水族物語

紅杉林檎

海中に沈む

「間も無くー真海〜真海〜でございます。お出口は右側です」


 物静かな車内に録音音声のアナウンスが木霊する。真海駅、俺の目的地だ。

 開いていたスマホの電源を落とし、出発準備を着々と進めていった。今日は待ちに待った綿津見水族館の開園日、開演前から日本最大級と銘打たれていた水族館とはどれほどのもんか、大の水族館好きとして行かない訳が無い!


「はぁーあちー」


 電車の出口が開き、真海駅のホームに足をつける。涼しかった車内とは一転、ジメジメとした暑さが襲いかかる。やんなるね、毎日こうだと。交通系ICカードを使って改札口を通り抜ければもうそこは水族の街、真海街だ。青空を反射したかのように青々としたタイルがびっしりと敷き詰められた道をしばらく歩いた。

 今日はいい天気だな。雲一つ無く、快晴だ。薄らと青空に被さる雲のベールも、夏の快晴特有だ。

 真海街自体、都心に結構近いがそこかしこにビルがそびえ立っている訳でも無く、街全体の雰囲気は郊外の駅と酷似している。初めて訪れる街の風景に見惚れていたら、ポケットが何やら存在を訴えている。おそらく着信だ。誰だ、人の優雅な鑑賞時間を遮るのは。

 渋々ポケットからスマホを取り出し、着信マークを指でなぞる。掛けてきたのはこの後、綿津見水族館にて合流予定の中学からの友達、武蔵だった。通話が始まると同時にスマホから聞こえてくる驚きの声量で喋る武蔵の声。毎度の事だからもう慣れたが外だと漏れてないか不安になるな......


「おー! はー! よー! うー!」


「ついに来たな、この時が!」


「今日はいつになく元気だな、お前ってそんなに水族館に熱がある奴だったけ?」


「いやよぉ、凛に綿津見水族館に行こう! と誘われた日からせっかく金払って行くなら骨の髄まで楽しみたいと思ってよぉ休日とかに一人で水族館巡りとかしてたらワクワクが増幅しちまったみたいなんだ! もぉ早く中に入りたくて仕方ないぜ〜」


「そうか、嬉しいよ、親友が水族館の魅力に気付いてくれて」


「そんじゃ予定通り、綿津見水族館のシロイルカのオブジェ前に集合ね」


「了〜解!」


 トゥルンという音を皮切りに終わった武蔵との通話。まぁ、ちょうど街並みにも飽きていた頃だったし、綿津見水族館に直行するか。


【ようこそ、日本最大級の水族館、綿津見水族館へ】


 と、デカデカと書かれたゲート。シロイルカのオブジェが天に向かっておちょぼ口を上げている。その近くにはよく見知った顔があった。どうやら先手を取られたようだ。手を振りながら武蔵の元へ駆け寄った。


「ごめん、ちょっと道に迷ってた」


「へーきへーき、オレもちょうど着いたとこだし」


「そんじゃ行くか......」


「綿津見水族館に!!!」


 好奇心旺盛な人間が各方面から集まり、我先にとガラス越しの海洋生物、深海生物を目に焼き付けている。かくいう俺と武蔵も同類だ。皆が血眼になりながら覗くガラスの奥で悠々自適に海中を泳ぐ魚。心做しか魚の顔の表情が俺達人様を馬鹿にしているように見えた。

 ガラス越しに築かれた主従関係、もしこのガラスが無くなって魚が俺達と肩を並べようものなら問答無用で捌く。この世は弱肉強食、強き者が生き、弱き者は淘汰される運命なんだ。


「凛ー! こっちにマンボウいるぜー!」


 マンボウ、か。あの類稀なる巨体のせいで小回りが効かずにそのまま水槽に激突してしまう面白い魚。よく、マンボウの水槽にあるビニールは「マンボウフェンス」と呼ばれていてあの巨体から水槽を守る為の役割と何度も何度もガラスという砂の結晶体に体を打ち付けるから当然、マンボウ自身も傷付く。だからビニールを貼ることは水槽とマンボウを守れて一石二鳥なんだ。

 マンボウは実態を知れば知るほど面白さが増していく奇妙な魚だ。と呼ばれるマンボウはネットでも人気者で「朝日の光を浴びて死亡」や「体表にくっ付いた寄生虫を殺す為、ジャンプ。が、水面に激突して死亡」とか「小魚の骨が喉に詰まって死亡」などなど......摩訶不思議な話が電子の海に転がっている。実際のとこはそんな弱くないんだけどね。顔も相まって現実リアルでも電子ネットでも愛されている。魚界のアイドル的存在なんだ、マンボウって。かくいう俺も好きな魚だ。


「コイツさーほんっと面白いよなー!」


「それはマジで同感。あっ次あそこ行かない?」


「うん?」


 俺が指差したのは綿津見水族館の目玉とも言える日本最大級の水槽、その名も【マザーシー】。【マザーシー】はただのデカイ水槽では無い、実際の海の生態系を忠実に再現したいわば。水槽を作るのに土地はもちろん、生態系を忠実に再現する為に様々な機械、そして海洋生物、海藻などなど開発に五億円、この設備を維持するだけでうん千万円かかるというだから、末恐ろしい。


『おぉーーー!!!』


 目の前を泳ぎ去っていくジンベイザメ、イワシの群れを掻き分けるホオジロザメ。彼らに見向きもせず腹を露出させるアカエイ。目の前に立体的に広がった海底に俺と武蔵は目を奪われた。首を動かさなけば見えない箇所が数えきれない程ある....流石、海の生態系を再現した水槽、目線を少しずらしただけで別世界だ......!


「どこまで楽しませてくれるんだ....! 綿津見水族館ここはよぉ......!」


「激しく共感..........!」


【マザーシー】にどっぷり浸かった俺達。時間を忘れる程に夢中だったらしく、気づいた頃には周りから人がいなくなっていた。

 スマホで時間を確認すると十三時と表示されていた。何だ、まだこんな時間か。えーと確か入館したのが十一時だったからー......まだ二時間ぐらいしか経っていないのか。閉館時間が二十一時だったな、まだまだ余裕があるな。

 うん? ちょっと待った、閉館間際じゃ無いのに何故ここまでヒト気が無い!? オープン初日だってのに、おかしいぞ!? 幾ら人気が無い水族館でもこんなに過疎っていないぞ!?

 現在時刻を知った事で俺の脳内で輪郭を帯び始めた


「りーんー!」


 いつの間にか傍から姿を消していた武蔵が走って戻ってきた。


「はぁ、はぁ、やべぇ事が起きてるぜ......凛....!」


「そんなに息切れして......一体どうしたんだよ武蔵....!」


「......人が!」


「あぁ、人がどうした......!」


「この水族館からぁ....!!」


「っ....な、ん......!?」


「嘘じゃねぇこれはマジだ! 出口も消えてたし......」


「どうしよう凛、オレ達閉じ込められちまった!!」


 武蔵の証言が出てくる度、俺が抱いた違和感は明らかなものとなっていった。

 俺達は、綿津見水族館にてようだ......!

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