第16話 事件
それからさらに一週間の時が過ぎたが、信吾の学校生活は、ケンカを売られることも含めて、相も変わらず平穏そのものだった。
だが――
放課後、下校していた信吾が校門を抜けたところで事件は起きた。
「梶原……今日、一緒に帰らない?」
門壁に背中を預けていた莉花が、信吾を見つけるや否やそんなことを提案してきたのだ。
やはりというべきか、ちょっとだけ顔を赤くしながら。
色々な意味で今学校で話題になっている二人が進展の兆しを見せたことに、偶然その場に居合わせた生徒たちが思わず振り返る中、
「ぜぜぜぜひひひひ」
不意打ちすぎる提案にエラーを起こした信吾の物言いは、久方ぶりに愉快な有り様になっていた。
居合わせた生徒たちが(
しばらくは互いに無言で歩き続け……周囲に同じ制服を着た人間がいなくなったところで、莉花がおずおずと切り出す。
「あのさ……読んだ? 《LOOK&ROCK》?」
「はい。一三話までですが」
そう答えた瞬間、
「どう? 面白かった?」
莉花にしては珍しく、こちらの
期待と不安が入り混じった、宝石のようにキラキラとした莉花の瞳がいつもよりも大胆に近づいてきたせいで、信吾の内心はお祭り騒ぎになっていた。
このままではまた物言いが愉快なことになってしまうので、信吾は再び恵の裸を想像することで気持ちを落ち着けてから、一三話まで読んだ感想を率直に答えることにした。
いつかの莉花ほどではないにしても、一息に近い勢いで。
「『面白い』という感覚は、まだいまいちよくわからないところがありますし、ロック自体も《LOOK&ROCK》を読んだ後にいくつか聴いてみた程度の知識しかありませんが、少なくとも先が気になって仕方ないとは思いましたね。メインテーマとなるロックを通じて繰り広げられる、主人公ケイの友情と恋愛模様。音など聞こえてくるはずもない漫画という媒体でありながら、実際に音楽が聞こえてきそうな表現力。正直、いまだ有名になっていないのが不思議なくらいには秀でた漫画だと思いました」
「そう……ふ~ん……そう……」
と、返した言葉は素っ気なかったが。
頬は今にも緩みそうなくらいにプルプルと震えており、朴念仁な信吾から見ても今の感想に莉花が喜んでいるのは明白だった。
これ以上は頬の緩みを抑えられないと思ったのか、莉花は片掌で口元を隠しながら、それとなく布教してくる。
「ハマったのなら、単行本を買ってみるのもいいんじゃない? なんだかんだ言ってもスマホじゃ読みづらいし、無料で読めるといっても全部じゃないし。……一〇巻以上あるから無理にとは言わないけどさ」
莉花のオススメである以上、返答は「はい」か「イエス」か「わかりました」くらいしか持ち合わせていないが、実際先程言った感想に嘘はなく、先が気になって仕方ないと言ったのも本心だったので、
「所持金と相談しながら、買い揃えていこうと思います」
「うん。そうしてみて」
相変わらず素っ気なく返す莉花だったが、掌に隠された口元を確かめるまでもなく、彼女が嬉しそうにしていることは信吾でも察することができた。
できたから、このまま《LOOK&ROCK》の話題を続けるのが正解だと確信した信吾は、さらなる話を振ることにする。
だが、振った話題の
「そういえば、八話でケイが言っていた『さてはあんた、あたしに一目惚れしたな?』という台詞、入学式の日に假屋さんがオレに言っていた台詞と同じでしたね」
当然、当の信吾は最悪を選んだことに気づきもせず、莉花とこのまま楽しくお喋りを続けることを表情一つ変えることなく期待していたが……莉花が何の返事もよこさないことに小首を傾げてしまう。
いつの間にか、莉花の顔は耳まで真っ赤になっており、掌で口元を隠しているのも、今や別の理由に変わっていた。
「うん……わかってた……こいつはこういう奴だから、どこかで必ずぶっ込んでくるってわかってた……わかってたから、あの時沼に引きずり込むのは一旦やめようとしたし……でも……やっぱり《LOOK&ROCK》の話はしたかったし……あ~でも……さすがに今のは直球すぎだろ……」
何だったら今にも両手で顔を覆い隠しかねないくらいに、莉花は羞恥に悶えていた。
そんな莉花の心中を毛ほども
莉花は口元から手を離し、力のこもらない目でキッと信吾を睨みつけると、
「ちょっと影響受けちゃっただけだからっ! 悪いっ!?」
居直るように、一週間前、《LOOK&ROCK》を読んでいたところを信吾に見られた時と同じ言葉を返した。
〈夜刀〉の仕事で、二メートルを超える巨漢と対峙しても圧倒されたことがなかった信吾が圧倒される中、莉花は不意にハッとした表情を浮かべる。
「ちょっと待って……そのあたりの話を読んだってことは、梶原……あんた、一目惚れの意味……わかっちゃった?」
恐る恐る訊ねてくる莉花に、信吾はいつもどおりの無表情無感情で「はい」と答える。
「じゃあ……あんたがあたしのことをどう想ってるのかも……わかっちゃった?」
ますます恐る恐る訊ねてくる莉花に、信吾は、何を言っているのかわからないと言わんばかりに小首を傾げた。
「
と、莉花も思わず零してしまう。
「一目惚れとは、一目見た異性に恋に落ちることを意味しています。オレは生まれてこの方恋に落ちたことなど一度たりともありませんので、假屋さんに対して抱いている感情は、そういった
「……うん。ちょっと何言ってるのかわけわかんなさすぎて、あんたのことが段々宇宙人に見えてきた」
そんな莉花の言葉に、信吾はハッとした表情を浮かべ、わなわなと震えながら両手を見つめる。
「宇宙人だったのですか……? オレは……?」
「なんでそういうとこだけ素直に受け取ってんだよ!?」
思わずツッコみを入れる莉花をよそに、信吾はわけがわからないと言わんばかりに小首を傾げた。
しばらく「ぜーはーぜーはー」と荒い呼吸を繰り返していた莉花だったが、ある程度落ち着いたところで、ブツブツと独りごち始める。
「本当に大丈夫かこれ? あたしの勘違いだったら痛いってもんじゃないんだけど……」
ひとしきり独りごちたところで、莉花は意を決したようにこちらを見つめ、訊ねてくる。
「梶原……デカペンくんを獲ってくれたお礼……まだ、期待して待ってたりする?」
「勿論です」
即答する信吾に、莉花は「やっぱりかぁ……」とため息をつくと、おずおずと、信吾をして耳を疑う提案をしてくる。
「お礼なんだけどさ……次の日曜日に……あたしとデートってのは…………どう?」
デート――それは、交際中又は互いに恋愛的な展開を期待していて、日時や場所を決めて会うこと(ウィキペディア出典)。
そのくらいことは、信吾も知っている。
知っているから、望外のお礼に頭からボンッ!!と爆発したかのような音を出して、その場でフリーズした。
彫像のように動きを止めた信吾を見て、信吾に何が起きたのかを察した莉花は、
「こんなんでよく、生まれてこの方恋に落ちたことはないとか言えたな……」
すっかり熱が引いた顔を引きつらせながら、呆れたように片手で頭を抱えた。
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