13. アデル、懊悩する(3)

ひとしきり回想を終えたアデルは、寝台で悶々とため息をついた。


(マルティンやエミリーも協力してくれて、その後も頑張ってきたけど、何一つ事態は解決してないのよね~~~~!)


 寝台の傍にセットされてある水差しから水を飲みつつ――ベッドメイクも水の用意も、いつもレイノルドが完璧にこなしてくれている――、ようやく布団に別れを告げる。


 寝間着からローブに着替え、申し訳程度の化粧をした。

 朝食は弟子たち、というか主に末弟子が作ってくれるので、アデルの朝のルーティーンはこれだけだ。


(教育環境を劣悪にしてもダメ、堕落させようとしてもダメ、心を折ろうとすると逆効果。何をどうやっても魔力が伸びて、今や誰も無視できないほどの立派な魔術師)


 教会に認定された者は勇者、されない者は魔術師、というだけの違いなので、レイノルドの実力はすでに勇者並みと言っていい。


 今は王都の東端にある森に隠れ住み、近隣住人からの依頼をこそこそとこなしている程度だから、周囲に存在を認知されずに済んでいるが、あまりに活躍が続き、レイノルドの噂が立ってしまえば、教会は彼の存在に気付き、取り戻そうとするだろう。


(それで見事勇者に認定されてしまえば、結局予知の通りだわ。こうなったら、「大切な存在を踏みにじった」っていう部分を回避したかったけど、あの子に恋人ができる気配はいまだにないし)


 鏡を見つめながら考え込む。

 いったいいつ彼に「かけがえのない存在」ができるのだろう。

 現れたら絶対親切にして爽やかに距離を取ろうと構えているのに、レイノルドときたらいまだ初恋のはの字も匂わせない。


 奇妙な話だが、現時点で彼が一番大切にしている人物といったら、師匠であるこの自分だと言えるほどだ。


(なに、じゃあ私が誰かに踏みにじられるってこと? で、その恨みを私に向ける? ないない)


 ちらりと意外な可能性が頭をよぎるが、予知と根本的に矛盾しているためすぐ棄却する。


 もしかしたら「人」という考えに縛られているからいけないのかもしれない。

「かけがえのない存在」というのは、意外に物かもしれないし、概念かもしれないのだ。


(とりあえず、レイノルドの私物、絶対壊さないようにしよう……)


 決意も新たに櫛を置くと、見計らったように、こんこんと控えめに扉がノックされた。


「師匠。おはようございます。入室してもよいでしょうか」

「ええ」


 顔を見るまでもない。扉の向こうにいたのは、レイノルドだ。


「おはよう。元気かしら、私の可愛い末弟子は……」


 決まり文句で声を掛けると――彼を「弟子」としきりに呼ぶことで、精神的優位をさりげなく強調し、かつ師弟間の絆を育もうという地道な策である――、レイノルドは秀麗な顔を嬉しそうにはにかませた。


「はい。この末弟子は、師匠のお陰で今日も元気です。朝食を用意しました。ただ、まだスープが熱くて、猫舌の師匠には少々食べづらいかと思うので」


 よくできた末弟子は、驚くべき足の長さを披露しながら入室し、あるものを掲げてみせた。


「差し支えなければ、冷めるまでの間に……今日も、その、お願いできないものかと」


 珍しくもごもごしている彼の手にあるのは、小さな桶と手袋、そして櫛だ。


「ええ、もちろん……。そこに掛けて」


 アデルは即座に頷き、レイノルドから道具を受け取った。

 これは、輝くような金髪を、平凡な茶髪に染めるための道具一式である。


 数年前から、レイノルドの容貌と能力があまりに目立つようになってきたので、教会に目を付けられるのを懸念し、人前に出るときは染め粉を付けるようにしていたのである。


 なんでも器用にこなすレイノルドだが、どうも後頭部が染めにくいと零していたので、誘拐露見を恐れたアデルがその役目を引き受けているのだった。


「それにしても、数日前に、染め直したばかりなのに、こうも、綺麗に、落ちてしまうのね……。せっかく、高い染め粉を買ってみたのに……」

「お手を煩わせて申し訳ありません。今度商人を問い詰めておきます」

「まあ、いいわ……。きっと染め粉って、どれも中身は、変わらないのね……」

「そうだと思います」


 均一に染め粉が行き渡るよう、手櫛と木櫛で丁寧に髪を解していると、レイノルドの声が柔らかなものになる。

 撫でられるのが好きな犬みたいで、あどけないことだとアデルは思った。


「マルティンたちも、弟弟子の身支度を、手伝ってくれたらいいのにね。今度、叱っておくからね……」

「いいえ、たまたまお二人がいつも忙しいだけで。師匠はご迷惑ですか?」

「べつに、そんなことはないけれど……」

「よかった」


 べつに髪を染めてやるくらい全然手間ではないけれど、毎回レイノルドが染めようとするときに限って二人が捕まらないというのは、いじめられでもしているのかと少々心配になってしまう。


「ねえ、私の可愛い末弟子は、まさか、兄弟子たちに、いじめられたり、していないわよね……? 今日も元気? 幸せ……?」

「もちろんです」


 主に自分の未来が気になって尋ねると、レイノルドはくすぐったそうに笑った。


「本当? 人間関係の悩み、なんでも相談してね。恋人とか、できないの……? ほら、この前、町に降りたとき、かわいい売り子が、いたじゃない。あの子とか……。うちは、恋愛自由だから、安心してほしい……」

「べつに、目にも入りませんでしたが」


 恋愛関係に話を振ると、途端に機嫌が悪くなるのもいつものことだ。


(プライバシーを大切にしたがるタイプなのね)


 追及を諦め、アデルは話題を変えることにした。


「ええと、今日の予定は、なんだったかしら……」

「薬草の採集と薬の製造が二点ずつ。住人から依頼のあった熊よけの罠作りと販売、あとは来客が一件です。来客対応以外は、僭越ながらすべて僕が済ませておきました。罠設置の際に親熊も出てきたので、倒して今は血抜き中です」

(なんて?)


 毎度のことながら、レイノルドのぶっ飛んだ有能ぶりに衝撃を受ける。

 喉や顔を操りにくくなった今の体質に感謝だ。

 そうでなければ奇声を上げて、ぐりぐりと目玉を回していたところだった。


「……そうね。まあ、視えていたわ」


 取り落としそうになっていた櫛を持ち直し、アデルは必死に平静を装った。


 自分の実力では、レイノルドの五倍の日数を掛けてもこなせない、などと知られたら師匠の尊厳が危うい。

 見下されたら、7年後どころか今この瞬間に「なんかむかつく」などの理由でなぶり殺されてしまうかもしれない。


「あなた自身の口から、説明してほしかっただけ……」

「師匠の予知能力はさすがです。僕が攻撃魔法を多少使えるようになったところで、師匠のすべてを見通す慧眼と聡明さ、悠然とした佇まいには、到底敵いません」


 従順な末弟子からは、即座に熱っぽい称賛が返る。

 アデルは内心で冷や汗を滲ませながら、静かに微笑むしかできなかった。


 マルティンやエミリーには、最近しきりと「いい加減、猫を被るのをやめては?」と言われていたが、ここまでできあがったイメージを、いったいどうしたら軽蔑されることなく修正できるのか、もうわからない。


「さあ、できた。少し時間をおいてから、すすいでね……。それと、今日の午後の来客時には、あなたは絶対、姿を見せないように。ちょっと、気難しいお客様だから……」

「はい、師匠」


 聞き分けのよいレイノルドは、綺麗な声で頷き、席を立つ。

 アデルはこっそりと胸を撫で下ろした。


 何を隠そう、今日の午後にやってくる客とは、王都の教会から派遣される視察団なのだ。

 時折辺境の地に赴くことで、洗礼を受けられなかった住人にまとめて名を与えてやったり、聖書を新版に差し替えたり、地方に異端勢力がいないかを確認したりと、中央からの統制を強めるのが目的で、数年おきに抜き打ちで中堅司教たちがやって来るのであった。


 かつて魔女弾圧が厳しかった時代には異端審問官の役割をも兼ね、教会に仇なすと「彼らが」みなした者――要は異国人の魔力持ちや、政治的に厄介な難民や、不貞女や、その他なんとなく気に食わなかった人間――が次々と処刑されたらしい。

 異国の血混じりの魔女であるアデルとしては、どれだけ警戒しても足りない相手だ。


 もっとも、彼らは最近では、異国人の魔力持ちのことは「協力者」と呼び、教会に薬草や薬を供出したり、経済貢献や情報提供をする限りは弾圧しない、という方針に落ち着いているが。


 要は彼らは、「特別に居住を認めてやった者たち」からみかじめ料を取り立てる、やくざ者と一緒だ。

 アデルは予知の能力で彼らの来訪時期を把握し、その期間には「アデルの家」を「平凡な雑貨屋」として飾り立て、なおかつ賄賂用の薬草を蓄えておくことで難を逃れている。


 この区域を担当するのはヴィムというがめつい男で、彼は聖職者でありながら狩猟も好む不届き者だ。

 ちょうど前回は、レイノルドが狩ってくれた上等なうさぎがあったので、差し出したら大変喜ばれたところだった。


(いくらヴィムが魔女に比較的寛大とはいえ、この子の姿を見られるわけにはいかないわ)


 アデルは、平凡な茶髪になってなお、神々しい美貌を際立たせるレイノルドを盗み見し、溜め息を吐く。


 元々の出自に加え、今のアデルは誘拐犯なのだ。

 それも、教会が手塩に掛けて育てたかっただろう勇者候補の。


「憂鬱……」

「それほど嫌な相手なのですか? なら、来客など断ってしまえばよいのでは?」

「いえ、大丈夫。恩もある相手だし……」


 ヴィムはがめついが、賄賂に満足さえしてくれれば、なにかと便宜を図ってくれる人物だ。

 教会から除籍されたエミリーが、こうしてアデルの弟子となっていることも、貴族だという元夫に通報しないでくれているし、薬の一部も時々王都価格で買い取ってくれる。


 できれば無難に、ことを荒立てず済ませたかった。





 ――のだが。


「なあ、アデル。おまえも、だいぶいい女になってきたじゃないか」


 極力無害な笑みを浮かべて迎え入れたのに、ヴィムは「アデルの家」の視察などろくにせず、カウンターへと大きく身を乗り出してきた。

 ぐっと縮まった距離に、つい恐怖を抱く。


「黒髪っていうのは不気味なもんだが、それがぐちゃぐちゃに乱れて、白い顔に掛かる様ってのは、なかなかそそられそうだ」


 吐き出した息は、真っ昼間だというのに酒臭い。

 どうやらここに来る前に、ほかの「協力者」の店に赴き、酒でもてなされてきたようだ。


「へえ、黒髪にご興味が……? 実はちょうど、黒うさぎの毛皮が、手元にあるんですよ……」

「肉が硬い野うさぎでなく、柔らかい黒うさぎがご所望なんだよ。わかるだろ?」


 ヴィムは下卑た笑みを浮かべ、アデルの胸に手を伸ばした。


「ご冗談を……。私の肉は、うさぎよりも、さらに硬いですよ。硬いというか、無の手触り」

「その囁き声、色っぽいなと思ってたんだ。なあ。最近教会の規制が厳しくなって、聖職者は妻帯どころか、王都で女を買うのも御法度になったんだ。地方視察が羽を伸ばす唯一の機会なんだよ」

(知らんがな!)


 聖職者の下半身事情なんて考慮しないに決まっている。

 がめついヴィムは、金さえ渡しておけば満足する男だと思っていたから、今回はマルティンすら傍に置いていなかった。


(なんで!? 予知で見た限りでは、ヴィムは逃げるくらいの速さで店を去っていったのに!)


 断片的な予知夢には、今日の日付を示す腕輪と、上機嫌でやってくるヴィム、そしてさっさと店を立ち去ってしまう彼の後ろ姿しか映っていなかった。

 間にこんなおぞましい一幕が挟まっていたなら、そのへんまでしっかり報せてほしいところだ。


(まあでも、さっさと去ったってことは私が撃退したんでしょ。オーケー、こいつの急所を)


 手首を掴まれ、強引にカウンターから引きずり出された時点で覚悟を決める。


(蹴り飛ば――)

「おまえ、すごい魔力を持った弟子がいるらしいなあ」


 だが、膝に力を込めた途端、耳元で囁かれ、動きを止めてしまった。


「え……?」

「エミリーのほうじゃない。男のほうだ、15くらいの。ずいぶんな腕利きなんだろう? 薬作りも罠づくりも得意。熊だって一瞬で撃退してしまう。大した魔力だ。おまけに色男で、ひそかに町の人気者だとか? そいつが町に足を伸ばす日を、娘という娘が待ち侘びてるそうじゃないか」


 いつの間にか町に彼の存在が知れ渡っていたなんて、噂話に疎いアデルは知らなかった。

 茶髪に染めさせてなお、レイノルドが町娘たちからの熱視線を浴びていたということも。


「教会じゃ金髪碧眼の子どもばかり集めて勇者教育なんてしているがな、結果、ろくな魔力を持たないやつばかり集まってしまって、難儀している。だから、茶髪でもなんでもいいから、強い魔力を持つやつがいたら、攫ってでも連れて来いというのが最近の教会の方針だ」


 ぐっと手首を掴む手に力を込め、ヴィムはいやらしく笑った。


「俺が中央教会に報告したら、可哀想に、おまえは有能な弟子を一人、失うことになるなあ?」

「…………っ」


 息を呑んだアデルの頬を片手で掴み、ヴィムは首筋に酒臭い吐息を浴びさせた。


「だがまあ、べつにいじめたいわけでもないんだよ。素直な女には、俺は優しいんだ」

「離、――っ!」


 手を振り払ったら、躊躇いなく頬を叩かれた。ごく自然に揮われた暴力に、咄嗟に声も出ない。


「つまり、反抗する女には厳しいってことだ」


 ヴィムは歪んだ笑みを浮かべ、「いいねえ」と嘯いた。

 硬直してしまったアデルに、今一度、ゆっくりと手を伸ばす。


「真っ黒な目が潤むと、途端に色気が出る。これは、思った以上に楽しめそうだ――」

「師匠!」


 アデルがびくっとして踵を引くのと、店の扉が大きく開かれたのは、同時のことだった。



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感謝の気持ちを込めて、今日はお昼にも更新します。

12時にまたお会いしましょう^^

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