第3話 悠々自適な独身生活
ヴィオラは貴族学校を卒業後、無事グリッジ大学に入学した。予定通り家を出て、今は大学の寮に住んでいる。
もちろんヴィオラの両親は大学入学に猛反対した。案の定、ヴィオラをすぐ他の令息に嫁がせようとしていたようだった。しかしヴィオラは彼らに一切取り合うことなく、家出同然で大学寮に転がり込んだ。家を出てしまえば、こっちのものだった。
その後のヴィオラの大躍進は凄まじいものだった。
まずは飛び級で大学を卒業。それもたった一年で。これは前代未聞だった。
その後は、入学を推薦してくれた教授の元で二年間研究を重ねた。そして、何報か出した論文のうちのひとつが大きな功績となり、これまでの成果が認められいきなり准教授の地位を与えられた。
この大学では、准教授以上の地位があれば自分の研究室を持つことができる。それからヴィオラは世話になった教授の元を離れ、「リーヴス研究室」という自分の城を築いたのだった。
そして、自分の研究室を持って一年が経った現時点で、ヴィオラが家を出てから四年の月日が流れていた。
研究室のデスクで論文の執筆をしていたヴィオラは、大きく伸びをして一息つく。
(独身生活最高……!)
身なりを整えなくとも誰にも小言を言われない。男勝りな言動を咎める者もいない。
家を出てからというもの、ヴィオラはストレスフリーで自由気ままな研究生活を送れており、今までの人生で最も幸せな時間を過ごしていた。
しかし、妹のキャロルとだけは未だに縁を切ることができずにいた。彼女のしつこさはもはや執念かと思うほどで、ヴィオラの出世を聞きつけ、なんと大学にまで嫌がらせに来たのだ。
自分の研究室ができた最初の頃は、リーヴス研究室には数人の学生が所属していた。新進気鋭のヴィオラに憧れ、まだ駆け出しの研究室へ所属を希望してくれたのだ。
すると、程なくしてキャロルが研究室に顔を出すようになった。准教授への出世と研究室を持てたお祝いという
その後、それほど日が経たないうちに、学生が一人、また一人と研究室を去っていた。キャロルがあることないことヴィオラの悪口を言いふらしたからだ。
タチの悪いことに、その悪口は学生を気遣っているように見せかけた言葉だったので、話を聞いた本人たちはキャロルに一切の嫌悪感を抱かなかった。それは彼女がよく使う手で、キャロルは自分が嫌われないようにしつつ誰かを蹴落とすのがとてつもなく上手いのだ。
『お姉様って、昔からとても厳しい人だったから……あなた達は大丈夫? 楽しく過ごせてる?』
『昔、お姉様に出来損ないだってぶたれたことがあって。もし困ったことがあったらいつでも言って。私からお姉様に進言してあげるから』
ヴィオラの人間性を知っている人ならどれも嘘だとわかるものだったが、出会ってほんの少しの学生たちが真偽を見極められるはずもなく。
ヴィオラがキャロルを止めなかったのは、止めたら止めたで『私はただお姉様をお祝いに来ただけなのにあんまりだわ』と言って被害者ヅラするに決まっているからだ。一度キャロルの言葉を信じた学生たちを引き止めるのも難しいだろう。そのため、ヴィオラは学生たちが去っていくのをただただ傍観していた。
そして学生が全員去っていって、リーヴス研究室はヴィオラと秘書の二人だけになった。その結果にキャロルは満足したようで、最後にほくそ笑みながら『お姉様ったら、学生たちにも逃げられて本当にお可哀想ね』と言って去っていった。それっきり、彼女は姿を現していない。
ヴィオラはこうなることが最初から読めていたので、全くダメージは負っていなかった。学生がいなくとも、研究は自分一人で進めればいい。
だが、一つだけ困ることがあった。ヴィオラの魔力量はそれほど多くないため、大規模な魔術実験をする際にヴィオラ一人では魔力が足りないことがあるのだ。そのため、そういう時にはバイトを雇って対応していた。
「先生、またご実家からお手紙が……」
そう声をかけてきたのは、この研究室の秘書であるローリンス男爵家のグレイス夫人だ。年齢は四十四歳で、ヴィオラと歳の近い息子と娘がいるらしい。彼女はヴィオラより二回りも歳上で、かつ彼女の面倒見が非常にいいこともあり、第二の母親のような存在でもあった。
グレイス夫人は数年前に王立研究所からグリッジ大学に移ってきた優秀な人物だ。ヴィオラが准教授になってからというもの、雑務も随分と増えてしまったのだが、彼女が支えてくれている部分がかなり大きかった。
「ありがとうございます」
そう言って封書を受け取り一応中を確認すると、案の定、次の縁談の話だった。
この四年の間、幾度となく両親から結婚を催促されたが、ヴィオラはそれらを全て無視していた。幸運なことに、両親はジョセフとの婚約破棄を承諾した手前、ヴィオラに対して多少の罪悪感があるようで、無理やり引っ張ってまで連れ戻すような真似はされなかった。
(二十二歳で完全に行き遅れだし、そもそもこんな女らしくない女、誰も嫁に欲しがらないだろうに)
ヴィオラは手紙を机の脇にポイと放り投げると、グレイス夫人に向かってやれやれという風に苦笑を浮かべた。
「全く、懲りない人たちで困ります」
「本当に、勝手な方達ですこと!」
婚約破棄など諸々の事情を知っているグレイス夫人は、少し憤慨した様子でそう言った。
「でも元婚約者様も去っていった学生たちも、本当に見る目がないですわね。先生はこんなにお綺麗で中身もとっても素敵な方なのに」
「こんな化粧っけがなくて男勝りな女なのに?」
ヴィオラがまた苦笑を浮かべると、グレイス夫人は人差し指を立てながらずいっと前のめりになる。
「先生はご自分のことを卑下しすぎです。先生はお化粧なんかしなくとも、元々がとってもお綺麗なんですから! それに、サッパリとした女性を好まれる殿方だってたくさんおりますわ」
グレイス夫人が指摘した通り、ヴィオラの顔は控えめに言っても整っている方だった。
眼鏡の奥の空色の瞳は大きく切れ長で、可愛らしいというより美しいといった印象を与えている。プラチナブロンドの髪は艷やかで、無造作に結ばれていてもその美しさは損なわれていない。肌は透き通るように白く、化粧などしなくとも玉のような輝きを放っていた。
「まあ、いずれにせよ、私は結婚とは無縁の人間ですよ」
ヴィオラがこの話を切り上げようとすると、グレイス夫人はより一層腹を立てた様子で眉を吊り上げる。
「それもこれも、全てあの妹君のせいではありませんか! ああっ! 思い出すだけで
グレイス夫人は、ヴィオラの婚約破棄の件や学生が去っていった件を受け、キャロルのことを心底嫌っていた。
今まで妹の所業に腹を立ててくれた人はいなかったので、ヴィオラはそれだけで随分と心が救われている。グレイス夫人は妹の毒牙にかからなかった珍しい人物の一人なのだ。
彼女をどうなだめようかと苦笑していると、低く聞き心地のよい男性の声が聞こえてきた。
「先生、今よろしいですか?」
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