第5話 初恋(?)

「おかえりなさい、信吾くん」


 入学式から帰ってきた信吾を、恵は笑顔で出迎える。

 信吾はただ一言「はい」とだけ返すと、二階の自室を目指してスタスタと階段を上がっていった。

 着替えに向かったと判断した恵は、


「ま、を聞くのは後でいっか」


 と独りごち、リビングに戻ってソファに身を沈める。


〈夜刀〉の残党を釣るという役目を負わされている関係で、信吾にはその日学校で起きた出来事を逐一恵に報告するよう義務づけられていた。

 潜入している相手を見つけるために、どんな些細な情報でも欲しいという上層部うえの気持ちは恵にも理解できるが、さすがに「逐一」はやりすぎな上に無駄が多いと考えており、そんなことをやらされる信吾が可哀想だとも考えている。


 だから報告に関しては、本当に何か変わったことがあったり、信吾自身が気になったことがあったりしない限りは無理にやる必要ないと彼に伝えていた。

 ちなみに、それらの報告を上層部うえにあげる際は、捜査一課のエースとして培った信頼を盾に「必要な情報はこちらで取捨選択しました」とのたまう予定。


 と、ここまでは信吾の理解者っぽい立ち回りをしている恵だが、報告云々は別に、単純に信吾の入学式がどんな感じだったのか気になっていたので、今日に限っては「逐一」自分に報告するよう彼に言い含めていた。

 だから、信吾が二階から下りてくるのを今か今かと待ちわびながら、ソファにふんぞってテレビのワイドショーを見ていたけれど、


「……さすがに遅いわね」


 帰ってきてから一時間が過ぎているのに、信吾は一向にリビングに姿を見せなかった。

 業を煮やした恵は、二階に上がって信吾の部屋の扉をノックする。


「信吾くん、入っていい?」

「はい」


 いつもどおりの抑揚の欠片もない返事がかえってきたところで、恵は扉を開け……信吾がいまだ学生服のまま、ボケッと部屋の中央で突っ立っていたことにギョッとする。


「し、信吾くん……どうしたの?」

「はい」

「入学式で何かあったの?」

「はい」

「いったい何があったの?」

「はい」


 何を聞いても「はい」しか返ってこない。

 これは本格的におかしいと思った恵は、信吾の正気を確かめるために、さらなる質問を投げかけることにする。


「もしかして、校長の頭がヅラだったの?」

「はい」

「その校長が、新入生の前で宴会芸よろしく裸踊りをしたの?」

「はい」

「締めに全裸のままヘッドスピンをして、チ○コをぶるんぶるんさせたの?」

「はい」


 質問を重ねるたびに噴き出しそうな顔になっていった恵だったが、ふと会心の質問を思いつき、「これはチャンスかもしれない」と独りごちてから信吾に質問を投げかけた。


「もしかして、今朝見た美人でナイスバディでお姉さんなわたしの裸を思い出して、上の空になってるの?」


 次の瞬間、信吾は我に返ったようにハッとした表情を浮かべ、


「それはないです」


 片掌を左右に振って否定した。

 恵は笑顔で信吾の顔を掴み、アイアンクローよろしくギリギリと締め上げながら最後の質問を投げかける。


「な・ん・で、今ので正気に戻ったのかな~?」


 さしもの信吾もあまりの迫力にされたのか、無表情でアイアンクローを受けながら「すみません」と謝った。

 さすがに本気で怒っているわけではなかった恵は、信吾の顔から手を離し、ベッドに腰掛けてから訊ねる。


「入学式で何があったのか、訊いてもいい?」

「構いませんと言いたいところですが……入学式中にあったことを話すのは少々、いや、かなり難しいですね。オレ自身も初めての経験なのですが、入学式にはちゃんと参加していたはずなのに、式中何があったのか全く記憶に残っていないんです」


 もしかしたら、入学式中もずっと上の空だったのかもしれない――そう推測した恵は、質問を変えることにする。


「なら、入学式前に何があったのか教えてくれる?」


 首肯を返した信吾は、恐ろしいほど事細かに、入学式前にあったことを話してくれた。

 登校中に目に入った民家の表札の名前の全てを。

 上空を飛んでいた鳥の種類と数を。

 道中すれ違った人間の年齢、性別、特徴を。

 このまま上層部うえに上げたらそっくりそのままイヤガラセになるんじゃね?――と、本気で考えてしまうくらいの「逐一」っぷりで話してくれた。


 実に三〇分の時を費やして高校に辿り着くまでにあったことを話し、假屋莉花の話に差し掛かったところで、信吾の様子が露骨におかしくなる。


「ととと隣から、いいい一組かかかと聞こえててててきて」

「ちょ、ちょっと!? 信吾くん落ち着いて! ほら、深呼吸深呼吸!」

「すすすすすすすははははははははは」

「いや、その呼吸メッチャ浅いから! あと笑ってるみたいでちょっと恐いから!?」

「すぅ~~~~~~~~~~~……」

「いやいや、吸いっぱなしだと息出来ないから――って、どんだけ吸ってるの!?」


 信吾のとんでもない肺活量に驚かされながらも、恵は「しょうがないな~」と呟き、ブラウスの襟を指で下にズラして、大きな胸の谷間を信吾に見せつける。


「ほら、谷間これでも見て落ち着きなさい」


 すると信吾は、先程までの動揺が嘘のように、すん……と落ち着きを取り戻した。


「……これはこれでなんか腹立つわね」


 とは言ったものの、ここで話の腰を折ったら明日になっても報告が終わらない気がしたので、恵は続きを話すよう促し、信吾は、莉花との間に交わしたやり取りをそれこそ一言一句たがえることなく話してくれた。

 話してくれたから、青春の輝きに押し潰されそうになった恵の手には、いつの間にか缶ビールが握られていた。


「それ、いつ取ってきたんですか?」

「缶ビールわね……つらくなった大人に寄り添ってくれるものなのよ……」


 言っている本人すらもわけがわからないことをのたまいつつ、恵はゴキュゴキュとビールを胃に流し込んでいく。


 信吾の話を聞いた限り、彼がおかしくなった原因は考えるまでもなく假屋莉花に一目惚れしたことにある。

 そのことに気づいた最初の内は、あまりの甘酸っぱさに内心「キャーキャー」言ってた恵だったが、「あれ? そういやわたし、こういうのどれくらいご無沙汰だったっけ?」と疑問に思い、自主規制ピー年ぶりという事実に打ちひしがれた結果、いつの間にか缶ビールが恵に寄り添っていた。


(つうか、莉花ちゃん相手に散々挙動不審になってたのに、正気に戻らなくていい時だけ正気に戻って「一目惚れ?」って流暢に返すのはないわ~。いかにも何かに影響されて「一目惚れしたな?」て訊いた莉花ちゃんが可哀想だわ~)


 もうすでにまあまあ酔っ払ってるにもかかわらず口に出さないのは、ここで信吾に一目惚れを自覚させたら、最悪こちらが致命傷を負うかもしれないという防衛本能によるものだった。

 一方で微かに残った理性が、お姉さんらしく信吾の甘酸っぱい初恋 (たぶん)を見守ってやりたいとも思っており。


「假屋さんの前だと、なぜだかわかりませんが自分がおかしくなってしまうんです。あの時のオレははっきり言ってただの不審者でしたし、何より假屋さんに対して失礼だった。こんな風に思うのは生まれて初めてのことですが……また假屋さんの前で同じようなことをしてしまうことを想像したら……なぜだかわかりませんが……たまらなく、恐ろしい……」


 珍しくどころか、初めて弱音らしい弱音を吐いた信吾を見て、恵は確実に効果が出るであろうアドバイスをしてあげることにする。

 たとえその内容が、自虐的なものであったとしても。


「挙動不審になりそうな時は、わたしの裸を思い出しなさい。そうしたら、たぶんいつもの平静さを取り戻せると思うから」

「なるほど……わかりました」


 いや「わかりました」じゃねえよ――という言葉は、かろうじてビールごと胃の底に流し込んだ。


(つうかわたしの裸、悪い意味で使い勝手良すぎでしょっ)


 心の中で哀しいツッコみを入れていた恵だったが、ふと思い浮かんだ疑問を、何とはなしに信吾に訊ねる。


「たとえばだけどさ、莉花ちゃんが今朝のわたしにみたいに裸になってたら、信吾くんはどう思う?」


 直後、信吾の頭からボンッ!!と、爆発でも起こしたような音が聞こえてくる。

 その音が聞こえて以降、信吾はエネルギーが切れたロボットのように微動だにともしなくなってしまった。


「信吾くん? お~い、信吾く~ん?」


 相も変わらず無表情な信吾の目の前で手を左右に振ってみるも、何の反応も示さない。

 どうやら莉花の裸を想像したことで、何かしらの防衛本能でも働いたのか、頭がショートしてしまったようだ。


「これはこれで面白いけど、なんかちょ~っと釈然としないわね……」


 わたしの裸を見た時とはえらい違いじゃない――と愚痴ってから、缶ビールを一口呷る。


(一応、真面目な意味で気になることがあったかどうか、信吾くんに聞きたかったけど……〈夜刀〉の残党が潜入していたとしても、さすがに入学初日に目立った動きをするわけないか)


 さらにもう一口呷り、ビールを飲み干してから缶をグシャリと握り潰す。


(あんまり考えたくはないけど、信吾くんが一目惚れした莉花ちゃんが、〈夜刀〉の残党である可能性もないとは言い切れない)


 だが、そんな可能性は信吾に伝える必要はない。

 折角、信吾が普通の青春を謳歌しようとしているのだ。そんな話をするのは野暮の極みというものだ。

 野暮ついでに言えば、按樹高校には今、新人教師や用務員に扮した刑事が何人も潜入している。そのことは当然、信吾も知っている。

 だから、〈夜刀〉の残党絡みで何か起こったとしても、潜入している刑事おとなに押しつけてしまえばいいというのが恵の考えだった。


「だからきみは、精々人生初の学校生活をエンジョイしてればいいのよ」


 優しげな微笑とともに独りごちると、恵は潰した缶を片手に信吾の部屋から出ていった。

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