第18話



 年が明けた。

 朝起きて、日付を確認して自分がちゃんと時代に取り残されていない事を確認する。いつの間にか帰省もしなくなったし、友達と年を越すなんてイベントもしなくなった。薄情だけれどそれだけの関係性ということなのだろうか。

 何の気なしに窓から外を見る。青空の中にいる雲が少し黒みを帯びてきていた。冬特有の厳しい、凛とした神聖な雰囲気と、年明け特有の緩んだ気配が窓越しからでも嫌なほど伝わってきた。その特徴的な雰囲気の中、バイトに行かなければいけないのかと、一人絶望する。仕方ない。誰かは犠牲が必要なのだ。誰かが休むためには誰かが働かなければならない。それが社会だった。

 着替えを済まし、身だしなみを整えて外に出る。耳栓代わりに耳にはめたイヤホンから音楽が流れ始めた。耳が温かくなったと思ったらすぐに、昨日までと同じ冷たい空気が体を包み込んだ。爪の間に針を入れるみたいな痛みがじわじわと体を蝕んでくる。体の芯が少し痛んだ。体が未だに冬になれていないのかもしれない。それか、そもそも冬に対応する機能が付いていないのか。

 電車に乗って、バイト先まで向かう。年明けだからか電車の中は人が少なく、居たとしても荷物の多い観光客くらいだった。

 一人だけ弾かれるようにして電車から降りる。いつも大勢の人間が降りるのに今日降りたのは僕くらいで、疎外感を観じた。

 改札を抜けると後ろに気配を感じた。不快感を覚えたけれど、見知らぬ人間にそれを出すというのは失礼な気がしたので、そっと横によける。すると、見覚えのある顔がこちらに笑いかけていた。実浦さんだった。

 僕がイヤホンを外すと、彼女も同じようにイヤホンを外して口を開いた。

「おはようございます」

「おはよう」

 短く挨拶だけを交わして、それ以外なにも話さずバイト先まで並んで歩いて行く。明けましておめでとう、とか今年もよろしくとか言っておいた方が良かったかな、なんて後悔することも特になくただ歩いていた。

 バックヤードに入って、エプロンを被る。そのときになってやっと実浦さんが口を開いた。

「そういえば、成人式って出席するんですか?」

「一応、そのつもり」

 一応、というのは熱心にスーツやら身だしなみをしっかり整えて出席する訳ではないこと、そこまで成人式に対して重大な意味を見いだせていないことの二つの意味を持たせていた。実浦さんにそのニュアンスが伝わるかどうかわからなかったが。

「そうですか、偉いですね。私は出席しないつもりなので、どんな心持ちであれ出席するのは良いことだと思いますよ」

 どうやら伝わったらしかった。

「出席しないんだ」

「ええ。振り袖もスーツも面倒ですし、お金もかかりますし。わざわざ帰省するのも気が乗らないですし。なにより昔の知り合いにはもう会いたくないですから」

 彼女なりに思う所はあるのだろう。少しだけ声が沈んでいた。過去が良いことであったとしても、昔の知り合いには会いたくはないという人もいるだろうし、その反対、悪いことばかりだったから会いたくないという人もいるだろう。過去は過去のままでいてほしいと彼女は思っているのかもしれない。

「そっか」

 僕は曖昧に笑って、視線を適当に彷徨わせる。

 もし、宮枡さんが僕を、過澄についての話を拒絶したらどうすればいいんだろうか。

 無意識のうちに排除していた問題について、ふと考えてみる。もし、宮枡さんが僕らのことを拒絶したならば、過澄に会うことさえ叶わなくなる。過澄と再会し、彼女を透明にすることさえ叶わなくなる。

「実浦さんは、昔の人間に会いたくないの?」

 僕がそう聞くと、実浦さんは微笑んだ。小さく流れる有線のBGMが彼女の人生を色づけているように思えた。

「ええ」

 爽やかさの残るその声に驚きながら、僕は「そうなんだ」と曖昧な言葉を返す。

 僕はちゃんと過澄を透明にできるのだろうか。僕の人生の、彼女の人生の、見直しは完遂されるのだろうか。考えれば考えるほどに、言いようのない恐怖が足元から上ってくる。足先が冷えて、死んでいく。僕はただ一人で思い上がっているだけなのかもしれない。それをどうにか誤魔化したくてこんな変なことをしているのかもしれない。助けてほしいと喘ぎ叫んでいるだけで、何もしていないのかもしれない。

 じっとりと落ちていく感覚をしっかり脳に刻みながら、僕はロッカーの鍵を締めた。やけに軽い音を立てて、その鍵は閉まった。その音に弾かれるように実浦さんが立ち上がった。一瞬のその情景がやけに様になっていた。

「私は、今がいいですから。楽しいですし」

 その言葉を聞いて、変に空気が肺に残った。異質さがはっきりと主張して、息がしづらい。きっと、全てを否定したくなったのだ。昔のような感覚で。

「そっか」

 また一人虚しくなる。みんな勝手に前に向いていくんだろう。お願いだから、過澄はまだあの日を見ていて欲しいと思った。救われていないことを願った。

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