第22話
翌日には実家から下宿先へ戻ってきていた。その間に何かが戻ってきて、何かが戻ってこなかった。ただ、言いようのない不快感が体を襲っていた。
朝起きて、火の消えた心で、世界を見た。こんなにも変な色彩だったかと思った。過澄が死んでから三日が経っていた。
死んでからというもの、心に穴があいたような感覚が残って、そこから人生全ての活力とか元気とか、いわゆる生活の元のような物が垂れ流されているような気がした。実際、そうだったのだと思う。
僕は四日間大学へ行っていない。もうじき、テストが始まるはずだ。一年のころよりましになったとはいえ、手は抜けないはずだった。ただ、もうテストに向き合うほどの気力が僕には残っていなかった。ただ単純に、僕が根本的に何もない人間のような気がした。多分、彼女が最後言い放った言葉がはっきりと残っていた。僕は、特別になりたかったのだろうか。もっと、素晴らしい人間になろうとしていたのだろうか。完璧は、もう失われた。無駄を美しいと思える時間はもう失われた。そんな僕には何が残っているというのだろう。今の僕は過去の僕が思っていた特別や完璧とはほど遠い人間になってしまった。僕というものは、本当に間違いだらけで、救いようのない阿呆で、過澄という一人の人間に囚われた惨めな物だったのかもしれない。僕の人間的欠落部分が際立っただけなのかもしれない。
結局、僕はなにがしたかったのか。もう、自分でさえわからない。
スマホの通知が鳴って、メールが来た事を知らせる。画面には御木本の文字が映し出されていた。出席していないことを気にしているのだろう。珍しく、昨日と今日の講義内容のノートを送ってきてくれている。
ため息を付いて、既読だけ付ける。ノートの内容は見なかった。今更何をしたところで無意味に思えた。
ただ抜け殻のように過ごして、ぼんやりと天井を見上げていると着信が来た。面倒におもいつつ、電話を取ると聞き慣れた声が聞こえた。
「生きているのか」
御木本だった。
「一応」
「なら良い。飯は?」
「食べてる」
「なら良い」
それじゃあ、切るぞ。
素っ気なく切ろうとした御木本の言葉にねじ込むように声を漏らした。
「モラトリアムなんて無かったよ」
「……そうか」
御木本の声がノイズがかって聞こえた。マイクから離れたのだろうか。
「後悔は、そのままで良いのかもしれない」
「そうか」
それから十分ほど無言の時間があって、僕の方から切った。なんとなく、申し訳ない事をしたような気がした。
後悔は、後悔のままで良い。それはきっとエゴなのかもしれない。けれど、後悔を無くすことで自分が救われることがあるのかもしれない。たらればだから、美しく思えるのかもしれない。けれど、そのたらればが消えてしまえば、もう後悔が後悔と機能することもなくなってしまう。
頭の中で過澄聖の声が響く。うるさく響いて霧散する。過去がうるさく僕を支配する。それからはどうにも逃げられそうもなく、ただ悶々と天井を見上げているだけだった。
過去に苛まれていようとも、大学に行っていかなくとも金は必要なため、バイトに向かわなければならない。それは仕方ないことだけれど、少しだるかった。
「なんて表情してるんですか」
実浦さんから呆れたような表情を受けたのは、バイトの休憩中だった、バックヤードでぼんやりと曲も聴かずスマホもいじらず見つめている僕を見ての発言だった。
「同窓会なんて行かない方が良かったでしょう? あんな場所」
あまりにはっきり言うものだから思わず笑ってしまった。
「まあ、同窓会には行かなかったんだけどね。成人式はなかなかな場所だったよ」
僕がそう言うと、彼女は軽く笑って置いてある椅子に座った。
「そうでしょうね。じゃなきゃそんな死んだ魚みたいな顔になってませんよ」
僕はそれに意味なく笑い声を漏らした。こんなにも平坦な笑い声が自分から出たんだと自分でも驚いた。
「実浦さんはさ」
なにを言おうとしているんだろうと、ぼんやりと頭の中で考えながら口は動いた。多分、誰かに話したかったのだろう。
「だれかの願いを叶えようとして、それが間違いだったのかもしれないとか、その願い自体、あまり良くないことだったりとか、とにかく、それがあまり望まれない行為だとして、それを実浦さんは行動に起こす?」
言ってしまって、本当に何を伝えたかったのかわからなくなった。それを聞いてどうなるというんだろうか。
「……叶えるんじゃないでしょうか」
「それは、どうして?」
迷う素振り無く、彼女は言った。
「それは私にとってその行動は間違いではないだろうからです」
家に帰るとどっとした疲れに襲われた。理由はわからなかった。いつも行っている行為は何かしらの柱によって支えられていたのだろう。その柱、僕の場合は過去の行いだとかが悪い方向に影響してもう機能が失せたのだ。柱は柱としての機能を失い、ただの砂の山と化した。
僕は過澄聖と会って、彼女を透明にしたかった。志半ばで終わってしまった僕らの証をどうにかしてやり直したかった。後悔を無くしたかった。もう、今では意味が無いと心のどこかではわかっていても、してみたかった。
どうして、彼女は僕を落としたんだろうか。どうして彼女は、僕を。
ふと、実家からそのまま持ってきたバッグに手を伸ばす。中にはあのノートが入っている。
これを読めばなにかわかるのかもしれない。そのなに、がわかるのかわからないけれど、なにかわかるのかもしれない。
ページをめくる。めくる。めくる。このノートの頃からではなくもっとはじめ、僕が過澄聖と出会ったときのことまで遡らなければいけない。思い出せ、思い出せ。
そのときの僕は完璧を生きる上での信条としていた――。
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