そろそろ還りたい

葵むらさき

そろそろ還りたい

 大気圏に突入した火星搬送船MARSHOPE104号は、灼熱色に輝きなおも大地を目指し驀進した。

 その一途さには、感心もし感謝もし、けれどどこか哀れに思うところがあった。

 我々の目的のために、今それは真っ赤に燃えて目的地にたどり着こうと必死で頑張っている。

「ごめんね」誰かが声もなく囁いた詫びの文句は、我々全員の装着するヘルメットのスピーカから頼りなく洩れ聞こえた。

 誰も返答しない、だが皆心のどこかで同じような気持ちを噛みしめているのに違いなかった。

 大地が近づく。

 赤い光を反射する大地だ──だが明るいとは言い難い。

 無論遮光フィルタ超しに見る光景だからではあるが、皆の心境がそう見えさせているところも大きかった。

 赤い大地に降り立つ。

 ゆっくりと、一歩ずつ踏みしめる。

 踏みしめながら、思い惑う。

 皆、内心思っていた。

 ──なんで、俺たちが当たったんだろう?

 今回の、火星搬送船への搭乗権抽選に、どうして自分たちが選ばれたんだろう。

 抽選とはいえ、その目的は選考対象にされたはずだ。

 自分たちの目的は──そう、自分たちはそれを『洒落』のつもりで応募したのだ。

 ふとした思いつきだった。

 最初に言い出したのは──武富だ。

 我々の中で一番年上の、リーダー的な存在だ。

 武富が言い出したのだ「火星とかでこれやったら、どうなると思う?」と。

 だが誰が彼を責められよう、今更。

「あー、ホントね」

「どうなるんだろね」

「やってみたいねえ」

「あれあるじゃん、火星でやってみたいこと募集ってやつ」

「ああ、あるある」

「出してみたら」

「うんうん」

「出そう出そう」

 全員が、目に見えない上昇気流に巻き上げられたかのようにそれを『やりたがった』。

 皆で希望したのだ。

 皆の願望だ。

 その願望が聞き届けられ、受け入れられ、審査の対象となり、査定にかけられ、そして問題なしと判断され、抽選の篩にかけられ、当選の烙印を押され、準備を整えられ、実行されたのは、何故か。

 理由はただ一つ。

「問題なし」だったからだ。

 つまり手続上、規定上で。

 何の違反もしていないし、不正もしていいないし、決まり事通りに応募したからだ。

 そう、応募規定のどの行にも、

『洒落で応募することは禁ずる』

とは、書かれていなかったのだ。

 我々は赤い大地の上に輪になって座り込み、真ん中に地球から持って来た平らなボードを置き、その上に、白い、一辺約七十センチの正方形の防水紙を置いた。

 ──ごめんなさい……

 恐らく全員、そう思いながら。


          ◇◆◇


 火星でこっくりさんをやる。


 ついに打ち明けるが、我々が応募した『火星でやりたいこと』とはそういう内容だった。

 そう、これが査定され、篩にかけられ、その結果、ピックアップされてしまったのだ。

「こっくりさん、こっくりさん」武富が低い声で儀式を始める。「いらっしゃいましたら、この十円玉を鳥居の周りで一周回らせて下さい」

 しばらくの間、沈黙が流れた。

 何秒の間──地球基準で──だったろうか。

 皆、酸素ガスをちゃんと吸い込んでいただろうか。

 そして、現象は起きた。


 す すすすす


 そんな音は実際には聞こえて来なかった。

 だが硬貨は動いたのだ。

 防水加工紙の上で。

 物理的外力も受けず──きっと受けず。

 独りでに。

 勝手に。

「うわ」

「うぉ」

「あぁ」

「えぇ」

「ひぃ」

 全員が、声を挙げるか音を立てて息を呑むかした。

「動いた」武富は囁いた。

 だが皆、衝撃の下でもけっして指を硬貨から離さずにいた。

 儀式のルールはたとえそれが地球の上でなくたって厳守されなければならない。

 何故なら今、こっくりさんが地球の上でもないのに来てくれたからだ。

 全員が、気持ちを厳粛に引き締めた。

 そしておもむろに、こっくりさんへの質問を開始した。

「あなたは、地球人ですか」最初に武富がそう訊いた。

 十円玉は約二秒の間を置き、すすすす、と『はい』の文字列の方へ紙上を移動した。

「おお」我々はまた感動の声を挙げた。

「やっぱりか」

「じゃあ、こっくりさんは地球からここまで来てくれたってことなのか」

「わざわざ、俺たちのために?」

「俺たちの、呼びかけに応えて?」

「すごい」

「素晴らしい」

「何の反応も寄越さない宇宙人より、よっぽど分かり合えるじゃないか」

「そうだな」

「そうさ、霊さんたちは元々俺たちと同じ地球人だったんだから」

「そうだ」

「本当だ」

 我々は興奮し互いにコメントを投げかけ合った。

「宇宙へは、初めて来ましたか?」二つ目の質問をする。

 硬貨は再び『はい』へ移動する。

「宇宙はどうですか?」

 十円玉は五十音表の上を「さ」「む」「い」と移動した。

「寒いのか」

「そうだよな」我々は顔を見合わせ頷き合う。

「死後の世界とどっちが寒いですか?」

 十円玉は「お」「な」「し」「゛」「く」「゛」「ら」「い」と動いた。

「そうか、同じぐらい寒いのか」

「死後の世界って、宇宙にあるのかな」

「死後の世界は宇宙にあるんですか?」

 十円玉は約三秒の間を置き。今度は『いいえ』の方に移動した。

「ああ、違うんだ」

「まあ宇宙は物理世界で、死後の世界は精神世界だもんな」

 我々はこっくりさんが回答するたびわいわいと議論し、盛り上がった。

 やり始めてみると、訊きたいことが山ほどあるのだった。

 地球上でやるこっくりさんのように、日常生活に即した、学業や人間関係や恋愛についての質問など、する気にならなかった。

 我々は雑誌やテレビやネットで垣間見た、宇宙や心霊現象についての情報を次々に確認していった。

 あるものは真実、またあるものはまったくの創作と、こっくりさんが答えるたびますます気持ちは高揚した。

 火星に来るまでの、あの罪悪感から来るしょぼくれた気持ちなどすっかり消し飛び、我々は心から火星でのこっくりさんに夢中になっていた。

 応募してよかったと、全員が思っていた。

 こんなに充実した時間を、火星で過ごせるなんて。

 最高に幸せだと、皆笑顔になっていた。

 だがその時、突然十円玉が五十音表の上をぐるぐるぐるぐると激しく移動し始めた。

 我々は言葉を失い、しかし指は離さず、ただ紙の上を狂ったように回り続ける十円玉に目を奪われていた。


 そ ろ そ ろ


 やがて硬貨は文字列の上を順に滑った。


 か え り た い


「え」

「帰りたい?」

「帰るって」

「どこへ?」我々は口々に問うた。


 ち き ゆ う


「地球?」

「あ」

「そうか」

「そうだよな」我々は顔を見合わせ納得した。


 か え つ て い い か


 こっくりさんは再度文字列上を滑り、確認してきた。

「あっ、はい」

「どうぞ」

「お越し下さいまして、ありがとうございました」

「どうぞお帰り下さい」

「地球へ」

「どうぞお気をつけて」

 皆は感動と興奮の中、こっくりさんにお礼と別れを告げた。

 約五秒の間があった。

 搬送船が浮かび上がった。

 激しい風が起こる。

 我々は全員その場から吹き飛ばされ、文字通りそこで、何もかも終了した。


          ◇◆◇


「応答願います」

「こちら航空宇宙局管制室」

「応答願います」

「誰かいますか」

「何か、サインの表示はできますか」

 モニターに、突如文字列が現れた。

 平仮名の五十音表だ。

 管制室は一瞬静まり返った。

 そして音もなく、十円玉が画面の右端から滑るように出てきた。


「──何……」

「え……」

「こ」


 信じがたい、信じたくはない、信じるわけにはいかないという思いとは裏腹に、そこにいる者たちの脳裡に浮かぶのは

「こっくりさん?」

という言葉しかなかった。

 そんな中で硬貨は鳥居の周囲をゆっくりと一周したあと、文字列の上を順に滑りだした。


 こ ち ら か せ い は ん そ う せ ん ま あ す ゛ ほ う ふ ゜ ひ や く よ ん こ ゛ う ち き ゆ う へ き か ん か ん り よ う き た い し ゛ よ う き よ う い し ゛ よ う な し し ゛ よ う い ん せ い そ ゛ ん し や せ ゛ ろ め い し し や い ち め い い し ゛ よ う

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