第20話
同窓会に行く必要が無くなったため、僕は実家に帰る。家に帰ると、親に神妙な顔をされたが特になにも言われることもなく、淡々とスーツを脱いだ。昔着ていた制服みたいに適当に脱ぎ捨てて、適当な私服を着てノートに向き直る。はじめに、二つ折りの紙の中を確認する。紙の状態からして、最近の物だろう。宮枡さんが差し込んだものと思われる。開くとそこには住所と電話番号が書かれており、小さく「悪用禁止」と書かれていた。宮枡さんには全て見透かされていたみたいだった。否定しているようで、結局は彼女も同じだったのかもしれない。これはただの都合の良い自己解釈になってしまうが。
一枚、また一枚と黄ばんだ紙をめくる。すこし埃っぽい、独特の風味が鼻を突く。鉛の風化した匂いだろう。
紙の上にはあの日々の事が細かく書かれている。連累関係のこと、僕らの持っていた、叶えられなかった目標のこと、クラスが壊せなかったこと。実りのあることはそれくらいしか書かれていなかった。それ以外は僕らの些細なことばかり。意味の無い事ばかりが連なれていて、それが少し痛い。羞恥的なものではなく、感傷的な痛みだった。
僕はノートを閉じ、実家に置いてけぼりになっていたバッグにいれる。それに財布を入れて、スマホで時間を確認してから自室を出た。親は「また出てくの?」と聞いてきたが、その顔はどこか安心していたように見えた。同窓会に行くために出て行くと思ったのだろう。
「少しだけ。夜には帰る」
それだけ言って、家を出た。履きつぶした靴がやけにたよりなく、年明けの冷たい冬の凜然とした空気が僕の背中を引きとめているように思えた。けれどもう戻るつもりはなかった。引き戻ることなんてもう出来なかった。今から向かうのは死人のところで、彼女の魂を確認する作業みたいなもので、元々彼女の意思なんてものは存在していないし、僕の心の確認のための行動だ。自分を見つめ直す行動で、見つめ直した先に生まれた間違いを直していく作業だ。過去の裏切り的行為もきっとこれですべて丸く収まる。そんな気がした。
まわりのことなんてろくに確認せず、電車に乗り込む。席は埋まっていた。多くの人たちが華やかな姿でそこに僕のことは映っていないようだった。雑談には過去の花が咲いている。ドライフラワーのような儚い色素の抜けた美しさが脳内に染みついて色づけていく。
三十分ほど電車に揺られて、乗り換えをした。徐々に人が消えていって、景色が緑に変わっていく。日は落ち始め、わずかに世界を赤く色づけていた。
車両のなかに僕一人だけになったとき、目的地に着いた。そこはほとんど何もなく、駅員もいない、寂れた場所だった。道路は舗装されているが、色は霞んでいる。全体的に色の抜けた場所に思えた。世間一般の言葉に当てはめるのであれば閑静な住宅地とか住みやすい、暮らしやすい町とか、そんな感じだと思う。空気の綺麗な田舎町じみた雰囲気がある。僕が降り立ったのはそんな場所だった。
駅の周辺は田畑や森ばかりで民家というものが見当たらない。人工物は駅と傍においてある自販機くらいのものだった。
スマホで住所を検索して、灰色の地面を歩いていく。足取りはすこしだけ重たかった。
景色は変わらず、どこか遠くから烏の声が聞こえるくらいで、それ以外に変化と呼べるほどの変化はなく、ただ、足音とスマホの充電という些細な変化しか訪れなかった。
道なりに沿って歩いていく。烏の声は遠のき、代わりに冷風が吹く。髪を掻き乱し、身だしなみを崩す。今更、その髪さえ直すのが億劫になってそのまま歩く。靴音がすこし大きくなった。
目線の先に家が見えた。その家の前には畑。葉物野菜が植えられている。地面に近い葉は白んでいてそこだけちゃんと冬のようだった。畑は庭と同化しているようで、家のすぐ前に畑があるみたいだった。石で境目があるわけではなかったから、なおさらその家と畑が同じもののように思える。外観はいかにもといった日本家屋。ここ数十年で建てられたものではないことが容易に想像つく。ところどころ新しいものに取り替えられたのか、一部の窓だけがやけに綺麗で、その反面壁の汚さが際立つ。玄関に置いてある傘立ての中に差さっているビニル傘が違和感を滲ませていた。
畑と家の境目を歩いて、玄関まで向かう。靴底が石とこすれた。
玄関には一昔前の呼び出しボタンが設置されており、鍵もまた同様に一昔前のものでシリンダーではなく召し合わせ錠で、それも外側にしかないものだった。不用心なのかそれとも田舎だから窃盗などが起こらないのか、そのどちらかだろう。今の時代このような鍵はもうほとんど残っていないだろうから。
そっと手を伸ばし、呼び鈴に触れる。固く、冷えた感触が指筋から伝って脳にやってくる。そのせいで、押すのを躊躇ってしまった。けれど、僕に縋るものなんてもう一つしかなかった。
室内に軽いベルの音が鳴る。続いて、声が聞こえた。
室内から忙しなく物が動く音が聞こえ、足音が近づいてくる。どたどたと、この音を鳴らして玄関までそれはやってきて、いつものように、慣れたように鍵を開けた。
「はいはい、麻木さん。なんか用で……」
無警戒に開かれた扉、無意識に続く言葉、来る人は決まっているのかその瞳が僕を捉えるまで数十秒の間があった。
記憶より短くなった髪。記憶より白い肌。部屋の中から薫る懐かしい楠木の香り。
「――春音」
失くした声帯を取り戻した時のような、絞り出したみたいに枯れた声。懐かしい声。
そこに、過澄聖がいた。
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