27. 湧き出る魔物のあとしまつ(1)

「やっとご飯屋さん、あったぁ……」

「ここはなかなか繁盛しているようで、よかったですね」


 精神世界でからくもレイノルドから逃れたその翌日――いや、その日の夜というべきか、アデルとエミリーは、クレフの町で小料理屋の扉をくぐった。


 本当は、この時間にはすでにノルドハイムに向けて出発しているはずだったのだが、クレフでもう一泊していくことにしたのだ。


 というのも、悪夢にうなされた二人は疲弊しきってしまい、うっかり二度寝してしまったところ、次に目覚めたのが昼過ぎだったからである。


 町から町までは馬車で移動する予定だが、腕の確かな御者を確保するには、余裕を持って予約しておかねばならないし、道中の食料や日用品なども購入しておかねばならない。

 このまま夕方に慌ただしく出発するよりは、もう一泊して準備を整え、翌朝にクレフを出ようと決めたわけだった。


 ところがこのクレフ、地図を見る限りは大きな町のはずなのに、どうもあちこちの店が閉まり、人通りも閑散としている。


 看板を頼りに食事処を探し歩き、何度も「閉店」の貼り紙に裏切られながら、ようやくたどり着いた小料理屋がここなのだった。


「町の北側で、宿を取れたらと、思っていたけど、あまり期待できなそうね……。中央まで、戻ったほうが、いいかしら……」

「ですが、それだとかなり引き返すことになりますね。腹ごしらえをしたら、もう少しこの周辺で探してみましょう」


 二人は席に落ち着き、メニューの板を眺めながらひそひそと話す。

 今はエミリーの精神感応能力を応用して、二人の外見を「栗毛の女性」に見せているので、心話などほかの魔術を使えないのだった。


「あ、ニシンのパイ。ここだったのね……」


 お薦めメニューに「ニシンのパイ」を見つけたアデルは、小さく呟く。

 周囲を見回してみれば、大抵の客がそれを頼んでいるようで、こんがりと焼けたパイは、アデルが以前予知で見た姿とぴったり一致していた。


 こういう毒にも薬にもならない予知に限って、迅速に回収されてしまうのはなんなのか。


(レイノルドの襲撃に関して、もっと情報をくれというのよ)


 不便な予知能力を呪いつつ、手首につけた腕輪をこっそり見下ろす。


 本日、12月17日。

 よって、右手に嵌めた黒い腕輪は、まだ1本だけだ。


 例の予知夢で、腕輪は右腕に1本足されていただけ――つまり20日から29日にかけて起こるわけだから、未来を変えるために残された日数は、最短であともう3日しかない。

 出発前は、ノルドハイムにさえたどり着ければと軽く考えていたが、初日にエーベルトでレイノルドに肉薄され、昨夜もまた夢の中で彼に迫られた結果、かなり精神的に追い詰められていた。


 ひとまず、パイと果実酒、田舎風スープだけ頼んで、アデルはがっくりと肩を落とした。


「やっぱり、女二人で、勇者に抵抗しようなんて、無理があったのよ……。とても、逃げ切れる気がしない……。ねえ、護衛とかって、雇えないかな? 私、ちょっとだけど、たんす貯金、持ってきたし……」


 エミリーは苦笑を浮かべてこれに応じた。


「魔王並みに強い勇者を相手取って戦ってくれる護衛を雇うんですか? たんす貯金で?」

「すみませんでした……」

「まあ、知性が低く膂力だけある男だとかなら、魔法で洗脳して、肉の盾にすることもできますが」

「本当に、すみませんでした……。忘れてください……」


 アデルはテーブルに頭が付きそうなほど深々と頭を下げる。


(エミリーったらこんなに優しい子なのに、ときどきヒヤッとするような冗談を言うのよね)


 彼女は本気ですよ、とアデルに教えてやれる人間は、この場にはいなかった。


「ふー、開いててよかった! ようやくまともなエールが飲めるぜ」


 とそのとき、隣の席に、体格のいい男性客が二人やってきた。

 どっかりと腰を下ろした彼らは、装備や服装を見る限り、冒険者のようらしい。


 彼らはきょろきょろとあたりを見回し、こちらに気付くと「はーい、栗毛のべっぴんさんたち」と歯を見せた。

 精神感応魔法のおかげで、二人が栗毛の姉妹とでも見えているのだろう。


 男たちはすぐにアデルたちから関心を引き払うと、ひとまずエールだけ頼み、メニュー眺めながら雑談にふけった。


「しかしよお、この町、昔はもう少し栄えてなかったか? なんだってこんな、どこもここも店じまいしちまってるんだよ」


 二人のうち、顎ひげを生やしている男のほうがぼやいた。

 同感だと思ったアデルは、なんとなく聞き耳を立ててしまう。


 たしかにこの町は、門も立派で石畳もきれいに整備されており、とても豊かと見えるのに、店の数や人通りが少なく、がらんとしているのだ。

 なんとなく、エーベルトと似たような荒廃感があり、アデルは居心地の悪さを感じていたのであった。


「馬鹿、おまえ、知らねえのか? クレフは、例の一件のせいで、魔物の発生地になっちまったんだよ。毎年のように集団暴走スタンピードを起こすって評判だぜ」

「ああ、ここが」


 もう一人の、口ひげを生やしている男が答えると、顎ひげはすぐに納得の表情になる。


「エミリー、なに、『例の一件』って……?」


 アデルがこそこそと尋ねると、ちょうどニシンのパイを受け取っていたエミリーは「さあ」と、何かを言いよどむ素振りを見せた。


「私も詳しくは知りませんが、この町の人たちが、レイノルドを怒らせたんです」

「え? ここでもレイノルド……? クレフの人たちは、いったい、何をしたの……?」

「石を投げたんです」


 エミリーはなぜだか、アデルをじっと見つめながら言った。


「それで、彼が激怒してしまって。クレフから教会の機能をすべて取り上げてしまった結果、祈りが足りなくて、魔物が大量発生するようになってしまったんです」

「ひぇ……。レイノルドったら、呼吸するように、復讐する……」


 アデルは恐ろしそうに両腕を擦っているが、彼女を見たエミリーは、パイを切り分けながらこんなことを思っていた。


(石を投げられた人物とは、あなたのことですけどね、師匠)


 振り返れば7年前、火刑の際、王都市民は盛り上がりを欠いていた。

 だって、魔女狩り全盛期をすでに過ぎていた当時、かつて教会が推進していた虐殺は、実は政治的な都合によるものだったと、皆うすうす気付いていたからだ。


 黒髪だから、異国人だから、邪悪。

 そんな教会の教えを信じているのは頭の古びた老人だけで、少なくとも王都の知識人たち、そして若者たちは、もはや教会に冷ややかな視線を送りはじめていた。


 アデルが火刑の柱に掛けられたときも、おそらくは同情で胸を痛める住人や、あるいは「なんだ、黒髪っていうだけで」としらけた溜め息を吐く住人がいたはずだ。


 だが教会はそれをよしとしなかった。

 火刑は絶対であり、教会は正義の執行者として受け入れられなくてはならない。

 そこで彼らは、世間知らずの田舎の少年たちをかき集め、「石投げ人」と呼ばれる煽動者に仕立て上げたのである。


 石投げ人の仕事は単純だ。

 教会に握らされた金と引き換えに石を持ち、処刑場の四方八方に観衆として紛れて立つ。

 野次を飛ばし、二、三度石を投げれば、たちまち受刑者が「石を投げられて当然の犯罪者」に見えてくるという寸法だ。


 集団心理は簡単に暴走する。

 誰かが最初に雪原に足跡を付ければ、必ず後に続く者が出る。

 あっという間に、盛り上がる火刑の完成だ。


 処刑場に落ちていたいくつもの石。それが、石畳とは異なる色をしたやけに大きさの揃ったもので、しかも満遍なく全方向から飛んできたらしいことを見て、レイノルドが突き止めたのである。


 彼は、石投げ人を引き受けた者たちの名を探し当て、北方の町・クレフから上京してきた学生の一団が、小遣い稼ぎにやったのだということまで明らかにした。

 恐るべき執念だ。


 そして犯人にたどり着いたその日、レイノルドは、クレフの教会すべてを焼き払った。


(やりすぎじゃないかとマルティン兄さんは言ったけれど、私はそうは思わない)


 パイを口に運びながら、エミリーは内心で認めた。


 自分はどちらかといえば、アデルやマルティンよりも、レイノルドに近しい性質を持つ人間だ。

 だからこそ、クレフでスタンピードが頻発していると聞いても、胸を痛めることも、姉弟子として後始末に回ることもしなかった。


(でも)


 ――いや、だめでしょ……! 私を思ってくれるのは、ありがたいけど、でもだめでしょ! 

 ――ひとまず、使用料の搾取は、やめなさい……!


 エーベルトできっぱりと弟子を叱ったアデルの姿を思い出し、エミリーはぐぅ、とフォークを噛んだ。


(師匠が知ったら、また怒りそう)


 怒られるのはべつに構わない。

 けれど、お人好しの師匠が、自分に石を投げた相手のことまで許してしまうだろうことが嫌だった。

 敵にはいつまでも罰されていてほしいのだ。


(それに、レイノルドの献身を知って、師匠が絆されてしまったらまずいし)


 ただしエミリーの打算は、実際には少々効きすぎたようで、話を聞いたアデルはしきりと両腕をこすりながら、こんなことを考えていた。


(石を投げられただけで町を壊滅? やばい。レイノルドったらまじで些細なことで極悪な復讐をする……! これは四肢切断拷問死も納得の展開。怖すぎる!)


 彼女には、レイノルドが些細なことでブチギレる繊細残虐魔王に思えてならなかったのだ。

 パイを挟んでべつのことを考える二人の横では、男たちが会話を続けていた。


「この町は災難なこったな。勇者様も、いい加減許してやればいいのによ」

「まあ、俺も前に勇者様をちらっと見たことがあるが、あの色男、冷え冷えーっとした顔しちゃって、唯一復讐しているときだけが楽しい、みたいな感じだったもんな」


 アデルの背筋を凍らせるようなことを告げてから、顎ひげの男のほうが指を鳴らした。


「で、その勇者様と言えばよ! 最近寒さがぐっと和らいだと思わねえか? あれ、噂によれば、勇者様がご機嫌だからだってよ!」


 その発言に、思わずパイを噎せそうになる。


(レイノルドの機嫌ひとつで、国全体の温度が上がるって何事!? さすがにこじつけよね!?)


 だが、その後に続いた言葉にこそ、アデルは硬直することとなった。


「なんでそれほどご機嫌かっつーとよ、なんでも、東の魔女がとうとう見つかったんだと!」

「ええっ!? まじかよ! あんな高額懸賞を掛けて、7年も見つからなかったのに?」


(懸賞首!? レイノルドったら、私に懸賞まで掛けてたの!?)


 アデルはがくがくと震えだした。

 もちろん実際には、レイノルドはアデルに焦がれるあまりにそうしたのだったが、彼女からすればこう捉えざるをえなかったのだ。


(殺意!!)


 隣のテーブルで震えているアデルには気付かず、男たちはにやにやと意味深な笑みを浮かべ合った。


「そりゃあ、めでてえ話じゃねえか。7年越しに本懐を遂げたわけか」

「いや、それが、ちょっとした手違いで魔女殿は逃げ出しちまったらしい。今、勇者様はやる気満々で後を追いかけてるって話だぜ」


 聞き耳を立てていたアデルとエミリーは、同時に青ざめた。


る気満々ですって……!?)

る気満々ですって……!?)


 とそのとき、隣のテーブルでばんっと鈍い音が響き、エールの入った銅マグが置かれた。


「あいよ、エール2丁」


 泡を零す勢いでエールを持ってきたのは、年嵩の給仕役だ。

 彼は、乱暴さに驚いた男たち二人に向かって身を屈め、低い声で囁いた。


「今、東の魔女殿の話が聞こえたが」


 しわがれた声には、荒々しい所作とは裏腹に、恐怖と疲弊の色が滲んでいた。


「その名を軽々しく口にしないことだ。万が一勇者様の耳に入ったら、あんたたちもずたずたにやられちまうよ。この町みたいにな」


(なにその『名前を呼んではいけないあの人』みたいな扱い!?)


 聞いていたアデルは衝撃のあまり泣きそうになった。


 レイノルドときたら、憎き相手の名前を口に出されただけで激怒してしまうレベルなのか。

 一方でエミリーは、給仕役の発言の真意を悟り、小さく息を吐いていた。

(ああ、たしかに、石投げ人に、師匠の名前を軽々しく呼び捨てにされたのが、レイノルド激怒の決め手

だったものね)


 レイノルドはアデルを崇拝しすぎるあまり、周囲に軽々しく名を呼ばせることすら許さなかったのである。


「それに俺たちだって、できれば彼女の名を、聞きたくはない」


 給仕役はぽつりと呟く。

 当人の認識とは裏腹に、「東の魔女アデル」の印象は今や、「教会からはぐれた勇者を保護し育ててやったにもかかわらず、調査の行き違いが原因で処刑されてしまった悲劇の女性」として浸透している。


 魔女アデルは辺境の聖女、異端の聖母。

 彼女を失い、荒ぶった勇者が7日間天を轟かせたという悲劇的な結末まで含め、人々は大いに、この存在に心を寄せていたのである。


 石投げ人を出してしまったこの町にとって、魔女アデルとは悼むべき被害者であり、自分たちが犯した罪の象徴であった。

 軽々しく語りたい存在ではないのだ。


 給仕役が癖のように祈りの仕草をすると、それを見た冒険者たちも、いいや、ほかの客や厨房にいる料理人たちもがそれに続いた。


(魔除けの仕草まで……!?)


 一方、そんな事情をつゆ知らぬアデルは、己がレイノルドの仇としてそこまで嫌われているのかと思い、背筋を凍らせた。


 まったく、レイノルドはこの7年で恐ろしく短気になったと判明するわ、気温が上がるほど復讐を楽しみにしているらしいとわかるわ、彼が自分を嫌い抜いている事実が北の町ですら浸透しているわ。

 明らかになる情報がどれもこれも衝撃的で、とても食事を楽しむ気分ではない。


 しん、と静まり返ってしまった食堂で、アデルは半泣きになりかけたが、そのとき突然、二つの事件がほぼ同時に起こった。


 一つ目。

 ばんっ! と扉が開かれ、外から町人の一人と思しき男が踏み入ってきた。


「大変だ! 教会跡地で、急激に獣型の魔物が発生しだしたぞ! スタンピードを起こせばこの一帯も危ない! 今すぐ避難を!」


 伝令役を帯びていると見える男は、食堂をぐるりと見回して避難を呼びかけると、体格のいい男たち二人に目を留め、駆け寄ってくる。


「あんたら、冒険者か!? 悪いが力を貸してくれないか! 町の男手だけじゃ、とても歯が立たなそうなんだ」

「おお?」

「ふーん、まあ報酬次第だな」


 ひげ男たち二人は早速交渉に入った。


 そして二つ目。


「エ、エミリー、大変、魔物だって……!」

「そうですね。まあ、今では私も水の攻撃魔法が使えるので、襲われることは――、え……!?」


 冷静にパイを食べていてはずのエミリーが、会話中に突然こめかみを押さえ、さっと血の気を引かせた。


「まずい! レイノルドたちが近付いてきています! もう、この町の外れに!」

「えええっ!?」


 なんと、レイノルドが再び、アデルたちに肉薄してきたのである。

 エミリーの叫びは、魔物襲来の報よりよほどアデルを怯えさせた。


(な、なんでいつも居場所がわかるのよおお!)


 アデルはガタッと席を立った。


「いっ、今すぐ、逃げなきゃ……!」

「そうだそうだ! ここにいたら魔物の餌食になっちまう! 逃げるぞ!」


 ちなみに周りの席では、アデルとはべつの理由で腰を浮かせた客たちが叫んでいる。


「あの子ときたら、どうして、こんなに到着が早いの……!? さっきまでは、いなかったのに!」

「魔物ってやつは、どうして、こんなに急に湧くんだ! ついこの間、駆除したばかりなのに!」


 アデルと客は、対象は違えど、同じように青ざめていた。


「ひとまず師匠は、一足先にノルドハイムに向かってください。私がここで彼を足止めしますから」


 と、慌てるアデルに、覚悟を決めた表情でエミリーが切り出す。

 コートをぐいと押し付け、食堂から追い出そうとする二番弟子の腕を、アデルは慌てて掴んだ。


「そんな! あなたに、押し付けるなんて、できない……」

「いいですから。申し訳ないですが、師匠にいられるほうが、戦いにくいです」

「でも……せめて、護衛とかを、付けられない? 一緒に、戦ってくれる人、というか……」

「そんな人がどこにいるというのです。それも今、この状況で。少しでも戦える人材は、皆、魔物退治のほうに流れていってしまいましたよ」

「で、でも、探せばどこかに……」


 アデルが踏ん張っている間にも、脇からどんどん客たちが外へ逃げ出していく。


「おい、邪魔だ!」

「嬢ちゃんたちも早く逃げろ! 今回は獣型だとよ! やつらは頭こそ悪いが、とにかく強い。スタンピードに巻き込まれりゃ、命はないぜ!」


 何人かは、立ち尽くすアデルにぶつかり、舌打ちしたり、助言を寄越して駆けていった。


「師匠。ここに止まっていては危険です。とにかく――」

「いた」


 師匠を避難させようと、再度体を押そうとしたエミリーの手を、アデルは強く掴む。


「いたわ、エミリー……!」


 その黒い瞳は、爛々と輝いていた。


「知性が低く、腕っ節が強く、足止めをしてくれそうな護衛まものが……!」

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