29. 湧き出る魔物のあとしまつ(3)

(わああああ、髪と顔見られた!)


 一方のアデルはと言えば、突然黙り込んだ青年たちを前に冷や汗を浮かべた。

 そういえばエミリーが去ってしまったから、髪色をごまかす精神感応魔法が切れていたのだ。


 東町でもない限り、この黒髪は目立つ。

 印象に残れば、レイノルドが追いかけてくる手掛かりになってしまうかもしれない。


 いや、かもしれないどころか、彼らは今自分を「東の魔女」と呼んだ。

 完全に身元が割れてしまっているではないか。


(どうして!? 7年経っても顔が割れてるほどに悪名高いの、私!?)


 半泣きになったアデルに、固唾を呑んだ一人が話しかけた。

 色白でひょろりとした、真面目そうな青年だ。


「あの……。もしやあなたは、『東の魔女』、ですか?」

「いいいいいいいえ!? ごほっ、な、なんの、ことやら……」

「でも、黒髪にその顔」


 いったい彼らはどこで自分の顔を知ったのか。


(まさか、レイノルドの手先だったり!?)


 がくがく怯えていると――こんな時でも表情は微動だにしないのが、我ながら便利やら不便やらだ――、青年たちは意外な行動に出た。


「ありがとうございます……!」


 なぜだか一斉に一歩引き、その場に跪きはじめたのである。


「えっ!? いや、な、何を……?」

「誰からも見放されていたこの町を助けてくれたなんて、あなたが初めてです。どうか御礼をと思いまして」

「お願いです。どうか、名前を明かしていただけませんか?」

「東の魔女、アデル様ですよね?」


 跪いた3人にじりっと詰め寄られ、アデルは咄嗟に足を引きながら考えた。


(な、なるほど!? 勇者の仇である魔女は嫌いだけど、魔物を追い払ってくれた以上恩があるということね? めちゃくちゃ現金……いえ、どんな相手にもお礼が言える柔軟な子たちだわ)


 思いのほか迫害などはされなそうな状況に安堵する。

 が、実際ここで「東の魔女アデル見参!」と知らしめたい状況ではまったくないのだ。


「い、いえ、あの、私が誰かなんて、どうでもいいから……」

「そんな!」


 強引なごまかしは、青年たちには「遠慮深い態度」としか見えていなかったが、それに気付くアデルではなかった。


「わかりました。名前をあえて明かせなんて求めません」

「ええ。何もかもわかりました」

「ただ、お礼をさせてもらえませんか。少しばかりのもてなしを」


 彼らはいったい何を了解したのだろう。

 疑問だったが、それ以上に「もてなし」という部分が気になって、アデルはぶんぶんと手を振った。


「いいえ、いいえ……! もてなしなんて、全然、いりませんから……!」


 それよりノルドハイムに急がねば、時間稼ぎが無駄になってしまう――。


(はっ! そうだわ)


 時間稼ぎ、という考えから閃き、アデルは青年たちへと逆に切り出した。


「もし、もてなしてくれると、言うならば……今、魔物と戦っている、勇者にお願いできる……?」

「勇者? 勇者レイノルド様に?」

「ええ。さすがの彼も、あれだけの魔物相手には、疲弊すると思うから……討伐が終わったら、ゆっっっっくり、休ませてあげてほしいの……」


 アデルは考えた。

 万が一彼が魔物相手の戦闘を2日ほどで終えてしまった場合に備え、町人に足止めをさせてしまえばよいのだと。


「すぐに町を去ろうとしても、絶対に、引き止めなくてはだめよ……。酒池肉林を用意して、3日3晩ほど、宴を開くなど、いいと思うわ。可能なら5日でも、10日でも……」

「ですがそれなら、あなたにもお礼を」

「私のことなんて、どうだっていいから……! とにかく彼のほうを、もてなしてほしいの……」


 きっぱり言い切ると、青年たちははっと胸を衝かれた様子で黙り込んだ。こちらの気迫に圧されたのかもしれない。


「あと、これが一番、大事なことだけど……私がこういうお願いをしたってこと、彼に、言わないでくれる? 言うとほら、私の影が、ちらついちゃって、それどころでは、なくなると思うから……」


 影がちらつくとはこの場合、憎き仇のことが思い浮かんでしまい、酒を楽しむどころではなくなるという意味である。

 囁き声での懇願に、青年たちは意外にも神妙な顔で頷いた。


「わかりました」

「ええ。魔女様の思い、しっかりと伝わってきました」


 彼らはなぜだか胸を押さえたり、鼻を擦ったりしている。

 必死に勇者から逃げようとするアデルの足掻きっぷりが、それほど感動的だとでもいうのだろうか。


 アデルはそのまま「では」と場を去ろうとしたが、ふと思いついたことがあり、踵を返した。


「そうだ、もう一つ……。もてなしの場で、彼の心がほぐれてきたら、それとなく、伝えてほしいことが、あるんだけど……。もちろん、私の名は、伏せたままでね」

「それとなく、ですか?」

「そう、それとなく。『許してほしいなあ』とか、『寛容さって大事だなあ』とか……あとは、『対話って大事だなあ』とか……そういうことを、繰り返し、粘り強く、囁いてほしい」


 洗脳作戦である。


(どれだけ怒りに駆られていても、酒池肉林で気持ちよくなっているところに延々囁かれたら、多少は心が宥められるでしょ!)


 いずれレイノルドとは話し合わないといけないかもしれないのだから、今のうちからさりげなく誘導しておくことが重要だ。


「『許してほしい』『寛容さが大事』『対話が大事』ですね。わかりました」

「ありがとう。文脈無視して、差し込んで、いいからね……。繰り返すのが、大事。よろしく……」


 青年たちが戸惑いながらも復唱したのを聞き、アデルは今度こそその場を立ち去る。


(ノルドハイム。北の方角ってこっちだったっけ! 急がなきゃ。辻馬車が拾えればいいけど)


 暗い夜道。

 エミリーの案内もなく必死だったので、背後に残された青年たちがこう話し合っていたことなんて、当然アデルは知る由もなかった。


「なあ、聞いたか、今の」

「ああ、ギード。信じられないよ。魔物を追い払って礼も求めず、自分より弟子に感謝してほしいだなんて。弟子思いの師匠だったんだな。勇者が惚れ込むのも納得だ」

「『対話』が云々って、もしかして……」


 最後の一人がぽつんと呟くと、3人は一斉に視線を交わし、頷き合う。


「勇者様に伝えにいかなきゃ」


 誰からともなく、動きだした足。

 顔は絶望ではなく、興奮によって引き締まっていた。

 3人は教会跡地を離れ、一心に町の外れを目指しはじめた。




 ***





 エミリーは夜の町を疾走していた。


 魔物たちの群れは町の中心部から南東に外れた、建物のほとんどない草原を目指している。

 洗脳された彼らの勢いは凄まじく、人間のエミリーがどれだけ足を速めたところで、距離がぐんぐんと開くばかりだった。

 今は集団末尾の魔物の背中が小さく見えるだけだ。


 だが、精神感応魔法を使えば、彼らの位置を掴むことなど造作もない。

 エミリーの脳裏には、魔物を表す無数の赤い点、そして己の魔力を込めた腕輪が放つ青い光が、まるで地図でも広げたようにくっきりと映り込んでいた。


 そして魔物たちの目指す先には――。


(いた。レイノルド。……と、マルティン兄さん)


 片鱗ですら目を焼くような眩しさを放つ魔力に、無意識に拳を握る。


 金色の魔力――レイノルドの気配。

 そのすぐ隣には、ほんのりと赤みがかった、控えめだけれど緻密な魔力。

 あれは巻き込まれたマルティンに違いない。


(マルティン兄さん、死ななければいいけど)


 走りながら、エミリーはちらりとそんなことを思った。


 クレフの魔物たちの知性は低いが、なにしろ数が多い。

 洗脳の核に使った呪具も、師匠アデルの腕輪を使った。

 まがりなりにも魔女が長年愛用していた品だ、魔力を乗せるには最適だったのだ。

 それはつまり、洗脳はかなり強力に作用しつづけるということで、最後の一匹まで仕留めない限り、魔物はレイノルドを襲い続けるということである。


 エミリーの目算では、3日の死闘――は難しくても、1日くらいは持ってくれるはずだった。


 現に、ようやく端にたどりついた草原では、魔物たちが渦を巻き、レイノルドたちを取り囲もうとしている。

 暗くてよく見えないが、レイノルドは無言で佇み、その横でマルティンはわあわあと悲鳴を上げていた。


 エミリーは彼らに見つからぬよう身を屈め、手近な木の陰に身を隠した。


(もしレイノルドが半日くらいで片を付けようとしていたら、私が引き延ばす……!)


 ところがである。

 エミリーが覚悟に目を細めた瞬間、


 ど……っ!


 突然、草原で光が炸裂した。

 一拍遅れて吹き込んできた強風に、思わず足を取られる。


「な……!」


 素早く体勢を立て直し――エミリーは絶句した。

 閃光に目がやられたせいで、暗闇に沈んだ草原の光景は見えない。

 だが、先ほどまでたしかに感知していたはずの魔物たちの気配が、すべてなくなっていた。


 一匹残らずだ。


「まさか……」


 もしこの場にアデルがいたら、喉を枯らしながら「嘘でしょおおおおおお!?」と叫んでいたに違いない。

 彼女たちの足止め作戦は、3日どころか、たった数分すら機能せず頓挫してしまったのだから。


 ぱんっ。


 耳元で空気が弾けるような軽い音がする。

 腕輪にかけていた精神感応魔法が解けたのだ。


 反動で思わず蹲ると、さく、とすぐ近くの草が踏み分けられる。


 顔を上げるまでもない。

 月光を背負い立っていたのは、輝く金髪に、恐ろしく整った顔をした勇者、レイノルドだった。


「これはお久しぶりです、エミリー姉さん。こんなところで、いったい何を?」


 ぞくりとするような、低く美しい声だ。

 歩みは優雅で、武器の聖剣すら手にしていない。


 先ほどの魔物たちも、ただ腕の一振りで倒し、蒸発させてしまったのだろう。


(力の差が大きすぎる……!)


 弟弟子とたもとを分かって7年近く。

 つい昨日も夢で彼を目にして、精神魔法的な強さを理解していたつもりだが、まったく認識が甘かったようだ。


 レイノルドはこの7年で、攻撃魔法についても、恐るべき進化を遂げている。


「魔物たちの群れの中に、この腕輪がありました」


 うずくまったままのエミリーに、彼は告げた。

 差し出された手に載っていたのは、シンプルな女物の腕輪だ。


「エミリー姉さんの魔力が込められはしていましたが、これは師匠が身に付けていたものです。いったい何をしました? 師匠は今どこにいるんです?」


 魔物の群れに襲われておきながら、あっさり殲滅したどころか、腕輪だけ取りだしてみせた手腕に驚く。


 日付を把握するためにアデルがまとめ買いしていた、なんの変哲もないよくある腕輪を、一瞬で「師匠のもの」と断定してみせたその執着心にも。


「――まさかとは思いますが、師匠を僕から引き離そうとして、姉さんが小細工を?」


 彼がすう、と目を細めるだけで、周囲の気温が下がったような心地を抱く。

 喉元まで込み上げる本能的な恐怖を無視し、エミリーは毅然と顔を上げた。


「これは、師匠の意思よ。彼女の居場所は教えない」


 エミリーは昔から、この弟弟子のことが気に食わなかったのだ。

 彼が来るまで末っ子のポジションは自分が占めていたのに、このぽっと出の男のせいで、アデルの心は安まらず、結果エミリーに割かれる関心も減った。


(彼の執着心は理解している。たとえなぶり殺されようと、師匠の目的地は絶対に教えない)


 ひっそりと覚悟を決めていると、意外にもレイノルドは凄むのを止め、ぽつりと呟いた。


「師匠の意思……?」


 形のよい唇に手を当て、何かを考えはじめたようである。


「おい、エミリー、大丈夫か!?」


 その間に、マルティンがこちらに駆け寄ってきた。

 彼は蹲ったままの妹弟子を見て肩を貸そうとしたが、エミリーは咄嗟に振り払ってしまう。


 暴走するレイノルドを見かねて王都に残ったマルティンとは、もうかれこれ数年も言葉を交わしていなかった。

 アデルの「死」は、弟子たち3人をバラバラにしてしまったのだ。


「触らないでください」

『馬鹿エミリー! 今は僕たちがギクシャクしている場合じゃないんだよ、師匠がヤバいんだ!』


 だが、振り払った手をぐっと握り直されて、驚いた。


 肌に触れたことで、マルティンの心の声が直接流れ込んで来る。

 レイノルドに内緒で自分に何かを伝えようとしているのだと気付き、エミリーは顔を上げた。


『なんですって?』

『レイノルドのやつ、師匠を偲ぶあまりずっと精神がおかしくなってたから、僕が時空魔法で師匠をこっちに飛ばしたんだけど、そうしたら、あいつ、師匠を偽物だと思い込んで、怒りのあまり攻撃してしまったんだ』

『偽物と思い込んで?』


 アデルから聞いていた話と違う。

 エミリーは眉を顰めた。


『会った途端、積年の思いをぶつけるように、白昼堂々押し倒してきたのではなかったのですか?』

『はあ!? どこの変態だよ。教会の手先だと思い込んで、うっかり攻撃魔法を放ったんだ。それで師匠は泡を食って逃げ出した。きっと、レイノルドは自分を憎んでいると誤解して、怯えてる』

『憎んでいると誤解して……?』


 執着を理解して、の誤りではないのか。

 だがエミリーは素早く小屋での会話を反芻し、アデルが一度も、「レイノルドが自分を愛している」とは言わなかったことを思い出した。


 彼女が「彼が自分に向ける気持ちはよく理解している」などと言うから安心していたが――なんということだろう、アデルは彼から執着まみれの愛情ではなく、憎悪を向けられていると思っていたのだ!


『そんなまさか。心話を使ってなお話が食い違うなんて』


 ということは、おぞましいと思った数々の「レイノルドがアデルを襲う描写」も、自分の勘違いでしかなかったわけだ。


(え……、どうしよう。恥ずかしいわ)


 エミリーはばつの悪さに、冷や汗を滲ませた。

 弟弟子のことを屋外プレイ趣味の変態だと決めつけてしまっていたなんて。


『そうでしたか。師匠がずいぶん怯えて逃げ込んできたから、てっきり彼から逃がしてやるべきだと思っていたのですが……余計なことをしてしまいましたね』


 反省を込めて呟いたが、すると、マルティンが意外なことを言い出した。


『いや、結果的にそれでよかったんだ』

『え?』

『レイノルドはすぐに師匠の正体に気付いて、自分の行いを猛省した。でもその後になんて続けたと思う? 見つけ次第師匠を保護して、一生閉じ込めるつもりだったのに、って言ったんだぞ!』


 マルティンの叫びに、エミリーは混乱した。


『それは』


 こめかみを押さえて思考を整理する。


『ええと、危険ですね……?』


 なんて入り組んだ状況だろう。


 アデルは陵辱の危機に接しているのかと思いきや、実際には、ありもしない殺意に怯えていただけだったので、安全だった。

 ――と思いきや、レイノルドはアデルを監禁しようとしていたので、やはり安全ではなかった。


 危険、やはり安全、いいや危険、と、印象が短時間で行き来しすぎて頭痛がしそうだ。


『そう、危険だ。僕はずっと傍で見ていたからわかる。あいつはやると言ったらやる男だ。なんとかしてレイノルドの執着心を宥めなきゃいけない』

『そうですね。監禁の末に、性犯罪的な未来がやはり来ないとも限りませんし』

『そのために、あいつの度が過ぎた師匠賛美をやめさせたいんだ。師匠は全然、儚げでも崇高でも神秘的でもない普通の人間だぞと突き付けて、幻滅させたい』

『なるほど』


 エミリーは納得し、頷いた。

 レイノルドの行き過ぎた執着は、どこかのタイミングで宥めなくてはと思っていたのだ。


『では早速、師匠が彼に怯えまくっていたという事実を伝えましょう。師匠は末弟子にまったく敵わない力量しか持たないし、魔物を利用して弟子を襲わせる程度には打算的な人だと』

『そうだな』


 素早く段取りをつけてから、マルティンははっと慌てて手を離した。


「悪い。長々触られるの、嫌だったよな」


 精神感応能力を持つエミリーは、人と接触することを好まないと知っていたからである。


「……いいえ、べつに」


 エミリーはなんとなく手首を押さえながら、ゆっくりと立ち上がった。


 肌越しに流れ込んでしまう人の心というのは、大抵どろどろしていたり、身勝手だったりするから嫌いだ。

 だが、師匠のアデルと――一番弟子であるマルティンの感情は、むしろ肌にしっくりと馴染む感じがして、不快ではなかった。

 長年ともに過ごしてきたからだろう。


(8年、一緒にいたのだから)


 7年もぎくしゃくしてしまったけれど、それでもまだ、共に過ごしていた時間のほうが長い。

 アデルがいた頃は、内緒話をするたびに自分たちはこうやってやり取りをしていたのだっけと、無性に懐かしくなった。


 ふと顔を上げれば、マルティンと目が合う。

 彼もまた、距離を測りあぐねた様子でこちらを見ていた。


 そう、マルティンは、いつもそうだった。

 巻き込まれやすくて、振り回されやすくて、いつもちょっと困ったような顔をしている。

 だがその代わり、強引に踏み込んで、誰かを傷付けるということは絶対しないのだ。


(久々に話すことになったら、もっとぎくしゃくすることになるかと思っていたけれど……意外にそうでもなかったわね)


 アデルのお陰で、なし崩しに、そしてごく自然に、以前通りの関係に戻ってしまった。

 エミリーは、してやられたような、感動するような複雑な気持ちで、ほんのり苦笑した。


(そう、今は師匠のことだわ)


 首を振って意識を切り替える。

 ずっと腕輪を見つめて考え事をしているレイノルドに、アデルの本性を突き付けてやろうとした――しかしその瞬間である。


「勇者様!」


 丘の向こうから、大人数の足音と呼び声が響いたので、一同は何事かと振り返った。

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