第2話 保護者

「ごめんね~。入学式一緒に行けなくて」


 朝食を食べ終えて入学式に向かう信吾を玄関先で見送りながら、恵は申し訳なさそうに謝る。


「構いませんよ。保護者が露出狂と知られたら、いくらオレでも明日からどんな顔をして学校に行けばいいかわからなくなりますから」

「いや、今はちゃんと服着てるから」


 と、ツッコみを入れる恵は、上はブラウス、下は伸縮性の高いストレッチデニムを履いた、見るからに動きやすそうな服装をしており、髪もポニーテールでまとめていた。


「忘れ物はない?」

「ありません」

「よし、そんじゃいってこ~い」

「いってきます」


 信吾はこちらに向かって小さく会釈してから、気負いも高揚もない淡々とした足取りで、これから通うことになる学び舎を目指して歩き去っていった。

 信吾の姿が見えなくなるまで見送り、家の中に戻ろうとしたところで恵のスマホが震動する。

 画面に映る「課長」の二文字を見て、「やっぱり」と独りごちながら通話に出る。


「狙い澄ましたようなタイミングですね、課長」

『実際狙っていたからな。で、〝〟はもう学校に行ったのか?』


 スマホのスピーカーから聞こえる中年の課長の言葉に、恵は露骨に眉をひそめる。


「行きましたけど……今のあの子には、梶原信吾というれっきとした名前があります。今度その呼び方したらはっ倒しますよ?」

『電話口でもか?』

「今からそちらにお伺いいたしましょうか?」


 今からはっ倒しに行くと宣言する恵に、課長は沈黙する。

 さすがに気まずかったのか、沈黙が長引く前に課長は露骨に話題を変えた。


『相変わらず子供には優しいな。我らが捜査一課のエース殿は』


ですよ。今はこんなザマだから、そもそも一課に戻れるかどうかもわかりませんし」

 そう言って、恵はかけているサングラスを指でコツコツと叩く。

『やはり、目の具合は良くないのか?』

「視力がけっこう落ちたのもよろしくないですけど、光が異常に眩しく感じるのがしんどいですね。医者も回復する見込みは低いって言ってましたし、とりあえず今は信吾くんの面倒見ながら、これからの身の振り方を考えようかと思います」


 極力軽い調子で言ったものの、電話口の課長が気まずそうに口ごもったことを察し、恵は小さくため息をつく。


 梶原恵は警視庁所属の刑事であり、捜査一課で随一の検挙率を誇っていた俊英だった。

 しかし一年前、事件で爆弾魔を追っていた際に、相手が仕掛けた爆弾の爆発に巻き込まれてしまい、両目を負傷。

 それが原因で視力が低下した挙句、光が過剰に眩しく感じるようになってしまい、サングラスが手放せない体になってしまった。


 現場でやっていくのは難しくなったものの、梶原恵が刑事として優秀だった事実は変わらない。

 だからこそ適任だと考えた警察上層部は、とある任務を彼女に持ちかけた。

 恵が両目を負傷したタイミングと同じ時期に、〈夜刀〉と呼ばれる闇組織を脱走し、形式上は警視庁が後見人になった少年――〝S〟の保護者を務めるという任務を。


 そうした経緯があったことを、それこそ誰よりもよく知っている課長は、気まずさを紛らすために再び露骨に話題を変えてくる。


『ところで梶原、〝S〟とは上手く――』

「はい?」


 ひどくドスの利いた「はい?」に、課長は慌てて咳払いをしてから言い直す。


『信吾君とは上手くやれているのか?』

「ボチボチってところですね。生まれて初めて学校に行くってのに緊張も興奮もしない程度には可愛げがないですけど、根は良い子ですし、わたしより家事ができるから手もかかりませんし。……出会った当初に比べたら、わたしに対して妙に辛辣になっている気はしますけど」


 最後の愚痴を聞いて、課長はカラカラと笑った。


『そうか。信吾君の方も、それなりに心を開いてるようで安心したぞ。彼のを考えると、安心して帰られる場所があることは大きいからな』


 満足げな課長とは対照的に、恵は不服そうに押し黙る。

 電話越しからでも察した課長が、神妙に訊ねてくる。


『やはり、今でも納得してないか? 使

「そりゃもう。〈夜刀〉の本部を押さえることができたのは、信吾くんのおかげですからね。残党が信吾くんのことをどれだけ恨んでるか、わかったもんじゃありませんから」


 やはり不服そうに、恵は肯定する。


『他ならぬ信吾君自身が了承している話だからな。それに〈夜刀〉の残党をどうにかしないことには、信吾君を本当の意味で社会復帰させることはできない。そこは諦めろとしか言えないな』


 恵はますます不服そうな顔をするも、やがて諦めたようにため息をつき、投げやり気味に応じる。


「はいはいわかりましたよ。ったく、残党なんて残ってなかったら、わたしも信吾くんと一緒に入学式行けたのに……」

『お前は〈夜刀〉の本部の連中とは何度もやり合ってるからな。サングラスで誤魔化すにしたって限度というものがある。そこも諦めろとしか言えないな。というかお前、そんなに信吾君の晴れ姿が見たかったのか?』

「それもありますけど、ほら、わたしって美人じゃないですか。だから、ああいうところに行くと自然と注目を集めて……これがなかなか気分が良いんですよね~」

『良い性格しすぎだろ。ったく、そんなんだから来年で三〇になるってのに、ろくすっぽ男が寄りつか――』

「はい?」


 先程よりもさらにドスの利いた「はい?」に、課長は戦慄とともに口ごもる。

 さすがにまずいと思ったのか、課長は慌ててまたまた話題を変えた。


『と、ところで、西岡にしおか宗一そういちについてだが――』

「目を覚ましたのですか!?」


 思わず、食い気味に訊ねてしまう。


 西岡宗一とは信吾とともに警察に保護された、体の大きな青年だった。

 聞いた話によると、西岡宗一は、信吾が〈夜刀〉を脱走した際に追っ手としてやり合った相手らしく、実力が伯仲していたせいで信吾も手加減ができず頭部に重傷を負わせてしまい、その怪我がもとで一年経った今でも意識が回復する兆しすらないとのことだった。


 罪悪感からか、信吾は常日頃から西岡宗一の容態を気にしており、そのことを知っていた恵は西岡宗一に関する情報は耳に入り次第、彼に伝えるようにしていた。

 食い気味になってしまったのも、そうした事情があってのことだった。


『いや、まだ目は覚ましていない。だが、警察病院から脳神経に強い一般の病院に移ることが決まってな』

「それは……朗報かどうか微妙なところですね。半年前でしたっけ? 一般の病院に入院させていた西岡くんに、〈夜刀〉の残党と思しき人物が接触してきたって事件があったのは」

『ああ。それがあったから、設備が整っていないことを承知した上で、西岡宗一は警察病院に移送されたわけだが……』


 言葉を濁す課長に、恵はサングラスの下の目を据わらせる。


「まさか、彼のことも餌にするつもりですか?」

『……上層部うえの命令でな』


 思わず、片手で頭を抱えてしまう。


「警護はつくんでしょうね?」

『さすがにな。……餌に引っかかった魚を釣り上げる人間も必要だからな』


 ますます、頭を抱えてしまう。


「今度そちらに顔を出すって、上層部うえに伝えといてくれません?」

『頼むからやめてくれ』


 二人して、深々とため息をつく。


『とにかく、信吾君のことは頼んだぞ』

「言われなくても頼まれてあげますよ」


 そんなやり取りを最後に、通話が切れる。

 恵はやるせなさを乱雑に頭を掻くことで誤魔化すと、今一度信吾が去っていた方角を見つめてから家の中に戻っていった。

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