18. アデル、飛ばされる(2)

「その姿を見せるな!」


 ――どぉぉぉ……んっ!


 攻撃魔法を繰り出す人物の正体は、漆黒のシャツとマントをまとったレイノルドだった。

 立て続けに容赦のない攻撃を浴びせる彼に、マルティンはぽかんとする。


(はい?)

「レイノルド……!」


 続いて、聞き慣れた掠れ声を耳に入れ、はっとした。


 攻撃を受けているのは、まさに思い描いていた人物。

 マルティンたちが、そしてレイノルドがこの7年、血を吐くような思いをしながら求めていた相手、アデル本人だ!


「寛容でありなさいって、教えたのに……!」


 アデルは悲愴な声で叫び、身を翻す。

 全力疾走ぶりを見て、マルティンはまったく想定外の、かつ最低の事態が起こったのだと察した。


「何をしているんだ、レイノルド!」


 どさっと苺の籠を取り落とし、レイノルドへと駆け寄る。

 何を、と言いながらも、もうわかっていた。


(師匠を、偽物だと誤解したんだ……!)


 事情は理解できる。

 というのも、レイノルドの暴走ぶりを恐れた教会が、たびたびアデルによく似た女を遣わせてきたからだ。


 黒髪に黒い瞳の女を集めて、「自分こそがアデルだ」と名乗り出させた。

 記録や町人の証言をもとに「アデルらしい」言動を再現させ、治癒魔法で顔まで似せて、レイノルドの気を引こうとしたのだ。


 冷静に考えればありえない方法だ。

 だが、アデルを失ったレイノルドは、明らかに精神の均衡を欠いていた。

 万が一くらいの確率で、女を受け入れることもあると、教会は考えたのだろう。


 もちろん、レイノルドが教会への憎悪を深めるだけに終わったが。


「師匠を攻撃したのか!? 馬鹿、この大馬鹿野郎! 彼女は――」


 本物だ、と叫ぶべく、マルティンはレイノルドの肩を掴んで揺さぶった。

 だが、そうする必要はなかったのかもしれない。

 彼は、アデルの叫びを聞いた時から、ぴたりと動きを止めてしまっていたのだから。


「『寛容でありなさいと、教えた』……」


 レイノルドは、この7年、まったく許したことのない隙を見せ、呆然と呟いていた。


「僕と師匠しか知らない、会話だ」


 低く美しい声が、震えている。

 彼は空色の瞳を恐怖に強ばらせ、マルティンを振り返った。


「彼女は――師匠なのか!?」


 そうだよ、と答えようとしたが、それよりも早く、マルティンは他へと意識を引きつけられた。

 逃げ出したアデルが、視線の先、不要な石像の安置場所で、ぎょっと後ずさったのだ。


(しまった、あれは……!)


 顔や体を欠損させた、大量の「アデル像」。

 事情を知らぬ人が見れば、さぞ不気味に映るだろう。


 だが実際のところあれは、師匠を愛しすぎているレイノルドが、像を捧げてきた教会の職人に、


「こんなの、師匠の美しさの十分の一も伝わってこない。師匠に対する侮辱だ」


 と見せしめで破壊した結果生まれた、歪んだ愛の産物なのだ。


「ひ……っ」

(ああっ! 引いてる! 引いてる! そりゃそうだよ!)


 なんと言ったって彼女は、処刑されるまでの7年間、常にレイノルドのことを「いつ私を殺すのだろう」と怯えながら見ていたのだ。

 実際、彼が理由で火あぶりにされ、しかもこんな砕かれた石像まで見せられたら、「レイノルドはやはり自分を憎んでいるのだ」と思ったって不思議はない。


(逆なのに!)


 マルティンは慌てて声を張り上げようとしたが、それよりも早くふらついたアデルが、あろうことか芝に描いてあった陣に触れてしまった。


(ああっ! 不要な石像を転送しようと描いてあった陣!)


 マルティンは青ざめた。

 積み重なる石像が不気味だからと、適当な場所に廃棄すべく陣で囲み、そのままにしていたのだ。

 しかも、廃棄場所の住所を確かめてから陣を完成させようとした結果、地名は指定していない。


 ――ぱあああ……っ!


「あああ!」


 そんな恐ろしい代物が、アデルの魔力に反応し、起動してしまった。

 マルティンは大声を上げた。


「師匠……!」


 レイノルドも血相を変えて駆け寄るが、さしもの彼でも間に合わない。

 陣は石像を、そしてアデルを飲み込むと疾風を放ち、やがてふっと音を立てて掻き消えてしまった。


「師匠! 師匠! どこへ行かれたのですか!? なぜ……! また姿を消すのです!?」


 レイノルドはその場に崩れ落ち、大地を引っ掻きながら吼えている。


「どうして……!」


 まるで、恋人と引き離された青年――いいや、母親に見捨てられた少年かのようだった。


「『戻ったら話を』と、言ったのに……」


 やがてだらりと、腕を降ろす。


「僕が、正体をすぐに見抜けなかった、愚か者だからですか? あろうことか、師匠に攻撃を……」


 憔悴しきった目で呟く彼は、見ているだけで胸が引き絞られそうな哀れさだ。


「レイノルド。それも無理はないよ。だってこれは、僕――」

「師匠が戻られたら、もう逃がさないと、決めていたのに」


 マルティンは弟弟子に近付き、慰めようと手を伸ばしたが、不穏な言葉を聞きつけて、「んっ?」とその腕を止めた。


「巨大な鳥籠を、用意していたのに……。誰にも見せない、触れられない……安全な場所に隔離しようと、ずっと決めていたのに……」


 ぽつり、ぽつりと漏れる言葉は、切なげなのに、えらく物騒だ。


(んっ? んーーっ!?)


 マルティンは中途半端な笑みを浮かべたまま、だらだらと冷や汗を掻いた。


 レイノルドがアデルを慕っているのは理解していた。

 だいぶ彼女を美化しているということも、「偉大な師匠」をその手に取り戻したがっているということも。


 だが、取り戻した途端閉じ込めるつもりであったとは初耳だ。


 再会して感涙にむせんだ後は、「なんだよ、おまえ泣いてるのかよー」「からかうのはよしてください!」みたいな心温まるやり取りを経て、「あとは森の家に戻って、皆で幸せに暮らしました。マルティンはとても感謝され、女の子にもモテモテになりました」と、ほのぼのしたハッピーエンドを迎える予定だったのに。


(こ、恋とか愛って、こんなに物騒なものだっけ!?)


 人畜無害を地で行くマルティンは、相手を監禁したくなるような苛烈な愛など知らない。


「教えてください、マルティン兄さん」


 やがてレイノルドは、ふと昏い瞳を上げた。


「石像の周りにあった移転陣は、兄さんが引いたものですね。師匠はどこへ? 彼女はなぜここに現れて、どうしてまた姿を消したのですか?」

「え、ええっとお……」


 金縛りにあったような感覚を抱きながら、マルティンは必死に思考を巡らせた。


「まず、石像の周りに引いてた陣は、宛先を定義してなかったから、どこに飛ばされるかは、本人の魔力量と意思次第、というかあ」

「……余計なことを」


 石像の後始末をしてやろうとしていたのに、レイノルドに目を細められ、不条理さと恐怖とを噛み締める。

 じゃあおまえが片付ければよかったじゃん! と言いたいが、それを許さぬ圧倒的魔力を持つのが、この俺様何様レイノルド様だ。


(だいたいこいつ、師匠の前以外では昔っから性格悪いんだよ!)


 師匠を7年前から現在に転移させてやったのはこの僕だぞ、という言葉が喉まで出掛かったが、すんでのところでマルティンはそれを飲み込んだ。


 ならば今すぐアデルをこの場に再転移させろ、とレイノルドが命じてきそうだったからだ。


(命じてきそうというか……するよな? 確実に)


 実を言えば、マルティンがもう3日ほど徹夜して陣を構築しなおせば、アデルの居場所を掴み、強引にこの場に呼び出すこともできる。

 時をこの数十分だけ巻き戻すことも可能だろう。


 だが、続けざまに時空魔法なんか揮ってはアデルの命が危ういし、それに――


(こいつに捕まっちゃったら、師匠の人生が危うくない!?)


 レイノルドの剥き出しの執着は、マルティンの背筋を凍らせるほどのものだった。


「それにしても、なぜ師匠は今日ここに現れたのだろう。兄さん、時空魔法の研究者としてわかることはありますか?」

「え? あ、あー……わからないけど、君と約束したからじゃないか? 『戻って話す』って」


 再度尋ねられたので、マルティンは適当にもほどがある説明でごまかしたが、レイノルドは意外にもはっと息を呑み、目を見開いた。


「…………!」


 瞳を輝かせ、大きな手で整った口元を覆う。


「そ……そう、ですか」

(え、どうしよう、すごい喜んでる)


 微笑ましい絵面なのに、恐ろしい。

 今、自分は、我が身可愛さに、一層レイノルドのアデルに対する執着心を育ててしまったのではあるまいか。


「では、その後また姿を消したのも、お考えがあってのことなのでしょうね。とにかく、師匠を探さなくてはなりません」

「う、うん、そうだな。そう」


 マルティンは曖昧に頷いた。

 もしアデルが、レイノルドに憎まれていると思い込んでしまったなら、それは誤りだ。

 だが、この末弟子が師匠に害を成す可能性があるという点では、正しい警戒心と言えるのかもしれない。


 冷や汗と悪寒が止まらない。

 レイノルドが彼女を見つけ出してしまう前に、一刻も早く、そして密かにアデルに接触せねば。

 彼の興奮が収まるまでは、きっと再会も引き延ばしたほうがいい。


「師匠が時空魔法を操るなんて知りませんでした。でも考えてみれば、あの師匠ですものね。はは、七年間、なぜこの末弟子に何も言ってくださらなかったのかと恨みたくもなりますが……崇高なお考えを、察せなかった僕の手落ちだ」


 レイノルドは、照れたような、恐縮するような、甘酸っぱい顔をしている。


「あー、いや、うん、あー……」


 どうやったらこの執着心を宥められるのだろう。

 ひとまず、「偉大な師匠」というアデルの虚像から崩しにかかったほうがよいのではないか。


(だから、猫かぶりはいい加減によせって、あれほど言ったのに!)


 お騒がせな師匠は、いったいどこへ飛んだのか。

 いいや、心当たりがひとつ、あるにはある。


(たぶん……、東の森に飛ばされたよな)


 なにせアデルが咄嗟に目指す場所があるとしたら、長年住んできた家だろうから。


(王都から東の森までは、馬車で2日以上はある。数日の時間は稼げるってことだ)


 しかも東の森の「アデルの家」には、今、アデルの後を継いだエミリーがいる。

 レイノルドと張り合うくらいアデルを慕っている彼女のことだ。

 無事に落ち合えば、師匠を独り占めしようとアデルを匿い、レイノルドから遠ざけるくらいはするだろう。


(とにかく、当面の間、師匠の居場所をレイノルドに知られないようにしなきゃ)


 7年間、必死にアデルを呼び寄せようとしていた日々から一転、マルティンは、どうにか師匠を末弟子の魔手から逃そうと、必死に頭を捻りはじめた。

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