28. 湧き出る魔物のあとしまつ(2)
クレフの町の青年、ギードは焦っていた。
夜の教会跡地――その井戸のあたりから、魔物が現れ続けているためだ。
「く、くそっ」
ごぼ……っ、ごぼぼぼ……っ。
井戸は濁った音を立てて黒く粘った水を吐き出し、それは地面に触れるや、たちまち獣の形を帯びる。
毛足は短く、四本の足もまた短い。
鼻からべしゃりと顔をつぶしたような姿は、一見すると猪や豚にも似ているが、鋭い牙や赤く光る目、真っ黒な体表が、いかにも魔物めいていた。
獣たちは涎を零しながら、井戸の周辺にたむろしている。
ギードが掲げた松明の炎に怯え、井戸周辺から動かずにいたが、後から後から湧き出す個体に数の利を覚えたか、魔物たちの輪が徐々に広がりつつあった。
現時点で魔物は20体近く。
引き換え、いち早くこの場に駆けつけたのは、ギードとその仲間、たった3人だけ。
手持ちの装備も、松明と油、そして狩猟用のナイフだけだ。
(くそっ、今火を放って、こいつらが暴れ出したら、俺たちなんてあっという間に殺されちまう)
松明を握り直しながら、いつ攻撃を仕掛けるべきか考える。
だが、ほか2人もまったく同じことを考え、結局決断を先延ばしにしていることが、手に取るようにわかった。
(町の皆は)
まだなのか、と周囲を見渡しそうになり、ギードは咄嗟に首を振る。
町の皆が、積極的に助けに来てくれるはずがないのだった。
これは、ギードたちが起こしたことへの罰なのだから。
(もういやだ)
生臭い息を吐く魔物に、じりっと松明を突き付けながら、ギードは歯を食いしばった。
この町に魔物が出現するようになったのは、7年前からだ。
いいや、正確に言えば、7年前に王都で学生をしていたギードが、仲間と一緒に、火にかけられた魔女に石を投げてからだ。
東の魔女・アデル。
火刑に処された女はそう呼ばれていた。
遠目で見た限りでは、黒髪が神秘的な感じのする、涼やかな顔立ちの女だった。
だが彼女には、大人しそうな外見からは考えられぬ邪心があり、輝かしい人生を歩むはずだった勇者を誘拐・洗脳していたのだ。
少なくともギードは、教会にそう「教わった」。
彼女に石を投げれば、小遣いを貰えるだけでなく、教会付設の学院費用が減額になるという。
当時15で、苦学生だったギードたちは、飛びつかずにはいられなかった。
だが誰が予想しただろうか。
実際には魔女は勇者を保護していただけで、勇者はそんな彼女を心から愛していただなんて。
教会の独断で処刑が強行された後、駆けつけた勇者は怒りと魔力を爆発させた。
彼の憎悪は教会だけでなく、火刑に携わったすべてに向かい、クレフはただ「石を投げた愚か者を出した」というだけで教会を焼き払われ、魔物溢れる禍の土地となった。
抗議した学友も数名いたが、反省せず魔女の名を呼び捨てにした彼らの行方は知れない。
小心者だったギードと、その仲間二人だけは、即座に罪を認め詫びたために、故郷に帰されるだけで済んだ。
だが、はたしてそれは幸運だったのかどうか。
愚行により町全体を窮地に追いやったギードたちへの、人々の怒りは凄まじい。
こうして魔物が発生するたびに、「償え」とばかり、ろくな装備もなく最前線での時間稼ぎを命じられるのだから。
これまでは、最終的には大人たちが助けに来てくれたが、その救助の人数も回を追うごとに減っていた。
今日に至っては、30分経っても誰も来ない。
もしかしたら、自分たちは町の人々から、とうとう見捨てられてしまったのかもしれない。
(くそっ。くそっ。俺が何をしたって言うんだ)
何度となく握らされた松明。
それを今宵もまた命綱のように握り締め、ギードは涙ぐんだ。
ろくに大通りすら歩けなくなった身の上。
すれ違うだけで向けられる侮蔑と怒りの視線。
汚れ仕事を押し付けられて、それを当然だと思われる。
ああ、だが、今のギードならわかるのだ。
まさにそれこそが、魔女と呼ばれる人間の置かれていた立場だと。
ただ黒髪だ、魔女だと言うだけで、身を潜めねばならず、何をしても疑われ、面白半分で石を投げられる。
本当は教会からはぐれた勇者を保護しただけだったのに、世間から誘拐犯だと名指しされ。
石を投げられ、火あぶりにされた彼女の苦しみはいかほどばかりだったろう。
(わかるよ。よく。わかる……)
だって今それは、彼自身の苦しみだったから。
ギードは耳を澄ませた。
だがどれだけ待っても、援軍など来やしない。
ギードたちがこうして最前線で時間稼ぎをしている間、住民たちは最近建て増しした頑丈な壁に隠れて、または傭兵や冒険者を雇って、自分たちだけを守るのだろう。
「25……30……。嘘だろう、前の倍以上いる」
「もう無理だよ……俺たちの手じゃ、とても」
共に松明を掲げていた仲間たちが、声を震わせながら呟く。
ギードもまったく同感だった。
だが皆、抱えた罪の意識があるから、そこから一歩も動けない。
(誰も、助けてくれない)
ギードは不意に、全身の力が抜け、松明を取り落としそうになった。
魔物が発生すると、本来なら教会が助けてくれる。
教会の手に終えないときは勇者や聖女が派遣され、彼らが町を救うはずだった。
だがその勇者がクレフを見放したのだ。
史上最強と名高い勇者レイノルドは、師であるアデルの言うことならばなんでも従ったという。
寛容だったという魔女アデルがもしこの光景を見れば、弟子を諭したかもしれないが、その魔女に自分たちが石を投げたのだから、自業自得だ。
(もうだめだ。ここで死ぬしかないんだ)
ああ。
魔物たちの目が、赤い光を増しはじめた。
スタンピードの前兆だ。
一度暴走してしまえば、魔物はなにをするかわからない。
一直線に、建物すらなぎ倒して走って行くこともあれば、執拗に同じ場所をぐるぐると回ることもある。もちろん、近くにいる人間のことなど踏み潰してだ。
過去に魔物に吹き飛ばされたときの古傷が、にわかに痛み出してきて、ギードは無意識に肋骨を押さえながら告げた。
「火を、放とう」
「でも、ギード。もう少し待てば、おじさんたちが来るかも――」
「来ないよ!」
縋るような声で反論した友人に、ギードは噛みつくようにして叫んだ。
「来ない! 誰も来ない! 誰も僕たちを、助けなんてくれないんだ!」
語尾は涙で掠れていた。
「誰も――」
「ちょっと、失礼……」
だがそのとき、突然背後から声を掛けられ、ギードは思わずその場につんのめりそうになった。
見れば闇夜に紛れて、女が2人、松明も持たずに立っている。
1人は月光すら弾き返しそうな金髪をしていて、もう1人は、目深にフードを被っていた。
「突然のお願いで、ちょっと、言いにくいのだけど……」
フードを被った女のほうが、囁くような、独特な掠れ声で切り出す。
いったい何を、と身構えたギードたちの前で、彼女は神妙にこう告げた。
「この魔物の群れ、私たちに、譲ってもらえないかしら……」
「はい?」
ぽかんとしたのも無理はないだろう。
だってこの状況で、まさか進んで魔物を引き受けてくれる人間なんて、いないと思っていたのだから。
「今、『はい』って、言ったわね? 言ったわ。私は、聞いたからね……」
「え? あ、は」
「エミリー、お願い……」
ギードたちが絶句している間に、女は傍らの金髪の女になにかを合図してしまう。
「はい」
金髪の女は涼やかな声で応じ、手に掲げていたあるものに向かって、何事かを念じはじめた。
《町の外れに向かう。クレフの外れに向かう。勇者を取り囲む。金髪の勇者を取り囲む》
言葉を重ねるにつれ、手の内側が淡い光を放ちはじめる。
光の中央にあったのは、女性ものの腕輪に見えた。
装飾の一切ない、黄緑色の腕輪だ。
腕輪は光をぐんぐん強めると、最終的に手の内で勢いよく回り出した。
金髪の女はひとつ頷き――それを、魔物の群れに向かって放り投げた!
「え!?」
「なにを!?」
もしやまばゆい金髪と魔力を持つ彼女は、王都が遣わした聖女なのだろうか。
瞠目するギードたちの前で、腕輪はくるくると旋回し、群れの中央にいた魔物の上へと落ちた。
ぶわっ!
途端に、その魔物を中心として、光の輪が広がる。
『――……ぐるる』
魔物たちが唸り声を上げはじめたので、ギードたちはぎょっとした。
『ぐるる……向カウ……取リ……囲ム』
いいや、その唸り声が「言葉」に転じた瞬間こそ、彼らは度肝を抜かれたかもしれない。
声はまるで、拡散した光の輪を追いかけるようにじわじわと広がり、やがて、魔物全体による大合唱となった。
『町ノ外レニ向カウ。クレフノ外レニ向カウ。勇者ヲ取リ囲ム。金髪ノ勇者ヲ取リ囲ム』
それは、まさに金髪の女が唱えたのと同じ言葉だ。
やがて、魔物の一匹が、何かに引き寄せられたように、ふらりと動きはじめた。
「ひぃっ!」
『町ノ外レニ向カウ……』
ギードたちは思わず悲鳴を上げたが、実際に魔物が向かったのは、彼らとは正反対の方向。
まさに、町の外れに向かう道だ。
1匹が歩き出すと、すぐに2、3匹が後に続く。
最後には集団が揃って同じ方向を向き、進みはじめた。
ふらふらとした足取りだったのが徐々に勢いづき、瞬く間に駆け足になる。
どどどどど……!
まるで
だが、見境なしというわけではなく、魔物たちは目的地に向かって――町の人々も重要な建築物もない、ギードたちが誘導したいと思っていた場所に向かって疾走しているようだった。
「こ、これは」
呆然とするギードたちの前で、腕輪を投げた金髪の女は、素早くもう1人へと向き直る。
「師匠。私は魔物たちの洗脳を保持するために、後からついていきます。師匠はどうぞ先に、ノルドハイムへ向かってください」
「ありがとうエミリー……。くれぐれも、無理しないでね。まずいと思ったら、すぐ逃げてね……」
「大丈夫ですよ。さすがにあの数の魔物には
「こっ、怖いこと、言わないで……」
エミリーと呼ばれた女は涼やかな声で、師匠と呼ばれた女は掠れた囁き声で、言葉を交わした。
「では、急ぎますので。師匠、どうかお気を付けて」
女は言うが早いか、その華奢な体とは裏腹に、凄まじい速さで教会跡地を去ってゆく。
後には、師匠と呼ばれた女と、ギードたちだけがその場に残された。
「ええと」
硬直した青年たちの視線に気付くと、女はふとこちらを振り返る。
「ごめんなさい、突然、魔物を、取り上げてしまって……。でも、あなたたち、どちらかといえば、魔物たちを追い払おうと、していたのよね? ということは、町の外れに、去ってくれる分には、問題ないわよね……?」
ギードは一瞬、何を聞かれているのかわからなかった。
問題ない?
問題ないどころか、大助かりだ。
だがまさか、この町で自分たちに手を貸してくれる人がいたなんて。
「一応、今、町の外れには、レイノルドっていう、強い勇者がいるから……。彼が、倒してくれるはずよ。そう、3日ほどかけて。だから、安心してね。あと、町の人たちには、なるべくそこに近寄らないよう、伝えてくれる? それじゃ……」
一方的に告げると、女はそそくさとその場を去ろうとする。
はっと我に返ったギードたちは、慌てて彼女を取り囲んだ。
「ま、待って! 待ってください! 魔物たちを誘導して、町を助けてくれたんですか?」
「あなたはいったい何者ですか?」
「いや、あの、名乗るほどの、者では……。すみません、急ぐので……」
ギードが顔を見ようと松明をかざすと、女はさっとフードを被り直す。
彼女の台詞を、「称賛を求めない英雄仕草」と解釈したギードたちは、一層熱心に身を乗り出した。
「そんな! 今、もう1人と勇者様について話していましたよね。もしやあなたは、彼の仲間――」
うち1人が伸ばした手が女の袖に触れ、かぶり直したばかりのフードがずれる。
内側から現れた顔を見て、ギードたちは絶句してしまった。
長い黒髪に、純粋なフォルツ人から見れば神秘的な、涼しげな顔立ち。
宵闇のような瞳。
「『東の魔女』……?」
女は、かつて自分たちが石を投げた相手――東の魔女・アデルの顔をしていたのだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます