第2話
「じゃあなってみる? 私に♡」
ノノノはにやりと笑うと、小さな手を柳原に差し出した。その手を思い切りひっぱたたこうと思ったが、目の前の女性が自分のものだと思うとそれもなぜか躊躇われるのだった。実際、ノノノは柳原なのである。曖昧に手を空に位置させていると、握手の挙動と思われたらしく、ノノノはそのまま手を掴んできた。
「違う!」
咄嗟に叫んで手を引いたが、ノノノの体はすでに自分の腕に巻きついている。ノノノの腕はすでにMidjourneyの出す文字のように、柳原との境界を見失っていた。腕の感覚は生暖かい。特に、痛いとか苦しいとか、そういった感覚はわかなかった。現実に腕は溶けてばらばらになっているのに、腕は漠然と気持ちよかった。気持ち良い部分が体の中心へと競り上がってきて、柳原はAV女優のようにあえいだ。
「あ♡」
ノノノも同時に喘いだので、どちらが先にあえいでどのように影響を与えたのか、よくわからなかった。二人の身体がひとまとまりになって、柳原は引っ張られているような感じになったが、反面、ノノノの側から見れば柳原がそれを引っ張っているようだ。果たしてどちらが主導者なのか、それはわからなかった。人の合体は、定例会のようにまとめてくれる人はいないのだな。柳原はそう思った。
「定例会のようにまとめてくれる人はいないのだな」
ノノノはそう言った。そこには一人の女の子がいた。ノノノはファージャケットを羽織った子供のようである。空を仰ぎ見ると、星々が輝いていた。視野は明瞭になり、身体の調子もすこぶるよくなっていた。ノノノは、部屋の中をやたらめったらに歩き回り、これからどうすべきかということを考えた。本当に合体した。今や自分は身長が150cmにも満たない子供なのである。ロリコンであるノノノにとって、自分が現に性的関心の対象であるのはこれまでに経験したことのない出来事だった。なだらかな二つの胸が自分の眼下に広がっていた。下着の類いは特につけておらず丈の短いデニムパンツの締め付けが直に感じられる。
「悪くない気分だ」
とはいえ、それと現実的な処遇は別問題だ。ノノノはこの状態で「明日からの仕事はどうする」だとか「テレワークということにすればいけるか」とか、差し当たって融合状態が継続した場合にどうすればいいかのことを考えた。しかし、そうするとどうでもいいことばかりを連想的に考えて、まともに実行に移せなくなってしまうのだ。たとえば、「あの電灯に向かって走って行ったらどうなるのか」とか、「会社前の階段ってゲームクリア後に行ける裏ルートだよな」とか、そういった本当にくだらないことである。それらのことは、実際に行動に移しても意味がないか面白いだけなので、結果として現実に起きる行動に意味のあるものは何もなくなってしまうのだった。
そのため、ノノノはしばらく体を部屋のあちこちに擦り付けたりした。30分程度、考えごとをしたりぼーっとしたりして、疲れたので寝た。月曜日、朝起きると鏡の中にはまだノノノの姿があった。おもむろにスーツを取り出してきて着ようとするが、そもそも自分の服を脱ぐことができなかった。ノノノのファージャケットは肌に張り付いたようになっていて、引っ張り続けると少し痛かった。恐ろしいことに、これ一つで彼女たちは生命体なのだ。吾輩は猫であるいわく、人間は衣服の生き物だということだが、今の自分の置かれた状況はそれさえ凌駕していた。美少女とは衣服の生き物である。
会社に行く気にはならなかった。かと言って、行かないわけには行かないものだ。
いつの時代も常識はずれは理解を、認識を乗り越えてやってくる。扉がやかましくチャイムを鳴らす。面白い物語を書きたければ、常に新規な事態に遭遇することだ。さもなければ、DVで存在ごとかき消えてしまう。期待外れな陳腐なんて許されない。何事も起きない話なんて、サイト上のどこにもなかった。
「キ……」
鍵を開けてもいないのに扉は空いた。そこには、極めて大きな体躯の女性が立っていた。200cmはあるだろう。それなのに、パーカーは萌え袖である。腰が高いところにある。等身は高い。ぼんやりとした表情がチー牛のようだった。
「あっ、ノノノさんもなったんですね。著者娘」
その声は、わずかにノノノにとって聞き覚えのあるものだった。女性らしく、また、可愛らしくなっていたが、それは同年代に執筆を始めたカリウム10のものである。
「その声は、まさかカリウム10さんですか?」
彼とは、直接会ったことが何回かある。最初は2018年の収デンだった。そのときに、若干女のような声に驚いて「もしかしたらアテレコで女の叫び声を記事に入れられるんじゃないですか」と言ってしまって、後で失敗したコミュニケーションであったと猛烈に後悔した覚えがある。しかし、コロナと就職のごたごたでその後はまるで会わなくなってしまった。特に、ノノノには財カツで時間を浪費することに後ろめたいものがあったので、ネット上ですらコミュニケーションを取ることはしなかったのだ。
「お懐かしい……。って、私のこと覚えてます? 批評であなたのフォーマットスクリューを散々批判したカリウム10ですよ」
今は女の見た目なので、逆に男のような声のする女になってしまった。彼女の記事を象徴する人骨が服装のあちこちに散りばめられていた。カリウム10は、記事中で人骨を出すことに熱心だった。
カリウムは、萌え袖のパーカーから手を取り出した。強引にまくり、白い手をあらわにした。白い手はそのままノノノの握手に向かった。ノノノの手は著者娘になってから、大幅に小さいものになっていた。カリウム10の大きな手に挟まれると否応にもそれを実感した。
「この体不便ですよねえ。私も服を脱げなくて困りました。実は脱げるらしいんですが、よくわからないです。一瞬で脱げたり着れたりすると便利なんですがね、まあ、私はノノノさんのように忙しい社会人じゃないですが……。なっちゃったもんは仕方ないです。ノノノさんも楽しみましょうよ」
「……。残してきた仕事があるんですよ。だから、テレワークということにしようと思うんです。ボイスチェンジャーでおっさんの声に変えて今から電話します」
「外見にこだわるなんて、今の時代でもないですし」と言い添えた。ノノノは、会社の人のことを実力主義だと思う。妊娠休暇、育休、その他の諸々の制度はどちらかといえば優れていた。制度面から言えば、ノノノの会社はホワイト企業だった。しかし、残業は延々と減ることがない。誰も残業することを命令しないが、自然と、そうしないといけない雰囲気が蔓延しているのだった。だから、ノノノがこの格好のまま会社へ行ったとしても「誰しも空気のように気にすることはないだろう」と思っていた。どのような格好であれ、きちんと仕事をしていれば何を言うまでもないのだから。逆に、元の格好でも仕事ができなければ全てダメだったに違いない。
「格好を変えるくらいで全てが変わるなら、格好を変えなくても自力で変えられますよ。逆に、できないやつは何やってもダメなんです」
「そんなことないですよ!」
カリウム10は、手足をオモコロチャンネルのように大袈裟に振った。
「僕はこの体になれて良かったんです。今日は大学に行きたくなかったから」
そういえば、2018年の収デンのときカリウム10はすでに大学生だった。となると、6年以上大学を続けていることになる。医学生か、大学院に進学したのだろうか。
「院生ですよ! エログロが好きな男が医学生なんてやれるわけないじゃないですか! 法律で禁止されてますよ」
「だから、もういっそのこと俺自身が俺自身の好きなものになろうかと、首を吊ろうとしたんですけど」
「今の僕のような恵体の、女の子がどこからともなく現れて、体を代わってくれたんです。見てくださいよ、パーカーを外すと剥き出しの骨身が見えるんですよ」
カリウム10の体は、はらわたが剥き出しになったシャンデリアのようである。
「気持ち悪いですね」
「そうなんですよ」
ああ、じゃあこいつ本当にマゾなんだ。と、ノノノは思った。
「カリウムさんの言うことはわかりました。しかし、現実的な処遇の問題とは別ですよ。今後の生活だってあるんだし、何よりこのまま生きていけないですよ。カリウムさんだって、進めてきた研究とか生活とかあるでしょう」
「じゃあ本当に、このままノノノさんは会社へ行くんですね」
「テレワークですって」
「実は僕、ノノノさんが会社へ行くの止めに来たんですよ」
「な、なぜ……?」
「殺してやるっ!!!!」
カリウム10は、大ぶりに腕を降った。どこからともなく取り出してきたその包丁は、彼女の処女作だった。切ると死ぬ包丁は、あまりにもただのマジックアイテムだった。
「そういうのこっちは飽きてるんだからさぁ!」
N = 'N = false は、著者娘である carbon13 @carbon13
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