25. 触れ合う夢のあとしまつ(2)

「頼むから、休ませてくれよ……。僕の足はもう、限界だよ……」


 アデルたちが入眠したのよりも少し前のことだ。


 クレフから遠く離れた、北西の町バーデでは、満月の下、男二人がとぼとぼと大通りを歩いていた。

 いいや、厳密に言えば、前を歩く美青年の足取りは焦っているかのように速く、一方で、後ろに続くひょろりとした青年の足取りは、鉛でも詰め込んだかのように重い。


 もちろん、前者はアデルの捜索に躍起になっているレイノルドであり、後者はそれに巻き込まれているマルティンであった。

 この二人は、エーベルトの町でアデルのスカーフを発見してからこちら、一昼夜休まずに歩き通しているのである。


 マルティンは何度も「休憩しよう」だとか「宿屋で足取りを再確認しよう」などと訴えているのだったが、そのたびにレイノルドが「こうしている間にも、師匠と一層はぐれてしまうかもしれません」と譲らないのだった。


「お疲れかもしれませんが、師匠のお姿を思えば、疲労も吹き飛ぶはずです。さあ、マルティン兄さん、もう少しだけ、師匠の痕跡を探しましょう」

「師匠の姿に、そんなポーションみたいな効果はないよ……」

「でしたらせめて、このスカーフを手掛かりに、師匠の元へ移動する陣でも引けませんか」

「せめて、と言いながら一層高い要求をするんじゃない! だいたい僕は、嗅覚の鋭い犬でもなんでもないよ!」


 鼻先でほらほらと悪趣味なスカーフを振られ、とうとうマルティンが激昂した。


「もう嫌だ! 宿屋に落ち着きたい! 温かいスープが飲みたい! ふかふかの寝台で寝たい! なんだって男二人で、延々と寒い夜の町を歩き回らなきゃいけないんだ!」

「そんなわがままを言われましても……」

「どっちがわがままだよ!! 僕はただ、二日ぶりに寝たいと言っているんだ! レイノルド、おまえにだって睡眠欲くらいはあるだろう!?」

「たかだか睡眠欲と、師匠の捜索を比べられましても」


 本気で困惑の表情を浮かべたレイノルドに、マルティンは思わず天を仰いだ。


 だめだ、この男の優先順位は狂っているのだ。

 普通の人間が、どれだけ常識を訴えたところで彼は聞かない。


 ただでさえ、アデル召喚の大規模な陣を引いた疲れも癒えないところに、東の森までの移動陣を引かされ、その後捜索に駆けずり回りと、マルティンの疲労は限界だった。


「なあ、知ってるか……」


 そして、寝台で寝たい、という痛切な思いだけが、彼にこんな言葉を紡がせた。


「世俗に疎いおまえは聞いたことがないかもしれないけど、昔から、『満月の夜に見る夢に思い人が出てきたら、その相手と結ばれる』っていう言い伝えがあってさ」


 もちろんそんなもの、疲れ目にぼんやり映る満月を見て、咄嗟についた嘘である。

 どうせレイノルドは聞かないだろうけれど、万が一くらいの確立で騙されてくれないかな、という、淡い期待での発言だった。


「双方が想い合ったときだけ、夢の世界が重なるらしいんだよね。師匠なら、きっとこんな時間には寝ているだろうから、後はレイノルドさえ寝ていれば、そういう奇跡も起こるかもしれないのになあ。まあ、師匠が思ってくれるかは不明だし、そもそも寝ていない限り、無理な話だけど」

「――……」

「ちょうど今日は満月だけど、これじゃ意味がなかったな――って、どこに行くんだよ!」


 ぼんやりと月を見上げながら歩いていたので、マルティンは、レイノルドが歩く速度を上げていたことに気付かなかった。

 ふと視線を戻せば、レイノルドときたら、かなり先を歩いているではないか。


(効かないどころか、逆効果かよ!)


 がっくり肩を落としていたところ、視線の先のレイノルドが急に右折して、勢いよく建物に入っていったので、目を丸くする。

 宿屋の看板が出ている建物であった。


「…………!?」

「部屋をお願いします。料金はこちら。釣りは結構です」


 慌てて追いかけてみれば、レイノルドは急き込んだ様子で宿泊の受付をしている。


「寝台の広さ? いえ、そんなものはなんでもいいです。ただ、一番月が近い部屋にしてください」

(めちゃめちゃ効いてる……!)


 あまりの効果に、マルティンの唇の端が引き攣るほどであった。


「マルティン兄さん。そういうことはもっと早く教えてくださらないと。ですが助言に感謝します。兄さんの部屋も取っておいたので、よければどうぞ」

「え、あ、は」


 一言も挟めぬうちに鍵を押し付けられる。

 金に糸目をつけない勇者らしく、一等の部屋だ。


「明日は七時にここで待ち合わせましょう。それでは」


 きっぱりと告げ、せかせかと自分の部屋に去ってゆく末弟子を、マルティンはぽかんとして見送った。

 宿屋の主人も同様だ。


(えー……)


 強引だし粘着質だし非常識な弟弟子だが、ことアデルに関することだけは途端に馬鹿になるし健気にもなるので、なんだか少しだけ、胸が痛む。


(明日の朝、『師匠に会えなかった』って落ち込みながら起きるのかな。それとも、嘘八百だってバレて僕が殺されるかな……)


 どちらの未来も、嬉しいものではない。


(どちらにせよ、だめだ、眠すぎてなにも考えられない……)


 疲労でそれ以上考えられなかったマルティンは、雑に結論し、ふらふらと部屋に入った。

 数日ぶりに横たわった寝台は、まるで天国のように心地よい。


(とにかく、一晩はレイノルドを足止めしたんだし……、よしとしよう……)


 瞼を閉じるのとほとんど同時に、意識が溶けてゆく。


 まさかこのときの選択が、レイノルドの足取りを緩めるどころか、一層加速させてしまうことになるなんて、彼は知るよしもないのだった。






 ***







 アデルは一面の苺畑にいた。


 空は青々と澄み渡り、風は温かく、甘い匂いがする。

 頬に当たる陽差しを堪能していると、森の向こうから弟子たちが駆け寄ってきて、満面の笑みを向けてくれた。


『師匠! うさぎが罠にかかったよ!』

『師匠! 今日は特別おいしい苺が実っています!』


 マルティンとエミリーだ。


 今は彼らももう立派な大人のはずなのに、なぜだか、それぞれ10歳と、9歳くらいに見える。

 そういえばそれが、アデルと出会った時の彼らの年齢だ。


 第一印象というのは強固なもので、その後どれだけ彼らが成長しても、アデルの中には、生えそろっていない歯でにかっと笑うマルティンや、猫のように大きな瞳でこちらを窺うエミリーの姿が、いつまでも残っているのだった。


『師匠! 師匠は元気で優しくて超すごいから、うさぎ肉の一番おいしいところをあげるよ』

『師匠! 師匠は大人で美人で超すごいので、美味しい苺のパイをあげます』


 二人が揃って嬉しい言葉を掛けてくれるので、アデルは舞い上がった。

 自分はなんて幸せ者なのだろう。


『師匠』


 うさぎ肉や苺を受け取っていると、また一人、背後から声を掛けてきた。


『朝食の準備が整いました』


 エプロンを着けたレイノルドだ。

 彼もまた、出会ったばかりの、8歳の姿をしていた。


『師匠は慈悲深くて賢くて超すごいので、一番きれいに焼けた目玉焼きをあげます』


 そう言って、いったいどこから取り出したのか、アデルが一等好きな焼き加減の、完璧に装われた朝食を出してくれる。


 いいの? と驚くと、レイノルドは、アデルが好きな人なつっこい笑みでこう答えた。


『もちろんです。師匠は完璧で偉くてすごいので、僕は師匠のためになんでもしますし、ムカついても殺したりしません』


 それはアデルが世界で一番聞きたい言葉だった。

 思わず涙が滲み、頬がにやけてしまう。


 そうだ、頬も自在に動く。

 いつも痺れた感じがする喉も、今はすっきりとして、滑らかに声が紡げるのだった。


『ありがとう! みんな、ありがとう! 嬉しいわ!』

『いえーい!』

『大好きよ、みんな! イェア!』


 アデルが拳を振り上げると、弟子たちも『わーっ』と拳を振り返してくれる。

 なんて完璧なコールアンドレスポンスだろう。


 アデルは感動して、大きく両手を広げた。


『ありがとう! そして、ありがとう――』

「――これが、師匠の夢の世界なのですね」


 とそこに、突然くっきりとした声が響き、はっとする。


 視線をさまよわせているうちに、ふっと子ども姿の弟子たちが消え失せ、代わりに、成人したエミリーが現れた。

 なぜだか、頬の内側を噛んでいるような、奇妙な表情を浮かべている。


「私たちって、師匠からはこう見えているのですね……『わー』って……」

「あっ、ああ、あ……っ、エミリー!」


 今、自分は夢の世界にいるのだとようやく認識し、それと同時に、アデルは真っ赤になった。

 弟子にちやほやされたい、という欲を丸出しにした現場を見られてしまった。


「や……っ、も、もう、夢の世界にいたのね!? やだ、こんな願望剥き出しの夢! うわー恥ずかしい!」

「いえ、これが願望と仰るなら、なんて微笑ましいのでしょう」


 エミリーは温かな、というか生温かな笑みを浮かべている。


 彼女からすれば、心を丸裸にしたところで、せいぜいうさぎ肉や苺や朝食を多めに分けてもらえる程度のことしか望んでいないアデルが、愛おしくて仕方なかったのである。

 こんな「剥き出しの願望」ならば、何時間だって眺めていたかった。


 とはいえ、レイノルドの精神世界に干渉しようというのなら、ゆっくりはしていられない。


「さて、私はこれからレイノルドの精神世界を探して、ここに繋ぎます。もし見つからなかったり、繋ぐのも危ぶまれるほどに彼の世界が荒ぶったりしていたら、私だけここに戻って来ますので」


 エミリーは淡々と告げ、空――のように見えるアデルの精神世界の天井を仰いだ。


 ここは人の心を丸裸にした世界。

 赤裸々な欲望が紡がれることもあれば、押し隠していた本音、強い恐怖や憎悪、繰り返し襲ってくる過去の記憶など、恐ろしい光景が立ち現れることもある。

 正直なところ、レイノルドの精神世界などというおぞましいものを、アデルの精神世界に繋いでやるつもりなどなかった。


 これからエミリーは、アデルの気配を餌にレイノルドの精神世界をおびき寄せ、そこに侵入し、破壊する。

 それだけが目的でここに来たのだ。


 もっとも、それをアデルに伝える気はないけれど。


「それでは、行ってきますね」

「うん! 気を付けてね! よろしくね!」


 アデルが頷いたのに微笑み返してから、エミリーは、世界の大気に溶け込むように、すぅっと姿を消した。




***




 輪郭を失った意識が、まるで液体のように際限なく溶け広がるのを感じる。


 エミリーは今、個にして全、全にして個の存在だ。

 どこにもいないし、どこにでも行ける。


 実際に、人々の精神世界が一カ所に集められているわけではないのだが、物理的な距離に支配されない精神世界は、遠く離れた人とも隣り合っている。

 それはなんだか、実際には遠く離れた星々が、広大な夜空では並んで見えるのに似ていた。


 エミリーは今、夜空そのものだ。

 大きく広げたエミリーの腕の内側で、淡く輝く無数の精神世界が、ふらふらとさまよっている。


 いいや、眠って無防備になった人々の精神は、星というよりシャボン玉に喩えるべきだろうか。

 頼りない膜に隔たれた内側に、複雑な世界を宿しながら、無軌道に空間をさまよっている。


 中でもひときわ温かな色をしたシャボン玉は、アデルの夢見る世界だ。

 特別異彩を放つわけでも、圧倒的に光り輝いているわけでもないが、覗くとつい心が和む。


 ただしエミリーはそこから視線を引き剥がし、暗闇に群れるほかの球体を探りはじめた。

 大きなもの、小さなもの。

 美しい形をしているもの、醜いもの。

 濁っているもの、形が定まらないもの――。


(あった)


 レイノルドの精神世界は、魂に刻まれた魔力が滲み出ているためか、ひときわ目を引き、すぐに特定することができた。


 金色の膜で幾重にも守られた、完璧な形をした球体。

 心なしか、アデルの精神世界の漂う方角へと、ゆらりゆらりと動きはじめている。

 アデルの気配を無意識下で察知しているようだ。


 強く想い合った恋人が、同じ夢を見るようなことは稀にあるが、こんなにも明確に「接近」を思わせる動きをする精神世界など見たことがない。


(発見しやすいのはよかったけど……不気味なほどの執念だわ)


 エミリーは少々圧倒されながら、レイノルドの精神世界へと意識を凝らした。


 普段であれば、この魔力の防御壁を破って干渉するなど不可能だったろう。

 だが今、この球体は頼りなげに明滅し、膜も時折薄くなっている。


 指で触れる様をイメージすると、するりと、その世界の内側へと入り込めた。


 ザァアアアア……!


 途端に吹き渡る風と、叩きつけるような雨。

 空は黒く、所々で稲光が轟き、暗く沈んだ地上には、黒焦げになった建物や植物が静かに項垂れている。


 エミリーは驚いて、周囲を見回した。


(なに、これ……)


 ぞっとするような光景の、その中心に、燃えかけの柱が立っているのを見て気付く。

 これは、アデルを失った日、7年前の処刑場だ。


『――……』


 そのときふと、風に紛れてしまうような小さな声が聞こえた気がして、エミリーはそちらに視線を巡らせた。


 火刑の柱、その足元だ。

 一人の青年が力なく跪き、呆然と空を、いいや、焦げた柱を見上げている。


『師匠……師匠……』


 レイノルドだった。

 秀麗な顔は煤にまみれ、叩きつける雨がまるで涙のように頬を流れた。


『師匠……師匠……!』


 レイノルドは掠れた声を上げ、柱に縋り付き、最愛の人の痕跡がないかを必死に探している。


 いいや、逆かもしれない。

 焦げた藁やわだかまった泥、灰となって積み上がった何かが、間違ってもアデルでないことを証明しようとしている。


『師匠……! 師匠! 師匠!!』


 それ以外の言葉を失ってしまったように、ずっとアデルを呼び続けるレイノルドを見て、エミリーは思わず視線を逸らした。


 彼の絶望はわかる。

 痛いほどに。


(レイノルドなんて嫌いだわ。嫌いだけど……こんな姿を見ると)


 つい、同情しそうになる。


 彼は今も、アデルを失った苦悩の中にある。

 己を責め、世界を呪い、ほとんど正気を失いかけているのだ。


 まるで母を失った子どものように、こんなにも悲痛な声を上げ続けている彼から、アデルを遠ざけようとするなど、人倫に反するだろうか。


(でも――)


 それでもアデルは、レイノルドに怯えているのだ。

 そしてエミリーは、アデルの味方に回ると決めている。


 温かな太陽の下で、苺を摘んでにこにこしているのがお似合いの彼女を、情念と執着の檻に捕らえさせるわけにはいかない。

 そう思った。


(せめて、夢の中では幸せにしてあげましょう)


 エミリーは覚悟を決めて、ゆっくりと片手を挙げた。


 この世界に干渉する。

 レイノルドにはせいぜい幸せな夢を見てもらうとしよう。

 アデルが蘇る夢だ。


 ただし、この世界のアデルは、レイノルドが触れた途端に溶けて消えてしまうことにする。同時に、忠実に尽くせば再び戻ってくるようにもする。

 彼は最愛の人に、焦がれながらも触れられぬまま、ずっと傍にいるのだ。


(恋は成就しないけれど、少なくとも死別よりは、幸福なはずよ)


 レイノルドは進んでこの夢の世界に留まろうとするだろう。

 眠り続ければ人は衰弱するし、仮にすぐ目覚めてしまったとしても、強烈な夢は記憶に残り、徐々に精神を蝕んで魔力を弱める。


「世界よ、レイノルドの師・アデルを――」


 しかし、エミリーが呪文を紡ぎきるよりも早く、レイノルドが目を見開き、ばっとこちらを振り返る。


(気取られた!?)


 思わず青ざめ、慌てて構えを取ったが、


『師匠……?』


 レイノルドはエミリーを通り越し、世界の果てを見つめていたので、怪訝さに眉を寄せた。


(何?)


 視線の先を辿り、はっとする。

 彼の精神世界の果て、地平線が広がっているべき場所の向こうに、温かな光が見えたのだ。


 膜を隔てて見えるあれは、アデルの精神世界。

 レイノルドの強大な魔力、その核となる強烈な感情は、広大な幻想空間を突き進み、エミリーの想像を上回る速さで、アデルの精神世界にたどり着こうとしているのだった。


『師匠……』


 レイノルドが、果てに向かってふらりと歩きはじめる。


『師匠。そこにいるのですか?』


 変化は劇的だった。

 青い瞳に喜色が浮かぶのと同時に、雨が止み、空から光が注ぎはじめる。

 焦土と化していた大地は、彼が踏みしめた場所から瑞々しさを取り戻し、音を立てながら緑を広げた。


 サァアアアア……!


『師匠。いらっしゃるのですね!』


 陰鬱に佇んでいた処刑柱が跡形もなく消え、代わりに苺畑が現れる。


 見慣れた木々。

 こぢんまりとした小屋。

 なだらかな丘。


 そう、ここは、東の森――。


「師匠! 待ってください!」


 とうとう、夢の中を生きていたはずのレイノルドが、意志を持った肉声で叫びはじめた。


(まずい! 二人の世界が触れたら、夢が重なる……!)


 夢の世界にいながら、他者の精神世界の居所を探り、自力で接近してみせる魂なんて、見たことがない。


(精神感応能力もないくせに、なぜこんなことが可能なのよ!)


 はたしてこれが勇者ということなのか、それとも執念の賜なのか。

 不測の事態が起こるのを恐れて、エミリーは慌ててアデルの精神世界へと意識を飛ばした。


 《師匠!》


 牧歌的な世界では、アデルがそわそわと落ち着きなくあたりを見回しながら、末弟子が現れるのを今か今かと待っていた。


 《師匠、大変です。レイノルドが、強引に師匠の精神世界と繋がろうとしています》

「えっ?」


 アデルは、突然天から降ってきた声に、目を丸くしている。


「エミリー? どこにいるの? なんだかすごいわ、空全体から声が降ってくるんだけど」

 《説明している余裕はありません。いいですか、これは危険な状態で――》


 ぐん……っ!


 話している途中で、突然周囲が揺れた感覚を抱き、エミリーは言葉を詰まらせた。


(嘘でしょう! レイノルドが、精神世界を繋げた!?)


 さながらシャボン玉を二つ、横並びでくっつけたように、アデルの精神世界と、レイノルドの精神世界が重なり始めたのだ。


 今は互いの膜に阻まれ、完全に一つになったわけではなかったが、時間が経てば、レイノルドは自在にアデルの精神世界へと乗り込むことも可能な気がした。


(何それ怖い!)


 精神世界から肉体には直接干渉できない。

 それが精神感応能力の不文律のはずだ。


 なのに、今のレイノルドは、夢の世界でアデルを捕まえて、そのまま強引に、自分のもとに引きずり込みそうな迫力さえあった。


(来ないで! 師匠の世界を蝕まないで!)


 弟弟子の洗脳などとんでもない、とにかく彼の精神世界と、アデルのそれを引き離さなくてはならない。

 エミリーは意識を集中させ、全魔力を込めて、二つの精神世界を剥がしにかかった。


 だが、レイノルドの世界はまるでアデルの世界を鷲掴みにでもしているかのように、むしろ接近を強めていく。

 それがそのまま、女を組み敷こうとする男の姿に思えて、エミリーは背筋を凍らせた。


(なんなの、この執着の強さは!)


 二つの世界を引き離すなど無理だ。

 せめて、アデル側の世界の「膜」を強固なものにして、レイノルドの魔力に侵されることを防がねば。


 《遮断! 師匠の世界を遮断するのよ! 早く!》


 エミリーは、アデルの精神世界に向かって、渾身の力で叫んだ。

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