は、ホラーが苦手な人間ならば発狂しかねないほどに不気味な出来映えになっていた。


 それらの仕掛けに微塵も動じていない信吾の無表情が、お化け屋敷という薄暗い環境下では何よりもホラーしていることはさておき。

 青ざめるほどに余裕を失っている莉花には、このお化け屋敷はこくかもしれないと思った信吾は、正直気が気ではなかった。


 けれど意外なことに、莉花はリアルな方の仕掛けを前にしても悲鳴一つ上げず、音で驚かせるタイプの仕掛けに対しても、肩一つ震えさせることはなかった。

 そのくせ顔色は青いままだから、信吾の目には今の莉花は、このお化け屋敷以上に不均衡アンバランスに映っていた。


 莉花のことが気になりすぎて仕掛けの数々を盛大に無視スルーしながら、信吾は彼女と一緒にお化け屋敷を進んでいく。

 先程のやり取りが尾を引いているのか、こちらが黙っているせいで単純に状況がわからないのか、恵は先程からずっと沈黙したままになっていた。


 やがて、T字の分かれ道に辿り着き、二人は足を止める。


「假屋さん、どっちに進みます?」


 莉花は、まだ少し青い顔を笑みの形に変えると、信吾の目が〇・〇六ミリほど見開かれるほどに意外な提案をしてくる。


「折角だからさ、二手に分かれてみない? こういうお化け屋敷って後戻りしちゃダメだって話だし、かといってもう一回入りたいとも思わないし」

「假屋さんが望むのなら、それで構いませんが……本当に大丈夫ですか?」

「だから心配しすぎだって。白状すると、最初はちょっと雰囲気に飲まれちゃったけど、いざ進んでみたら全然たいしたことがないってわかったから。だから、今はもうほんとに何ともない」


 確かに、お化け屋敷に入った直後に比べたら莉花の受け答えはしっかりしており、顔色もマシになっている。

 過度に心配しすぎるのも、それはそれで失礼かもしれないと思い直した信吾は、莉花の提案を受け入れることにした。


「わかりました。假屋さんはどちらに進みますか?」

「そうだな……こっちにしよっかな」


 そう言って、莉花は左側の廊下を指でさす。


「それじゃあ、オレはこちら側に進みますね」

「うん。……あのさ、梶原」


 莉花は悩むような素振りを見せた後、気を取り直したように笑みを浮かべてから言葉をつぐ。


「そっちのルートにどんな仕掛けがあったか、ちゃんと憶えといてよ。でないと二手に分かれた意味がなくなっちゃうから」

「わかりました」


 そのやり取りを最後に、信吾は右側に、莉花は左側に、廊下を進んでいく。


 正直に言うと、このお化け屋敷に関しては、信吾には何をどう楽しめばいいのかさっぱりわからなかった。

 コミカルだろうがリアルだろうが、お化けには微塵も恐怖を覚えなかった。

 多種多様の仕掛けにしても、〈夜刀〉の用心棒として培った勘と洞察力によって事前に見抜けてしまうため、何の驚きも感じることはない。

 その仕掛けすらも、どういうわけか、今自分が進んでいるルートでは一つも見かけない。

 ただ曲がりくねった廊下を歩くだけの、退屈な時間になっていた。


(このまま何もなかった場合、假屋さんに何を報告すればいいのでしょうか?)


 などと考えながら曲がり角に差し掛かった、その向こう側に人がいる気配を感じ取り、信吾は足を止める。


(オレたちが来るまで一時閉館の立て札が立っていたことを考えると、オレたちの前には客はいないはず。仮にいたとしても、恵さんが言うには前の組が入ってから五分経たなければ、次の組は入れないという話でしたので、前の組に追いついたという線も薄い……)


 残る可能性は、機材トラブルがあったがゆえにスタッフがまだ中に残っていた可能性と、〈夜刀〉の関係者が待ち伏せしていたという最悪の可能性の二つ。

 後者に備えて、何があっても即応できるよう気構えながら曲がり角を曲がり……その先にいた人物に、信吾は〇・〇八ミリほど目を見開いてしまう。



「か、梶原くん!? どうしてここに!?」



 信吾に気づいて素っ頓狂な声を上げたのは、遊園地のスタッフと同じ服装ユニフォームを身に纏った島谷だった。

 まさかここで学校の友達と出会うとは思ってなかった信吾は、お化け屋敷の仕掛けよりも余程驚かされながら、いつもどおりの無表情で答える。


「假屋さんと二人でデートしに来ました」

「ということは、假屋さんはあっちのルートを進んでるってわけか。というか今の言い方、三人以上いても『デートしに来ました』って言いそうに聞こえるのは気のせい?」


 ちょっと頬を引きつらせる島谷に、信吾は「気のせいです」と答えてから訊ね返す。


「島谷くんこそ、どうして遊園地ここに?」

「僕は見てのとおりアルバイトだよ。ここの遊園地、裏方なら高校生でも雇ってくれるところだから」


 そう言って、ユニフォームの上着を指で摘まむ。


「それより、假屋さんとデートしてるってことは、やっぱり梶原くんは假屋さんと付き合ってるの?」


 興味津々に訊ねてくる島谷に対し、何を言っているのかわからないと言わんばかりに信吾の首がゆっくりかしいでいく。


「デ、デートしてるんだよね? だったらそれ、付き合ってるってことになるよね?」

「なるんですか?」


 ますます首を傾げる信吾に、島谷はいよいよ閉口する。


「し、失礼を承知で言わせてもらうけど、段々梶原くんのことが宇宙人に見えてきた」

「最近よくそう言われるのですが、流行はやってるんですか?」

「流行ってないよ!?」


 思わずツッコみを入れたところで、島谷は疲れたようにため息をつく。


「あんまりここで喋ってると社員の人に怒られるかもしれないし、梶原くんのことを引き止めすぎるのも假屋さんに悪いから、そろそろ僕は仕事に戻らせてもらうよ」

「はい。こちらこそ、アルバイト中邪魔をしてすみませんでした」


 律儀に頭を下げてから、信吾は再び歩き出す。


「また明日学校で」


 と言ってくれた島谷に頷き返しながら、彼の隣を通り抜けていく。

 そして、完全に島谷に背中を向けた直後――



 

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