第3話 一目惚れ(?)
〈夜刀〉とは、戦後まもなく誕生した、裏社会限定の用心棒を斡旋する闇組織だった。
裏社会の人間が警戒する相手は、警察は言わずもがな、ヤクザの鉄砲玉や殺し屋なども含まれている。
いずれも厄介極まりない相手に違いなく、だからこそそれらの脅威から己を護ってくれる用心棒の存在は重宝されていた。
特に〈夜刀〉の用心棒は、徒手による護衛を基本としているのでどのような場所でも
警察も、〈夜刀〉の用心棒のせいで裏社会の要人を取り逃したことは一〇度や二〇度ではきかず、最優先に潰すべき闇組織の一つとしてマークしていた。
それほどまでに質の高い用心棒を、〈夜刀〉はいったいどのようにして確保しているのか。
方法は至って単純。組織が才を見出した者をスカウトしたり、身寄りのない子供を引き取って、組織内で鍛え上げているのだ。
〝S〟こと梶原信吾は、まさしく後者の手合いだった。
公園のトイレに産み捨てられていた信吾を偶然発見した〈夜刀〉の構成員が、これ幸いと保護し、一流の
そうした経緯もあって〈夜刀〉時代の信吾に名前はなく、用心棒として仕事する際は基本的に偽名を使う決まりになっていたため、便宜上信吾は組織内では〝S〟と呼ばれていた。
信吾のように名前もわからない赤子を〈夜刀〉が引き取ることも、アルファベットの一字で呼ばれることも希有な話ではなく、信吾が〝S〟の字をあてがわれたのは、その一字が空いていただけにすぎなかった。
一方で、信吾の対人戦闘における才は、〈夜刀〉の長い歴史から見ても希有なものだった。
一二歳という若さで〈夜刀〉の用心棒として現場に出ることを許されたのも、そのわずか二年後に〈夜刀〉屈指の実力者になったのも、〈夜刀〉の歴史上信吾が初めてだった。
子供で白髪という見た目から、いつしか裏社会において信吾は〝
裏社会という観点から見れば、信吾の人生は順風満帆と言ってもいい。
だが、物心ついた時から苛酷な訓練に明け暮れ、〈夜刀〉の用心棒になってからは
組織の
命のやり取りのない世界で、使えようが使えまいが子供が捨てられない世界で、普通に生きたい――心の底からそう思った。
そして、信吾は〈夜刀〉から脱走することを決意し――……
(ここが、今日からオレが通うことになる学校ですか)
多くの新入生が期待と不安を胸に、
普通に生きたい信吾にとって、学校に通うことは夢であり、念願と言ってもいいものだった。
にもかかわらず、
(何の感慨も湧いてきませんね……)
生まれてこの方一四年近く〈夜刀〉に身を置いたことで、心が摩耗したという側面も確かにある。
だが、夢であり念願でもある学校に通うことになったにもかかわらず何の感慨も湧かないのは、生まれてこの方ろくに感情を露わにしたことがない信吾の気性によるところが大きかった。
事実、信吾は用心棒の仕事で負傷しても、眉一つ動かしたことはなかった。
大口の仕事をやり遂げた時も、達成感一つ湧いてこなかった。
女性の裸体を目の当たりにしても、自分以外の同性がいったい何に興奮しているのか毛ほども理解できなかった。
(最早何も感じられないくらいに、人として壊れてしまっているのかもしれませんね……)
そのことに、信吾は少なからずショックを受ける。
一方で、たとえ少しでもショックを受けている内は、人としてまだ壊れきっていないと自分に言い聞かせる。
ついでに、もう一つ言い聞かせる。
学校に通えるようになったのに何の感慨も湧かないのは、自分が思い描いていた普通の学校生活とは大きく違っているせいにあるかもしれないと。
自分が学校に通えるようになったのは、〈夜刀〉を脱走して、この手で倒した巨漢の追っ手――西岡宗一を背負って警察に出頭し、紆余曲折を経て警察上層部と取引を交わしたからに他ならない。
取引の際に信吾が要求したことは、表社会で普通に生きることと、西岡宗一の治療と保護の二つ。
見返りとして、自分の知りうる限りの〈夜刀〉の情報を提供する旨を、交渉相手の警察関係者――確か警視庁公安部のお偉いさんだったと思う――に伝えた。
いくら〈夜刀〉の用心棒として指折りの実力を有していても、信吾はまだ子供な上に、交渉ごとそのものの経験が皆無。そのせいで、見返りにおいては情報提供のみならず、〈夜刀〉の潰滅にはできうる限り協力する旨も盛り込まれてしまった。
〈夜刀〉を潰したかった信吾は協力すること自体は吝かではなく、実際取引どおりに協力した――さすがに現場に立つような真似はさせてもらえなかったが――ことで、警察は〈夜刀〉の本部を制圧することに成功し、組織のボスを筆頭に多くの幹部を逮捕することができた。
問題は、その後にあった。
本部を失ったことで〈夜刀〉は組織として致命的な打撃を
信吾の情報や、制圧した本部の資料だけでは、〈夜刀〉という組織の全てを網羅することはできず、そもそも本部にしても全ての構成員を逮捕できたわけではないので、残党と呼ぶには多すぎる数の構成員が闇に紛れてしまった。
その残党を一人でも多く釣るために、警察上層部は信吾が通うことになる按樹高校に〝S〟が入学するという情報を裏社会に流した。
按樹高校自体、信吾のようなワケありの子供を大勢受け入れている、その筋では有名な高校だった。
そういった部分も含めて、信吾が思い描く普通とは程遠い学校生活が待っているのは火を見るよりも明らかだった。
だから信吾は、何の感慨も湧かないのは仕方のないことなんだと自分に言い聞かせながら、校内を進む他の新入生たちの流れに乗って、新入生のクラス分けの発表用紙が貼り出されている、校舎玄関脇に設置された掲示板を目指して歩いていく。
掲示板の前にはすでにもう人だかりができていたが、自分の視力ならば多少離れていても充分確認できるので、人だかりの後方からクラス分け発表用紙に目を通すことにした。
幸い、最初に目を通した一年一組に名前があったため、すぐに確認を終えることができた。
入学式が始まるまでは教室で待機する旨は事前に伝えられていたので、信吾はさっさと校舎に向かおうとするも、
「一組か……」
横合いから気怠げな女の子の声が聞こえてきた瞬間、なぜか、思わず、足を止めてしまう。
聞き覚えがあったわけではない。
強いて理由を挙げるとすれば、女の子の口から自分と同じ一組の名が出てきたからつい足を止めてしまったと言えなくもないが、それは信吾自身も納得できない程度に弱い理由だった。
だったらなぜ?――そう疑問に思いながら、信吾は声が聞こえた方に視線を送る。
そこにいたのは、ウェーブのかかったショートボブを、ベースカラーを茶色に、裾カラーを水色に染め、首にベルトチョーカーを巻いた、ちょっとパンク系が入っている女の子だった。
顔立ちは年相応に幼さが残っているものの、
その女の子を視界に収めた瞬間――
信吾の心臓の鼓動が、周りに聞こえるのではないかと危惧するほどに賑やかになった。
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