第20話 遊園地デビュー

「お互い遊園地は初めてなわけだし、定番なやつから攻めていく感じでいい?」


 そう言って莉花が指差したのは、大人四人が入れるくらいに大きな紅茶器がクルクルと動き回る定番のアトラクション――ティーカップだった。

 基本的に莉花が決めたことに異論を挟むつもりはなかった信吾は、迷うことなく首肯を返した。


『ティーカップか。どういう乗り物かは、さすがに知ってるわよね?』


 イヤーカフから聞こえた恵の声に、信吾は歯を一度打ち鳴らして肯定する。

 信吾とて、遊園地の定番のアトラクションくらいは知っている。そもそも、この遊園地のアトラクションについては全て予習済みだ。


 だから、


(ティーカップが、中央のハンドルを全力で回して楽しむアトラクションだということくらいは、オレだって知って――)

『先に忠告しとくけど、真ん中のお皿全力で回すとかベタなボケは絶対にやらないように。莉花ちゃんが目を回して大変なことになるから』


 こちらの思考に被せるような忠告に、信吾の目が〇・〇四ミリほど見開かれる。

 それとなく莉花の視線を盗み、隙を見計らってはるか後方にいる「本当ですか?」と言いたげな視線を恵に送るも、素気すげなく『こっち見んな』と返された。


 ハンドルを回さなければ、いったいどうやってこのアトラクションを楽しめばいいのか――その答えが出ないまま、莉花に促されるがままにティーカップに乗り込む。

 信吾たち以外には家族連れ一組しかおらず、彼らも乗り込んだところでティーカップが動き出す。


 直後、莉花がとった行動は、信吾はおろか恵にとっても予想外のものだった。

 莉花が鼻歌交じりに、中央のハンドルを凄まじい勢いで回し始めたのだ。

 開始直後にして緩やかさの欠片もない速度でティーカップが回る中、信吾は知ったかぶり全開で忠告する。


「假屋さん。このティーカップというアトラクションは、ハンドルを全力で回すような楽しみ方はしないらしいですよ」

「え? マジで?」


 初耳だと言わんばかりに目を見開く莉花をよそに、イヤーカフから『マジで?』と驚く恵の声が聞こえてくる。どうやら今回は、恵のアドバイスは役に立たなかったようだ。

 ここは自分で考えるしかないと思った信吾は二秒ほど黙考し、莉花に言う。


「オレならティーカップがどれだけ速く回っても大丈夫なので、假屋さんの好きなように楽しんでいいですよ」


 まるで親の許しを得た子供のような、普段よりもどこか幼く見えるような笑みを浮かべた莉花は、


「じゃ、遠慮なく」


 その言葉どおり遠慮なく全力でハンドルを回し始め、同じようにアトラクションを楽しんでいた親子連れがちょっと引くほどの速さで、信吾たちの乗るティーカップが回転していく。


「うっわ♪ はっや♪」


 心底楽しそうにしている莉花を見ているだけで、信吾も心底楽しくなってくる。

 もっとも、そんな心中はいつもどおり欠片ほども表に出ておらず、信吾の顔は例によって無表情無感情のままだった。


 それだけならまだよかったが、信吾のティーカップに座る姿勢は、最終面接に臨む就活生のように背筋がピンと伸びており、どれだけティーカップの回転速度が上がっても上体が全くブレることがない。

 表情に至るまで置物のように微動だにすることなく、高速で回転し続ける信吾の姿は、彼をよく知る恵にとっては腹がよじれるくらいにおかしく、彼のことを全く知らない家族連れにとっては、得体が知れなさすぎて恐怖すら感じるほどに異様なものだった。


 三分後――


 アトラクションが終了し、あれだけ激しく回転しながら何事もなく立ち上がる信吾と、大満足な莉花を尻目に、家族連れは逃げるようにそそくさとティーカップから降りていった。

 その様子を遠くから見ていた恵が、いたわしそうに家族連れを見送る中、莉花が満足げな表情をそのままに提案してくる。


「ねえ、梶原。次はアレに乗ってみない?」


 莉花が指差したのは、これまた定番のアトラクション――ジェットコースターだった。

 当然のように信吾が首肯を返し、逸る気持ちがそのまま出ている足取りで莉花が歩き出したところで、恵が声をかけてくる。


『お次はジェットコースターか。この過疎りっぷりだと好きな座席に座れそうだし、一番前の席に座ってみるのもアリなんじゃない? あれだけ派手にティーカップぶん回しても平気な莉花ちゃんなら、喜んでもらえると思うし』


 莉花が喜ぶ――それだけでもう是非もなくなった信吾は、迷うことなく一度歯を打ち鳴らして了解と伝えた。

 その選択が、自分の首を絞めることになるとも知らずに。


 ほどなくして、二人はジェットコースターの搭乗ゲート前に辿り着く。

 前に並んでいた客は、信吾たちと同じ男女連れと、大学生と思しき青年三人組の、計二組。

 さすがにティーカップよりは客の数が多いものの、遊園地においては屈指の人気を誇るジェットコースターにしては、やはり過疎っている言わざるを得ない人数だった。


 待つこと数分。

 信吾たちが来る前から走っていたジェットコースターが戻ってきて、乗っていた客――女子高生の四人組だけだった――が降りたところで搭乗ゲートが開く。

 スタッフの指示に従って、手荷物とポケットの中の物、イヤーカフを含めたアクセサリーをロッカーに預けると、信吾たちはコースター乗り場へと移動した。


 先に並んでいた二組が思い思いの席に座る中、


「梶原は、どの席がいい?」


 試すような莉花の問いに対し、信吾は一番前の席が空いているのを確認してから、恵の助言どおりに答える。


「一番前の席で」

「いいね」


 嬉しそうに笑う莉花を見て、信吾は内心恵に感謝しながら一番前の席に乗り込んだ。

 ハーネスが下り、スタッフが安全確認を終えたところでコースターが動き出す。

 レールに沿ってコースターが上へ上へとあがっていく中、信吾はふと思う。


(よくよく考えたら、ジェットコースターが動いている最中に何かの拍子で乗り物から投げ出されてしまったら、かなり高い確率で死ねますね……)


 無意識の内、ハーネスとシートベルトがしっかりと固定されているかどうか再確認する。


(そもそもこのアトラクション、ジェットコースターという乗り物に命を預ける前提で造られているのでは?)


 その事実に気づいた瞬間、信吾の背中を氷塊が伝っていく。

 信吾は〈夜刀〉の用心棒として命のやり取りを何度も経験し、その度に自分の力で乗り越えてきた。

 だが今の状況は、自分の力が介入できる余地がほとんどない。

 その上で、ジェットコースターなる乗り物に、人ですらない機械に、自分の命を預けなければならない。


 そのことに恐怖を覚えた信吾は、何度も歯を打ち鳴らして「ほんとマジで助けプリーズヘルプミー」のサインを恵に送る。

 自分で思っている以上に気が動転していたのか、乗車前にイヤーカフをロッカーに預けていたことを、コースターがレールの最も高いところに到着したところで思い出し、絶望する。


 次の瞬間――


 さながら身投げのような勢いで、コースターが急降下した。


「きゃ――――っ♪」


 隣から莉花の楽しげな悲鳴が聞こえてくるも、今回ばかりは気にする余裕はなかった。

 

(これほどの勢いで降下している最中さなか、もしハーネスやシートベルトに異常が起きて空中に身を投げされてしまったら……假屋さんが投げ出されてしまった場合は、この身を賭して護る以外に選択肢はない。ならば、オレが投げ出された場合は? 受け身をとる? やろうと思えばできなくもないかもしれませんが、如何せん高さがありすぎる。そもそも投げ出される勢いが強かった場合は、レールを支えるポールに激突する恐れがある。地面にしろ柱にしろ、まともに激突すれば即死……だと……!? オレは……オレは何という恐ろしい乗り物に――なッ!? 遠心力に物を言わせてコースターを一回転させるつもりですか!? 一番高いところで逆さになった状態でコースターが停まってしまったらどうするんですか!? そんな状況になったら假屋さんが危ななななななななな――……)


 などと、莉花を前にした時とは別の意味で心中が愉快なことになっている信吾だったが。

 表情が相変わらず無に等しいのは言わずもがな、まばたき一つしていないその様からは、誰がどう見てもジェットコースターにビビり倒しているようには見えない。

 というか、ティーカップに乗っていた時との違いがわからないくらいだった。


 しばらくしてコースターが一周し、乗り場に戻っていく。

 これまでの激しさが嘘のように、コースターが静かに停車する。


「あ~楽しかった♪」


 余程ジェットコースターが気に入ったのか、莉花は満面の笑みをたたえながらコースターから降りる。


「梶原はどうだった?」


 問いかけられた信吾は、ガクガクブルブルになっている内心をおくびにも出さずに、いつもどおり無感情に返す。


「はい。オレも楽しかったです」


 余裕すら感じる言葉を返しながらコースターから降りたものの、信吾の両脚は、まるで生まれたての子鹿のようにガクガクブルブル震えていた。

 そのくせ上体は一切ブレていないものだから、目の錯覚を疑った莉花は三度ほど目元を擦ってしまう。


「もしかして……ジェットコースター、ダメだった?」

「いえ。全く」

「じゃあ、もっかい乗ってみる?」

「…………」


 さしもの信吾も返答に窮してしまう。

 莉花は、しょうがないと言わんとばかりに苦笑した。


「次は、梶原が行きたいアトラクションに行こっか」


 こちらを気遣ってくれる假屋さんはなんて優しいんだろうか――と、感銘を受けながら、お言葉に甘えて自分が行きたいアトラクションが何なのか考えてみるも、


「……オレが行きたいアトラクションは、何になるんでしょうか?」


 まさかの質問に、莉花の目が点になる。

 遅れて、信吾の腹の虫が盛大に鳴る。


「とりあえず、お昼にしよっか」


 苦笑を深める莉花に、信吾は素直に首肯を返した。

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