日向夏の病

ツバキ丸

日向夏の病 本編

「えっ…?今なんて言った?」


泣き崩れる母と共に、父は小学六年生の僕、美波蓮に告げた。


「日向は病気を患っていたんだ。余命一ヶ月。残り一ヶ月で、日向とは二度と会えなくなる。」


日向は、僕の双子の妹だ。今日、体調が悪くなって学校を早退した後、病院で検査を受けたらしい。その時に、肺癌だと判明したという。

どうりで、最近咳ばかりしていたわけだ。


「え……?昨日まであんなに元気だったのに………?」

「………明日、お見舞いに行くから優しくしてあげなさい。」


日向の余命は、あと一ヶ月。僕はその現実を受け入れられていなかった。

だからこそなのかもしれない。

日向にあんなことを言ってしまったのも。

 

***


「日向!容体はどう?」


僕はあの日から毎日、日向のお見舞いに行った。



「やっぱり、蓮のピアノは綺麗だね」


僕は小さい頃からピアノが大好きで、いつもピアノを弾いていた。

病室に設置してもらったピアノで、僕はいつも日向の好きな曲を弾いていた。


「……そうかな?」


「うん、すごいよ。私と比べたら。」 


昔は日向もピアノをやっていた。でも、僕のピアノを見て劣等感を感じたらしく、二年前に辞めてしまった。


僕は日向のピアノが本当に好きだったので、それを僕なんかと比べて辞めてしまったことをあまり良く思っていなかった。


だからこの時も、それが原因で喧嘩になったのだ。


「日向のピアノの方が綺麗だと思うよ。」

「いや……蓮のピアノの方が綺麗だよ。私なんかと比べたらさ。」

「本当にそんな事ないよ。だからさ、日向もまたピアノ弾いてよ。」


そんなふうに、会話はどんどんヒートアップしていって、遂には日向に酷い事を言ってしまった。


「日向は僕の気持ちをわかってないんだよ!」


その言葉を口にした瞬間、日向はとても悲しそうな表情をして泣き始めてしまった。

僕は気まずくなって、一目散に病室を出る。


「わかってないのは蓮の方だよ!」


去り際に聞こえた日向の声は、僕とはとても程遠いもののように感じた。


***


「はぁ……」


僕は、公園のブランコに揺られながら、僕は考える。

『わかってないのは蓮の方だよ!』


どうして日向はわかってくれないんだろう。

僕の弾いてるピアノなんかより日向の弾いてるピアノの方がずっと綺麗なのに。


そんなことを悶々と考えていると、一人の女の人が来た。

僕は、何だかこの人の顔が日向に似ている気がして、


「何をしているの?」


日向に似ている女の人は、僕に対してこう問いかけた。


「それが————」


日向のこと、病気のこと、喧嘩をしてしまったこと………。


僕は、それらを包み隠さず全て話してしまった。今思えば見知らぬ人に話すのは迂闊だったなと思う。


「それは、私はどっちもどっちだなとは思うね。」


僕は、ほらねと思った。

日向が全部悪い。僕はそう意地を張っていた。


「でも、日向ちゃんさ………病気で、それも後少ししか生きられないって言われて………一体どんな気持ちで過ごしてたのかな。」


そのことを言われて、僕はハッとした。


確かに、病気で、しかも余命一ヶ月で。

今まで出来ていたことが全部できなくなったら、一体どんな気持ちになるだろう。


そんなことを考えたら、僕は少し恐ろしくなった。

僕だったら…と。


「僕、謝ってくる。日向に、ごめんって伝えてくる」


僕は女の人にそう言って、病院へ駆け出した。

日向に似た女の人は、またね、といつまでも手を振っていた。


***


僕は、病院の受付を済ませて、日向の病室に行った。


廊下で、病室からの声に気づいた。


「日向………どうしてだよ。」

父さんの声だ。何やら深刻そうだった。


「まさか……」

そう思った僕は、すぐに病室へ駆け出した。

病室には、お医者さんと両親、そして人工呼吸器を付けた日向がいた。

日向の口につけられた管が、僕の心臓の音を急かしていく。


「日向!」


僕は日向に駆け寄った。息はしていたが、目は閉じたままだった。


両親は泣き崩れ、心電図は段々と元気をなくしていく。

「ごめん、本当にごめん。日向、謝るから………。」


僕は、日向の気持ちを考えずにひどい事を言ってしまった。


「お願いだから、返事してよ………。」

お願いだよ……もう少しだけでもいいから生きてよ………。


「日向……?」

日向は、そっと目を開けて、口をぱくぱくさせる。

………咳き込みながらも、とても一生懸命に。


「………!」

日向は、ピアノの方を指差した。


最期に弾いてほしい、とでも言うように。


「……わかった。」

僕は頷きながら、ピアノの椅子に座る。


両親も、お医者さんも、看護師さんも、止める人は誰一人居ない。

しんとした病室の中で、僕は弾き始める。


『夏の夕べ』

日向が、ずっと好きだった曲。


病気が発覚してからも、日向は周りに不安を見せなかった。

今思えば、気を遣っていたのだろう。


ピアノを弾いていると、日向と過ごしてきた十二年間を思い出して泣きそうになる。


ここは我慢だ。さっき喧嘩してしまった分、笑顔で送り出したい。

でも、だんだんと視界は滲んで来て、遂には涙がポロポロと溢れる。


それでも、弾かなきゃいけない。これが僕が日向の最期にできる事だ。


曲が終わる。


幸せそうな顔で眠る日向を見て、僕は大声をあげて泣いた。


***


「………日向が亡くなって、もう一年か。」

眼鏡をかけた父さんは、少し悲しそうな顔をした。

日向が病気になる前に父さんがやっていたタバコは、もうすっかりやらなくなっていて、臭かった煙の匂いも、今では心地いいオレンジの香水の匂いに変わっていた。


「そうね。日向、あの世でも元気にやっているかな。」

母さんも、日向が病気になって、どんどん痩せていってたが、もう割り切ったらしく、すっかり元に戻っている。


日向の亡くなったお盆休み。墓参りに来た僕たち家族は、すっかりあの時とは変わってしまっていた。


「日向。」


日向の墓標に花を備えた後、本当にいろんな事を話した。


予定していたピアノコンクールで金賞を取ったこと、沢山勉強して偏差値の高い中学校に合格したこと、友達がいっぱい出来たこと…………。


その全てで、日向が生きていたらと考えた。


「………もっと、生きていてほしかったな。」


本当は、そう思う。

みんな口に出さないだけで、多分父さんと母さんもそう思っていると思う。でも、僕らは前を向かなければならないのだ。


落ち込んでいても、塞ぎ込んでいても、結局はどうにもならない。

前を向いて、歩いていかなければならない。

だから、天国に居る日向にも、前に進んでいって欲しいと思う。

でも、それでも。時々日向が生きていたらどんな感じだっただろうと考える僕が居るのだ。

僕も、もしかしたら日向と同じように病に罹っているのかもしれないな。




日向の病気、名付けて、日向夏ひゅうがなつの病に。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

日向夏の病 ツバキ丸 @tubaki0603

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画