第19話

 同窓会当日はやけに騒がしかった。久々の地元でも人々の歓喜、感傷がぐちゃくちゃになった場所だと感慨もない。気持ちの悪い、ほんのりとした雰囲気だった。この人たちは全てを美化できたのだろう。過去にサヨナラを言えたのだろう。

 まず初め、つい最近成人式から名称の変わった二十歳を祝う会があって、市の偉い方のお話を聞いた。悲しいくらいなにも響かなくて、自分が大人になったのかよくわからない感覚になった。大学に入学したときと同じで、自分が本当にそうなったのか実感が沸かなかった。一体いつ実感が沸くのだろう。一生沸かないのだろうか。それはやっぱり怖い。いつの間にか成るのではなくそれに成らされるような気がして自分の意志が介在しないみたいな感覚で、社会の歯車になって回る。それは少しだけ怖い。大人になるのが怖い。成らされるものが怖い。

 そんなことを考えていると、瞬きのうちに式典が終わってしまった。同窓会まであと二時間程時間がある。特に誰かと会う予定も、そんな算段もなかった。実家に帰るにしては時間が足りない。手持ち無沙汰というのはこういうときに使うのだろう。

 薄ぼんやりとした感覚で辺りを見渡す。周囲には晴れ着を着た人たちがいて、僕の視界を埋めている。僕には少し痛い色合いの晴れ着と背広は、どこへ行ってもそこにあって、逃げられそうもなかった。そもそも逃げる必要なんてないのだろうけれど、僕がここに居ていいわけがないような気がした。今から、過去を掘り返しに行くというのに、終わったことを掘り返すというのに、そんな人間がこんな晴れ渡った場所にいて良いものなのか。答えは決まり切っているだろう。

 腰をかがめて、大股になって、早歩きに、周りを見ないようにして僕は早くその場から離れていく。少しずつ刺激的な色が消えていって、息がしやすくなったような感覚になった。変に体の中が暑くて、気持ちが悪い。指先と鼻先だけが冷たく赤らんでいた。

 はあ、とため息を吐いて、気持ちを仕切り直す。心音が僕に主張をする。痛いほど続くそれは体が火照った原因だった。

 緊張していた。興奮していた。

 僕は過澄を透明にする。それがうれしかった。彼女を救いたかった。過去にとらわれた僕を救いたかった。それを早く果たしたかった。

 やっと、救えるんだ。とても遅くなってしまったけれど救えるんだ。彼女を、救える。透明にして、何事もなかったみたいに消え去る。彼女の痕が消える。僕の中からも宮枡さんの中からも消える。そうすればきっと、本当に透明になれる。僕と宮枡さんの中で消化されれば、本当に透明になれるんだ。だってそうだ。クラスメイトたちは過澄のことなんて覚えていない。彼女が結局最後に臨んだのは僕だけが知っている。彼女の間違いを正せるのは僕しかいない。僕しかその約束を果たせない。

 目を閉じる。心音が静まる。思考が冴え渡る。感覚が気持ちよかった。真夏にアイスをかじるみたいな、体内に冷水が入り込むみたいな爽やかさで、真夏のサイダーのような美しさだった。

 その時の僕は、物語の主人公のような晴れやかな美しい輝きに包まれていたと思う。絶対的な自分と、意味のない自信。先のことはきっとなんとかなるみたいな阿呆の考えをして生きている。達観に似た自暴自棄だ。

「あら、お久しぶりですね」

 よく聞いた声だった。唐突に、鮮烈な過去がやってくる。あの日のラベンダーに似た香りに、夕暮れと屋上に続く扉。その扉にもたれかかる少女。その隣でノートに文字を書き留める少女。

「久しぶり、宮枡さん」

 声の方を向いて、僕は笑う。視線の先にはいつもと同じ笑顔を浮かべていた宮枡直里がいた。

 彼女も例に漏れず晴れ着を着ていて、化粧も髪もそれなりに手が込んでいる。布を走る朱色がやけにきれいに見えた。下駄の黒が鈍く景色を反射させている。肩に提げている手提げバッグが異質だった。制服姿しか見たことないということもあって、晴れ着姿の彼女はやけに新鮮に見えた。彼女の纏っている優等生じみた硬い空気がわずかに華やかさに覆われているみたいに思える。

 宮枡さんははにかみ、僕に近づいてくる。僕は無意識のうちに後ずさった。靴裏が地面にこすれ、革靴の硬い靴裏が嫌な音を立てる、それに気がついた宮枡さんが悲しげに笑った。

「そんな警戒しなくとも良いんですよ?」

 警戒ではなかった。どちらかといえば恐怖だ。頭の中でこうであってほしいと思っていたことが全て崩れた。彼女は変わらなすぎている。あまりにもそのままだった。内面的変化が全くといってほど感じられず、青々しさがほのかに感じられる。

「なにも、変わってないね」

 僕の言葉に宮枡さんは息を吐くように笑って呟いた。

「櫻さんは変わりましたね」

「変わらないほうが少ないと思うよ」

 反射的にムキになったみたいに思わず言葉を返していた。たぶん、嫉妬が混ざっていた。変わっていない、変わらない彼女が羨ましかったのだ。それを認識してしまった瞬間、僕は自信を無くしてしまった。もう、昔のように完璧を求めていないということが途端に恥ずかしい物のようにおもえてしまった。

「それもそうかもしれませんね」

 彼女はどちらかといえば自虐的に言い放って、自分を落ち着かせるように髪の毛に手を伸ばした。綺麗に整えられていた髪の毛がわずかに浮いた。

 僕も、きっと宮枡さんも理解していたと思う。何が起こるのか、何を起こすのか。

「少し、歩きませんか?」

 宮枡さんがおもむろに、空白を埋めるみたいに言って髪の毛から手を放した。僕は頷くと宮枡さんは安心したように息を吐いたのがわかった。

 彼女の足が浮いた。からん、ころんと軽い音が響く。まるでそれは僕らの心音のように静かで、悲しそうで、綺麗で、楽しげで、残酷なもののように思えた。

 十分ほど、双方の足音だけが聞こえていた。そこに声は混じらなかった。ただ歩道を歩いて行った。はじめは店の多かった道も少しずつ住宅に変わり始めていた。

 宮枡さんが立ち止まる。足音が止まる。右手には小さな公園があった。初めて過澄と話した時のように公園には人は居なかった。

「少し、座りませんか?」

 そこに拒否権は存在していなかった。僕には首を縦に振るしか道が残されておらず、そもそも断る理由すらなく、僕は瞬きで彼女の言葉に肯定の意を示した。

 彼女を追って、公園に入る。遊具はブランコとちいさなジャングルジムだけで、中心が広場になっており遊べるようになっている。入り口のすぐ横に一個ベンチがあり、僕らはそこに座った。

「改めて、お久しぶりです」

 気まずい空気を埋めるみたいに、数分前に聞いた言葉を宮枡さんは繰り返す。僕はただ何も言わずにじっと彼女の瞳を見ていた。今更、僕らの中に世間話も御託もなにもいらなかった。必要なのは過去の対話。僕らに必要なのは過去だけだった。

「世間話は必要なさそうですね。……それでは本題に、入りましょうか」

 宮枡さんがため息をついた。

「元々、櫻さんが同窓会に来る時点で大体わかっていましたから。櫻さんは、わざわざクラスメイトたちに会うというおめでたい目的のために同窓会に来るわけ無いですし、あるとしたら、過澄ちゃんの事だけだろう、と」

 少し悲しげに笑って僕を見つめる。僕を見て、そっと手提げバッグに手を伸ばした。「本当はこれを見せるできでないのでしょうけれど」と、彼女はぼやいてから中に入っていたノートを取り出した。端は所々よれており、表面は黄ばんでいる。使い込まれたのだろうそれは、過去の遺物のように風化していた。見出しにはなにもかかれていない。表紙をめくると見覚えのない真新しい、二つ折りにされた小さな紙が入っている。一ページ目にはただ一言。とても見覚えのある文字があった。

連累。

僕らの思想の詰まった、青春と言えるべき物が詰まったそのノートを何枚かめくる。共通目標、これから起こす行動、僕らの思い描いた未来、理想、あるべき物事、正解と思われた一連の行動。そして、間違いの数々。最後のページには一言「かつて透明になれたはずのわたしたちへ」と宮枡さんの字ではない文字があった。きっと過澄だろう。彼女は高校生らしくポエムをよく言っていたから。

「ありがとう、宮枡さん」

 僕はページを閉じ、彼女に向き直る。久しぶりに彼女の目をみた。多分、過澄が死んだあの日が最後だった。

「今更、何をしようとしているんですか? もう何もかも終わったでしょう。全て、終わったんです。私たちの理想は、あの日で」

「知ってるよ。そんなこと」

 僕の言葉に彼女はムッとした表情を見せる。彼女の声に湿度が乗り移った。

「はじめから、私たちは見ていた理想が違った。なのに、その理想を今更引っ張り出すんですか? 連累関係は終わったんです。あの日に、過澄ちゃんがそう選択したんですから。今更自分勝手に掻き乱すんですか?」

 知っている。理解している。彼女の選択も、僕らの過ちも全て。彼女が飛び降り、あそこで僕らとともに死んだことも、何もかも知っている。触れている。感じている。屋上に続く踊り場の気温、湿度、日の入り方、三人の会話、二人の会話。何もかも覚えているし思い出せる。

「……あの日の理想を取り返すんだ。彼女の間違いを、僕が正すんだ。僕だけが正せるんだ。彼女の意思を尊重できる。僕だけ、なんだ」

 自分に言い聞かせるみたいにそう言った。宮枡さんの顔は見なかった。見られなかった。ただ、彼女の深いため息だけが聞こえた。

「もう私たちにあの日はないんですよ。私たちは大学生で、あのときはまだ高校生です。もう、その理想さえ意味は無いんです。だってそれを置く場所はないんですから。もう、私たちが連累関係を結ぶ必要さえ無くて、連累という言葉すら私たちには必要が無いんです。今のあなたは、なんにも変わってませんよ」

 呆れるみたいな、冷たい声色だった。宮枡さんは僕に向けた発言を過去の自分にも向けていたのだと想う。それが懐かしかった。今の自分も昔みたいに肯定されたみたいに思えた。

「うん、変わってないよ」

「あの日から私たち何も変わってないんですよ。利己的で、自分勝手で、自己肯定感が低いように見えて、無駄に自己肯定感が高くて、自分が無敵になったように思える。高校生の頃から何も変わってない……また同じ道を辿りますよ」

 宮枡さんは僕をじっと見つめる。今度はこちらも見つめ返す。しっかりと見つめる。

「大丈夫だよ。ちゃんと、透明にしてみせるから」

「確かに……あなただけですよ。間違いを正せるのは。」

 僕は彼女のその言葉を聞いて、彼女の元から離れた。後ろの方から小さく声が聞こえた。なにか宮枡さんが言ったようだけれど、聞く必要が無かった。多分些細な事だったからだ。別れの言葉のような意味のあるものでは無かったはずだからだ。たぶん、憎まれ口だ。皮肉の次に出てくるのはきっと憎まれ口がいい。

 彼女は前を向いていた。僕とは違った。それがすこし悲しかった。けれどそれが普通なことというのはずっと前から知っていることだった。

 確かに、今更過去を掘り起こしたところで何も変わらない。ただ、僕が救われたいだけだ。ただ、それだけだ。それだけでいい。僕は救われたい。僕の人生に意味はあったのだと思いたい。選択は間違っていなかった。そう思いたい。

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