第7話 学校デビュー
それから二人は、肩を並べて一緒に登校した。
というか、本当にそれだけで、以降は一言も言葉を交わすことなく学校を目指して歩き続けた。
信吾は心の中がどうしてお祭り騒ぎになっているのかを分析するのに忙しかった上に、そもそも雑談するという行為そのものに慣れておらず、話題がない場合は何を話せばいいのかわからなかったため、莉花に話の一つも振ることができなかった。
莉花は莉花で「なんでこんなことになってんだろ……」という愚痴どおりになんでこんなことになったのかを考えていたため、信吾に話を振る余裕はなく……結果、無言のまま二人肩を並べて歩くだけの登校時間になってしまった。
教室に辿り着き、二人して自分の席に腰を下ろしたところで、なんとなく申し訳ないと思った莉花が遠回しに訊ねてくる。
「あんた……あんなんでいいのかよ?」
今の問いには「あんな会話の一つもない、一緒に登校しているかどうかもわからない感じでいいの?」という意味が込められていたが、
「『あんなん』とは?」
例によって一つも理解できなかった信吾は、小首を傾げながらオウムのように聞き返した。
「いや、だから……一緒に登校してるのに……何のお喋りもしなくていいのかよって意味だよ」
すでにもうクラスメイトの大半が教室にいる状況だからか、「一緒に登校してるのに」という部分だけはいやに声を小さくしながら莉花は説明する。
「お喋りですか……具体的には、どのようなことを話せばいいのでしょうか?」
「それマジで言って――って、マジなんだろうな。あんたの場合」
信吾が世間一般的な男子高校生とは明らかにズレていることを散々思い知らされたからか、莉花は諦めたようにため息をついてから問いに答えた。
「今日が本当の意味での初登校日なんだから、不安だったり楽しみだったりすることとかあるだろ?」
信吾の首が、ほんのちょっとだけ横に曲がる。
それだけで察した莉花が「ないのかよ」とツッコみを入れる。
「あとは……そうだな……お互いまだ初対面みたいなもんだし、相手のことで気になったこととか……」
「ああ。それなら一つ、假屋さんのことで気になったことがあるのですが」
「なんかあんまり良い予感はしないけど……言ってみて」
了承を得たところで、信吾は「では」と前置きしてから、教室にいるクラスメイトの多くが、特に男子が反応する「気になること」を莉花に訊ねた。
「假屋さんはどうして、学校の規定よりも短いスカートを履いてるのですか?」
女子が「へぇ、あれくらい短くしてもいいんだ」という視線を向け、男子がスカートの丈を確認しようとした流れで健康的な太股に視線を釘付けにする中、当の莉花はまたしても赤くなった顔を机に突っ伏することで隠し、ヤケクソ気味に答えた。
「ファッションに決まってんだろ……バカっ」
そんな莉花の反応を見て、お喋りとは素晴らしいものなのかもしれないと思う信吾だった。
そうこうしている内に本鈴が鳴り、一年一組の担任教師が教室に入ってくる。一目見て新人教師だとわかるほどに年若い、男の教師だった。
その教師を見た瞬間、莉花とのお喋りで浮ついていた心が、恵の裸を想像した時と同じレベルで、すん……と鎮まっていく。
担任教師は
(当然といえば当然の話ですが、オレが所属するクラスの担任に組み込んできましたね)
恋愛感情を筆頭に、〈夜刀〉時代では縁がなかった感情には疎いというだけで、信吾の中にもちゃんと喜怒哀楽は存在している。
だから、莉花との触れ合いには楽しさを覚えていたし、自分のクラスの担任が潜入捜査官の一人だとわかった時は、現実に引き戻されたような気分になって落胆を覚えていた。
だが、それはそれで悪くないと信吾は思う。
〈夜刀〉時代はそもそも何かに期待すること自体が少なかったため、落胆という感情自体、抱いた記憶がほとんどなかった。
用心棒として護衛していた
たとえ気分的にはあまりよろしくない感情でも、命が関わらない状況で噛み締められたことが、嬉しいし楽しい。
その嬉しいと楽しいも、〈夜刀〉時代では滅多に味わえない感情だから、なおさらに。
そんな内心が毛ほども汲み取れないほど表情に変化がない信吾は、心の中だけで意気揚々としながら、人生初の学校の授業に臨んだ。
そして――
撃沈した。
時は昼休み。
机に突っ伏するようにして倒れている信吾の頭からは、プスプスと煙が立ち
先に断っておくと、按樹高校は決して偏差値の高い学校ではない。
底辺以上、凡未満という程度だった。
だから、授業そのものはそう難しいものでもないが……〈夜刀〉の用心棒として育てられ、世間一般的な教育を蔑ろにされる人生を送った信吾にとっては、微妙について行けない程度に難しい授業だった。
余裕なのか、それとも最初から諦めているだけなのか、莉花は「くぁ……」と欠伸をしてから、いまだ机に突っ伏して頭からプスプスと煙を立ち上らせたままになっている信吾に声をかける。
「大丈夫?」
「はい。全く問題ありません」
「問題しかないように見えるんだけど……」
事実、今のはただの強がりだった。
なぜだかわからないが、莉花の前では弱音を吐きたくなかった。
なかったから、アレ? オレの学力、中学生レベルもない?――と思っていても「全く問題ありません」と答えた。
そんな心中まではわからなくとも、さすがにこのまま放っておくのもどうかと思った莉花は「う~ん……」と悩みながらポリポリと頭を掻き、意を決したように口を開く。
「梶原……あんたさえ良ければだけど、お昼一緒に食――」
「よお、假屋。そんなヤツの相手なんざしてねえで、俺と一緒に飯食い行こうぜ」
如何にも不良然とした大柄な男子が、気安い調子で莉花に話しかけてくる。
クラスメイトが昼食にかこつけてナンパしてきたことに、莉花が「うわぁ……」と言いたげな顔をする中、信吾は突っ伏させていた顔を、ギギギと錆びた扉が開くような音を立てながら彼女の方に向けた。
「知り合いですか?」
「あんたと同じで限りなく初対面」
「それなのにこんなにも馴れ馴れしいんですか? 凄いですね」
信吾は素直に感心していたが、当の大柄男子には挑発されているようにしか聞こえず、
「てめぇ、ケンカ売ってんのか?」
信吾の襟ぐりを掴むと、膂力に物言わせて無理矢理立ち上がらせた。
勿論、信吾はケンカを売っているつもりは全くない。
というかケンカ自体、相手が〈夜刀〉の残党や裏社会の人間でもない限りは絶対にしないようにと恵に釘を刺されている。
なにせ信吾は、裏社会においては〝白鳳〟の名で知られるほどの実力者なのだ。曲がりなりにも警察である恵が、信吾にケンカを売った愚かな子羊を心配するのは道理だった。
裏社会にどっぷり浸かっていたからこそ、こういった手合いに対して素直に「売ってません」と答えたところで、何の解決にもならないことは信吾もわかっている。
異変に気づいたクラスメイトたちがざわつき始めたことも含めて、どうしたものかと表情一つ変えることなく思案していると、しょうがないと言わんばかりに莉花が止めに入ってくる。
「勘違いしたくなる気持ちはわかるけど、こいつたぶん本気であんたのこと凄いと思って言ってるよ。だからケンカなんて売ってないし、手ぇ離してやりなよ。え~っと……」
大柄男子の名前が出てこない莉花に、信吾は助け船を出す。
「
「って、なんでてめぇが答えてんだよ!?」
驚いているのか怒っているのかよくわからない声を上げる久留間に、信吾は事もなげに答える。
「クラスメイトの顔と名前は、すでに記憶済みですから」
「そう意味で『なんで』って言ったんじゃねぇよッ!?」
声を荒げてツッコむ久留間をよそに、莉花は呆れ混じりに言う。
「それだけ記憶力が良いのに、なんで授業についてけてないんだよ……」
「どうやらオレは記憶力はあっても、理解力がないみたいです」
「って、俺を無視して普通に駄弁ってんじゃねぇッ!!」
いい加減キレてしまった久留間が、襟ぐりを掴んだまま信吾の顔面にフック気味のパンチを叩き込もうとする。
拳が迫り来る中、信吾は集中力を高めることで時間の感覚を引き延ばしながら、再び思案する。
かわすこと自体は簡単だが、そんなことをしたら久留間が余計に激怒するのは目に見えている。
一発殴られて相手が溜飲を下げてくれるなら信吾としては御の字なので、とりあえず今は素直に殴られることに決めるも。
視界の端で、莉花が慌てて止めに入ろうとしているのを見て、ふとこんなことを考えてしまう。
もしこのまま殴られてしまったら、假屋さんに余計な心配をかけてしまうのでは?
そのせいで、假屋さんに嫌な思いをさせてしまうのでは?
そんな考えが脳裏をよぎった瞬間、信吾は自身が下した決定を覆し、久留間の拳がこちらに届く前に、プロボクサー顔負けの高速ジャブで相手の顎先を打ち抜いた。
一撃で意識を断たれた久留間の巨体が、その場で
倒れたことで、机や椅子に頭をぶつけられたらそれこそ大怪我を負わせてしまうので、信吾は久留間を抱き支えながら位置を入れ替え、自分の椅子に座らせることで事なきを得た。
「ふぅ」
安堵の吐息と呼ぶにはあまりにも機械的かつ棒読み気味な息を吐く信吾をよそに、事の成り行きを見守っていたクラスメイトたちが呆気にとられる。
近くで見ていた莉花に至っては、驚きのあまり目を見開いていた。
渦中の信吾はというと、
(假屋さん、そんな表情もするんですね)
莉花の新たな表情を見られたことに、一人表情を変えることなく喜んでいた。
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