第17話
その日から過澄聖は来なくなった。理由は知りたくなかった。
「過澄ちゃん、人を殴って孤立したらしいです。小学生の頃、ですって」
聞き覚えのある事を宮枡さんがノートを広げながら言った。宮枡さんの表情に時々過澄聖の残滓のような物が混じって、違和感が残った。気持ちが悪かった。
「そうなんだ」
興味無げになったのは、事実過去の彼女には興味はなかったからだった。今更、彼女のことを知ったところで必要がない。きっとそうだった。僕が知るべきは、向き合うべきは僕の今現在の置かれた環境についてだろうし、彼女の置かれた環境についてだと思う。それだから、今この状況で彼女の過去について知ったところで僕らにはどうしようもないことである事は紛れもない事実だった。けれどそれは宮枡さんにとっては違うらしく、少しむっとした表情になった。常に自分たちを過澄聖を見ているふりをして見つめていた自分たちにとってはそれが当たり前の行動だったわけだけれど。
「何ですか、その反応。もっと興味を持った方が……」
「昔の事を掘り返して何になるんだよ」
ほとんど反射的に、感情的にぶつけたその言葉は、荒々しく辺りに散らばった。ただの八つ当たりだった。それに何か意味があった訳ではない。多分、意味なんて無かったのだ。
「……櫻さんが教えてもらった噂は本当だったようです。ただ、実際それを知ったところで私たちに何か出来ることがあるのかと聞かれるとわからないですけれど」
投げやり気味に彼女は言った。
僕らは過澄聖の現状を変えるために行動を起こしたわけではない。その弊害がはっきりと出始めていた。彼女は自分の見られる世間の評価を気にしていたし、僕は僕でただ流されていただけ。かろうじて柱になっていた過澄聖という存在が不在なのだから、崩壊が進むのも、険悪な雰囲気が満ちるのも時間の問題だったのだ。
「ごめん」
わかっていたからこそ、少しだけでもこの関係を長引かせたかった。過澄聖のためとかじゃなく、自分のためだった。一つのルーティーンが崩れることを恐怖しただけなのかもしれない。そこまで深い意味は無かったのかもしれない。けれどただ、僕は現状維持を望んだ。ただ、これ以上、自分が形成した物を壊したくなかっただけなのだ。
「どうして謝るんですか」
呆れたみたいに宮枡さんが笑った。僕はそれに適当な笑みを返すだけにとどめた。それ以上何かを返すと本当に壊れていくように感じられたからだ。僕がなにしようとも終わりに近づくのはわかっていたけれど、無駄な足掻きだ。僕が惨めったらしくしていただけだ。女々しくしているだけだ。
「謝りたいから」
適当にごまかすために言葉を吐く。この感情を説明するのはあまり良くないことだと認知していた。それと多少なりとも惨めさや恥ずかしさといった感情が乗っていたからからだと思う。
「……過澄ちゃんとの話し合いも必要ですよね」
最近話せてませんし。そう宮枡さんが呟いて、そういえばそうだったと思い出した。僕も宮枡さんとこうして個人間で話すことは久しぶりだったし、きっと彼女からしても過澄聖と個人間で話すことなんて久しいだろうと思われた。僕らには圧倒的に対話が、意見のすりあわせが足りていなかった。
ただ、そのすりあわせすら、僕らは出来なかった訳だけれど。
結論から言えば、過澄聖という人間はどこまでも透明になりたがっている人間であって、それの最終局面が彼女の元々の望んでいた「周囲との同化」的透明ではなくて、彼女が選んだのが忘却的であったり、思慮的であったりする「心理的」な忘却を選んだというだけのことだった。
十月二十日。僕らが過澄聖と会わなくなって、一ヶ月と少し経った時、自宅のマンションから飛び降りた。
結局、わかったことはなにも無かったように感じられた。
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