第6話
御木本と二時間ほど飲んで、御木本の表情がやっと赤らんできたかという所まで来てその場はお開きになった。ふたりとも明日はちゃんと講義があるからだ。そこのところの線引はしっかりとしていたらしい。
ため息をついて、家まで歩いていく。十分もない短い旅路だった。
「大学生になったというのに、俺たちは何をしている、か……」
口の中で先程の言葉を転がす。からんころん。歯に当たって変な音を奏でるその言葉ははやく口から飛び出したいかのように弾けていた。確かに熱を持っていた。青い、青い熱。触れれば痛い情熱。
何をしているんだろうか。大学生になって、僕は二年間なにを。
考えてみる。そういえば、大学生になって本当に何もしていなかった。ただなんとなく資格をとって、なんとなく将来を暗闇に溶かしていた。ドブに捨てる、までは言わないけれどあまりいい生活をしていなかったのは確かだった。
「見つめ直す。自分を、確かめる」
今の自分を今の自分たらしめているものを再認識してみる。
声に出して、心で呟いて、少しずつ現実味を帯びてくる言葉。そのおかげで久しぶりに体に熱が灯り始めたような気がする。気のせいかもしれない。ただ、ただ、心にあの、痛い、青い、熱が灯った。いつ消えるかもわからない、淡く儚い灯火。
家が見えてくる。築十五年の鉄筋コンクリートで作られた三階建てのアパート。外壁は白色。けれど僅かに灰がかっている。
三階まであがって自分の部屋に入る。軋んだ音を立てて閉じられた扉は物寂しく、悲鳴のように響いた。
無意識にすり込まれた行動を起こす。靴を脱いで、靴下を地面に放り投げてそのままベッドに倒れ込む。雨の低気圧のせいだろうか、頭が痛んだ。明日にアルコールが残らない事を祈るばかりだ。
「お前、どうしたかったんだよ。どうなりたかったんだよ」
頭の中にいる過澄に問いかける。頭の中の過澄は笑ったまま何も答えない。あの日から彼女は笑ったままだ。空想のなかだから、ずっと笑ったまま。僕には、もう二度と彼女は笑ってくれないというのに、非情で残酷なことだ。
頭の中の過澄もコンビニのゴミ箱にでも捨てられたらとても楽なのだろうけれど、それが出来ない辺り僕は彼女とのあの時間を大切に思っているんだろうし、大切を守って自傷をしているのだろうし、結局その非情も残酷も自らが望んで行っているものになっているのかもしれない。
そういえば、あいつは透明になりたがっていた。
何かを突き詰めればそれは純粋な色になって透明になるんだよ、と。
それならば、彼女は一体何を極めたのだろうか。夢だろうか、理想だろうか、それとも悔やんだ過去だろうか。
ぼんやりと考えていると眠気が全身を包んでしまって、体が重たくなっていった。ただ、青い痛い熱だけが主張していて、それが苦しかった。
夢の中で過澄に出会った、
場所はいつもの屋上へ続く階段。彼女だけ制服を着ていて、僕はたぶん、意識だけがぽっかり浮いていた。体はない。感覚も無い。ただ、過澄聖という人間を観察していた。
「偉いね、キミ」
なんも、偉くねえよ。
「ねえ、春音。いつか、世界を壊そうよ。二人で」
ああ、そんなこと、言ってたけ?
「壊したら、私たちは救われるのかな?」
救われなかったよ。僕らは、救われなかった。救えなかったし救われなかった。
「春音、憎いよ。春音が、みんなが、学校が、世界が、なにもかも全部、憎い。殺したい。めちゃくちゃにしたいんだ」
声だけが、響く。階段の段差に弾ける。彼女の声が溶ける。染みこむ。僕の心を腐食する。
苦しい。つらい。どこに吐き出せば良かったんだっけ。感情の処理の仕方を忘れてしまった。どこまで頑張れば良かったんだっけ。なにを頑張れば良かったんだっけ。完璧って何だっけ。面倒くさいな。死んでやろうかな。ああ。
そうだった。僕らはあのとき高校生になってもあの青臭い感情を持っていた。中学生の頃の痛い感情を持っていた。それを捨てられなかったのだ。苦しみだけが正解のように思えていたんだ。幸せは裏切るから。幸せは冷たいから。苦しみは裏切らなかった。苦しみはあたたかかった。そのときはそうだった。
「間違ってばっかりだった。多分、これからもそうなんだと思う」
だったら、僕が今思ってることも間違いなのかな。
「落ちぶれるときは言ってね。私も一緒に落ちるから」
ごめんな、ごめんな。一緒に落ちてやれなくて。
「いつか、間違いだらけの私を救ってね」
彼女は笑った。そして屋上へ向かった。鍵は開いていた。
確か、あの日もそうだった。そうして、彼女は。
救えるのかな。僕も、お前のことを。
僕も間違いだらけなんだ。間違って間違って、傷だらけになって、血まみれになって生きてるんだ。そんな僕でも助けられるのかな。過澄のことを。
本当の、透明に出来るのかな。
痛いな。痛い。痛すぎる。大学生にもなって過去にとらわれてすることじゃない。でも、それでも。僕は。
目が覚める。
体は重い。
頭はやけに冴えている。
彼女の言葉は覚えている。
目的も決まった。
またあの青く痛い炎は灯っている。揺らめいている。
過澄の声がこびりついているというのに、不思議と気分は晴れていた。
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