第6話 登校

 授業開始日となる、入学式翌週の月曜日。


 目を覚ました信吾は例によってテキパキと学生服に着替え、勉強道具をギッチリと詰め込んだリュックを玄関に置いてから、顔を洗いに洗面所へ向かう。

 さすがに今朝は恵が裸で待ち構えているなどということはなく、平穏無事に顔を洗い終えてから自分の髪の状態を入念に確認する。

 莉花を意識して、ヘアスタイルをばっちり決めようとしている――わけではない。

 確認しているのだ。


 信吾は、生まれつき髪の色が白かった。

 だがそれは、眼皮膚白皮症アルビノを筆頭とした病気によるものではなく、生まれつきメラニン色素が少ないことが原因だった。

 成長とともにメラニン色素の生成量は増えていくため、歳を重ねれば髪色は自然と黒くなっていくはずなのに、〈夜刀〉という異常な環境下で育てられたストレスからか、信吾の髪色はいつまでも経っても真っ白なままだった。


 未成年で白髪という見た目は、表社会だろうが裏社会だろうが否応なく悪目立ちしてしまう。

 トラブルの呼び水になってもおかしくないほどに。


 いくら警察上層部が信吾のことを〈夜刀〉の残党を釣る餌に使うつもりだとは言っても、ワケありとはいえ子供が大勢通っている学校で、必要以上に事を荒立てるのは良しとしていない。

 白髪のまま信吾を登校させたことで残党が入れ食い状態になってしまったり、信吾〝S〟に恨みを持っている裏社会の人間まで食いついてしまったせいで、子供たちに被害が及ぶような事態になることは絶対に避けなければならないと考えている。

 それに、信吾が所属していた本部を制圧した今、信吾と実際に面識がある構成員の数は限られており、白髪というわかりやすい特徴を消してしまえば、残党たちを信吾〝S〟を特定するのはそれなりに難儀するはず。

 按樹高校に潜入した残党が、〝S〟を特定するために何かしら怪しい行動を見せたところを、同じく潜入している刑事が秘密裏に押さえる。それが、警察上層部としても理想だった。


 と、ここまでは大人の思惑の話。

 子供でなおかつ普通に生きたいと願っている信吾にとって、白髪の高校生というどう足掻いても普通には見えない要素は、いらないを通り越して邪魔というのが本音だった。


 色落ちしている箇所がないことを確認したところで、二日酔いでソファでくたばっている恵に一声かけてから登校する。

 入学式の日に使ったルートとはまた別のルートを使って。


〈夜刀〉の用心棒は裏社会から恐れられている一方で、相応に恨みも買っている。

 ゆえに、本部に戻る際は、本部そのものを特定されないようにするのは勿論のこと、襲撃や待ち伏せに備えて、常日頃から違うルートを使うよう徹底されていた。


 信吾が入学式の日とは別のルートで登校しているのも、そうした習慣が体に染みついているせいに他ならなかった。

 さすがにこんな習慣は直した方がいいと思う一方で、まだこの辺りの地理はそこまで詳しくないので、まだしばらくは直さない方がいいかもしれないなどと、いつもどおりの無表情で悩んでいると、


(! あれは……!)


 道行く先に見える横断歩道。その手前で信号待ちをしている女子高生の存在に気づき、信吾の目が〇・〇一ミリほど見開かれる。

 按樹高校の制服を着た、裾カラーの水色が目を引くショートボブの女子高生。

 顔を確認するまでもなく假屋莉花だと確信した信吾は、無意識の内に歩を速めながら彼女に近づき……ふと疑問に思う。


(この場合、どう声をかけるのが正解なのでしょうか?)


 クラスメイトとはいっても、入学式で一度顔を合わせただけの間柄。

 見かけたからといって声をかけるのは、さすがにまだ気安すぎるかもしれないと信吾は思う。

 ならば、どう声をかけるべきか。というか假屋さんのスカート、学校の規定よりも短いですね。大丈夫なんでしょうか?――などと、思考の舵を明後日の方向に切り始めたところで、莉花の方からこちらに振り返ってくる。


「なんかジロジロ見られてる気がするなって思ったら、またあんたか」


 向こうから話しかけてくれたのをいいことに、信吾は歩み寄って謝罪しようとするも、


「すすすすすみません。どどどどうここここ声をかければばばいいのかわわわわからなくて、つつつつい見つめすぎててててしまいましたたたたた」


 先日と同様、また愉快な物言いになってしまった。


「梶原……だっけ。あんたそれ、なんとかならないの?」


 莉花は呆れ混じりに言いながらも、信号が青になったので横断歩道を渡っていく。

 その背中を追いながら、信吾は思案する。


 おかしい。

 彼女を前にすると物言いが壊れたロボットのようになってしまう。

 おまけに、心臓がバックンバックン鳴ったり、心がソワソワして落ち着かなくなってしまう。


 いや、それらはまだいい。

 問題は、そこまで自覚してなお自分という存在を制御できていない点にあった。

 今までの自分ならば、どれほど心身に異常がきたそうとも、異常それを強く自覚し、己を客観視することで制御することができた。


 だけど今は、異常を自覚しても、己を客観視しても、自分で自分を制御することができない。

 最早、自分の力だけではどうしようもないところまで異常をきたしている。


(……仕方ありませんね。こうなったら、恵さんのアドバイスに頼ってみるとしましょう)


 そんな独白とともに想像する。入学式の日、無駄に見せつけられてしまった恵の裸身を。

 すると、バックンバックン鳴っていた心臓が、ソワソワしていた心が、すん……と鎮まっていく。


(これは凄いですね。帰ったら恵さんに感謝の気持ちを伝えるとしましょう)


 その所業が死体蹴りに等しいことはさておき。

 落ち着きを取り戻した信吾は、横断歩道を渡りきってから莉花に話しかけた。


「なんとか心を落ち着けてみましたが……どうですか?」

「今までが何だったのかってくらいには落ち着いてる。てゆうか落ち着きすぎじゃない?」

「そうですか?」

「それと、同い年なんだからそんな丁寧な喋り方しなくていいから」

「と言われましても、話し方を変えるのは少々難しいかもしれませんね。今まで敬語これ以外の話し方をしたことがありませんから」

「筋金入りってわけか」


 無理に変えさせるつもりはなかったのか、信吾の敬語についてはこれ以上とやかく言わずに話を続ける。


「一応訊くけど、今の喋り方が普段のあんたの喋り方になるわけ?」

「はい」

「だったらなんで、さっきとか入学式ん時とか、あんな面白いことになってたの?」

「それは……」


 顎に手を当てて考えるも、信吾自身がその理由をよくわかっていない以上、莉花の質問には答えようがなかった。

 だから、莉花を前にした時の自分の状態を、そのまま彼女に伝えることにする。


「こういう経験はオレも初めてのことなのですが、假屋さんを前にしていると、心臓の鼓動が大きくなり、脈拍も早くなってしまうんです。同時に、心が妙に浮ついて落ち着かなくて……いったいなんでこんなことになっているのかオレもわからず、困ってるんです」


 と、できるだけわかりやすく説明していたら、なぜかはわからないが、莉花の顔はみるみる真っ赤になっていった。


「付け加えるなら、今の假屋さんに対して、ずっと見ていたいと思うと同時に、なぜか目を逸らしたくなる、相反する感情を抱いていま――」

「ストップ! ちょっとストップ!」


 たまらずといった風情で、莉花が足を止めて待ったをかけてきたので、信吾は言葉と足を同時に止める。

 莉花は赤くなった顔を隠すように鼻から下を右掌で覆うと、微妙に信吾から顔を逸らしながらブツブツと呟き始める。


「マジで?……マジか?……いやでも、『あたしに一目惚れしたな?』って言ってもあんな反応だったし……てゆうかあたし、なんであの時あんなこと言ったんだよ……いやでもあの台詞一度言ってみたかったし、あんなバッチリな使いどころなんてそうあるもんじゃないし……」


 そんなことを耳まで真っ赤にしながらブツブツ呟いている莉花は、それはそれで目が離せないものがあるが、かといってこのまま自分のことを放置されるのもなんだか無性に寂しいものがあったので、とりあえず声をかけてみることにする。


「假屋さん」

「ひゃいっ!?」


 悲鳴なのか返事なのか、よくわからない声が返ってきた。

 ただ、またしても心臓がバックンバックン言い始めたので、恵の裸を想像することで、すん……と気持ちを落ち着かせる。


「假屋さんはいつも、この道を通って学校に行ってるんですか?」


 莉花はなぜか「え?」と虚を衝かれたような声を漏らすと、微妙に狼狽えながら要領の得ない返事をかえしてくる。


「い、一応……そういうことになると……思う」

「奇遇ですね。オレもです」


 などと流暢に嘘をついている自分に、信吾は表情一つ変えることなく心の中で吃驚する。


「假屋さんさえ良ければ、明日からオレと一緒に登校してくれませんか?」


 何でこんなことを言っているのか、信吾自身もわからなかった。

 けれど、提案そのものは一〇〇億対〇くらいで賛同できるものだったので、今は自分の制御を離れた自分を放置することに決める。


「い、いや……そういうのはちょっと……学校の連中に勘違いされそうだから……」

「勘違いって、どういう意味ですか?」


 一目惚れを指摘した時と同様、莉花の言葉の意味が全く理解できなかった信吾は小首を傾げる。

 さすがに莉花も、若干引き気味に「えぇ……」と漏らしてしまう。


「あんた……本当に何もわかってないの?」

「はい。本当に何もわかってません」

「認めるのかよ!?」

「それより、そろそろ返事の方を聞かせてほしいのですが」


 告白の返事を催促するような言い回しで、一緒に登校するのかしないのかの返事を催促する。

 もっとも、声音には欠片ほども感情がこもっていないせいで、言葉の内容とは裏腹に事務的な催促を受けている印象の方が強いくらいだが。

 恋心すら理解しないままグイグイくる信吾にされながらも、莉花はできるだけ相手を傷つけないよう迂遠な言い回しで、断りに等しい返事をかえす。


「ご、五〇メートルくらい離れてくれるなら……一緒に行ってもいい……かな?」

「五〇メートルですね。わかりました」


 だが迂遠ゆえに、そのあたりの機微については絶望的に疎い信吾は、暗に莉花が断っていることを察することができなかった。

 信吾ならば、本当に律儀に五〇メートル距離を離して一緒に登校するかもしれないと思ったのか、莉花はいまだ赤い顔を片掌で隠しながら諦め混じりに言う。


「……五〇メートルは忘れていい……だから……一緒に行ってあげる」


 最後の言葉は、蚊の鳴き声のように小さかった。

 並みの聴力ならば聞き落とすであろう声が、バッチリと聞こえていた信吾は、


「ででででは、ああああ明日かららららよろしくお願がががががいしししします」


 恵の裸では鎮めきれないほどにお祭り騒ぎになっている内心を表すように、愉快な物言いが復活してしまい……それが不意打ち気味にツボに刺さった莉花は、思わずといった風情でちょっとだけ噴き出した。

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