第4話 異常

(なんですか、これは……?)


 物憂げアンニュイな表情をしたパンク系の女の子のことを、なぜかこれ以上視界に収めていられなかった信吾は、それとなく視線を外しながら、表情一つ変えることなく困惑する。


 心臓の鼓動は依然として賑やかなままで、心にしても先程まで何の感慨も湧かなかったのが嘘のように、喜びと期待にち満ちていた。

 今感じたこと全てが、信吾にとっては生まれて初めて経験したものであり、だからこそなおさら信吾は困惑していた。


(……そうだ。教室に行かなければ)


 無理矢理頭を切り替え、理解できないものから逃げるようにしてその場を離れ、校舎に入っていく。

 だがこれは、いったいどういうことだろうか?

 なぜか歩き方おかしくなっている。

 右手と右脚が一緒に前に出ているし、挙動もいちいちぎこちない。

 自分の体が自分のものではなくなってしまったような感覚だった。


 言うことをきかない体に悪戦苦闘しながらも下足場に辿り着き、リュックに入れていた上履きに履き替えると、クラス分け発表用紙で確認した自分の学籍番号と同じ数字が印字された下駄箱に外靴を入れ、二階にある一年一組の教室へ向かう。


 途中、階段で躓きかけるという、またしても生まれて初めての経験を経て教室に辿り着き、自分の名前と学籍番号が記載されたシールが貼られた席に腰を落ち着ける。が、心の方はいやにソワソワしているせいで、落ち着く気配すらなかった。


(今になって、入学式が楽しみになってきたのかもしれませんね)


 などと、思考の舵を明後日の方向に切っていると、



「ああ……あんたも一組だったから、さっきあたしのこと見てたのか」



 先程一言聞いただけだけどおそらくは生涯忘れることはないと断言できる女の子の声が、すぐ隣から聞こえてくる。


 同じクラスだから、があり得ることはわかっていた。

 けれど、本当に自分の隣があの女の子の席だった事実に表情一つ変えることなく吃驚しながら、錆び付いたドアのようなぎこちなさで隣席に顔を向ける。

 そんな挙動とは裏腹に、隣席の机上に貼られた假屋かりや莉花りかと書かれたシールを抜け目なく視界の端で捉えた信吾は、自分と同じく「か」から始まる名字だから席が隣り合ったのかもしれないと得心しながら、いつもどおりの淡々とした調子で莉花に応じた。


「そそそそのとおりででです」


 ……全くいつもどおりにならなかった。

 というか、こんなにも揺れに揺れた言葉を口にしたのは生まれて初めてだった。


「いくらなんでも緊張しすぎだろ」


 信吾の声が面白いほど揺れていたのは入学式前に緊張しているからだと解釈したのか、莉花は苦笑しながら自分の席に腰を下ろす。

 その際、偶然莉花と目と目が合ってしまい、信吾は思わず視線を逸らしてしまう。

 イっちゃってる感じのヤクザの鉄砲玉と目と目が合っても一ミリも視線を逸らさなかった信吾にとって、今の自分の行動は理解不能の極みだった。


「さっきはあたしのことけっこうジロジロ見てたのに、目が合った途端これ?」


 ちょっとだけ不服そうに、されど苦笑を深めながら莉花は言う。

 信吾自身、相手に視線を気取られるようなヘマはした覚えはないが、今の自分の有り様を鑑みるとヘマをしていない方がおかしいと考えざるを得ない。

 それはそれとして、なぜだか無性に莉花に嫌われたくないと思った信吾は、素直に謝罪することにした。


「ききき気分をがが害したのであれば、ああああ謝ります。ままままさか、ククラスメイトががががすぐに傍にいたとは、おおおお思っていませんでしたのでででで」


 だが、またしても愉快な物言いになってしまう。

 そのくせ表情は無に近いものだから、さすがに莉花もこらえきれないとばかりにちょっとだけ噴き出してしまう。


「あんた、あたしのこと笑かそうとしてない?」

「そそそそそんなことはありまままません」

「だったら、なんでそんな…………いや待てよ、こういう感じの展開 《LOOKルックアンドROCKロック》で見たことがあったような……」


 莉花はブツブツと独りごちた後、ちょっと顔を赤くしながら、微妙に棒読み気味にこんなことを言ってくる。


「『さてはあんた、あたしに一目惚れしたな?』」


 この台詞、一度言ってみたかった――と思い切り顔に書いてある莉花に対して、信吾は、


「……一目惚れ?」


 こういう時に限っていつもどおりに喋ることができてしまった挙句、小首まで傾げてしまう。

 そのせいかどうかはわからないが、莉花の顔はさらに赤みを増していった。


「え? 違うの? うっわ、はっず……」


 耳まで赤くして、こちらから顔を逸らす。そんな莉花のことをいつまでも見つめていたいと思う心とは裏腹に、体は勝手に莉花から視線を逸らしていた。

 思考と行動が一致しない。その事実に、信吾はいよいよ自分がおかしくなってしまったのかもしれないと思った。

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