12. アデル、懊悩する(2)

 以降もアデルは、レイノルドの魔力成長妨害に躍起になった。


「修行……? そんなこと、しなくていいわ。あなたは、頑張りすぎよ……。ときには町に出かけて、たくさん遊びましょう」


 たとえばレイノルドが11歳のときには、東の森から一番近い町へ出かけ、レイノルドをサボらせようと企んだ。


 彼にだけ朝寝坊を許して二人きりで出発し、噴水に手を伸ばし、林檎の的当てを楽しみ、花を買い、菓子を買いと、アデルが思いつく「この世の快楽」を叩き込み、「遊ぶのって楽しいな、修業なんてもうやだな」と思うよう仕向けたのである。


 ところが、とっぷり夜が暮れた頃、レイノルドは「まだ遊んでいたい」とごねるどころか、むしろそうなっていたアデルのことを「夜更かしは体に悪いので、そろそろ帰りましょう」と諭した。

 挙げ句、遊び疲れてふらふらになっていた彼女を支えながら、さっさと森の家に戻ってしまったのである。


「僕、今日のこと、きっと一生忘れません」


 帰り道、彼ははにかんで告げたものの、なぜ町遊びなどという――アデルからすれば――最高に楽しい行為を、あっさり「過去の思い出」として処理してしまえるのかわからない。


 目論見が外れて動揺するあまり、


「なら、もう、行かないということ……?」


 と思わず悲しみを込めて零してしまったが、それを聞くと、弟子はなぜだか顔を赤らめた。


「えっ。その、『また』があると、思っていいのですか?」

「もちろん……」


 何度だって、何日だって修行は放棄してもらいたい。

 真剣に頷いたら、レイノルドは急に顔を引き締めて、「わかりました」と胸に手を当てた。


「では、それを励みに、一層修行を頑張ります」

「えっ」


 どれだけ堕落させようと、最後には「修行を頑張る」という結論に強制的に軌道修正されてしまうのはなんなのか。


(真面目か!)


 翌日、首尾よくいったか、無事にレイノルドは堕落したかと尋ねてくるマルティンたちに、アデルは力なく首を振ったものだ。


「レイノルドが、真面目すぎて、全然通じなかった……」


 そっかー、と頷くマルティンとは裏腹に、エミリーがそっと天を仰いでいたのが、なんだか印象的だった。





 ***





 またあるときは、13歳だったレイノルドを「あなたになんか、ちっとも期待していないから、無駄な修行なんてしないでほしい」と思いきり突っぱねてみた。

 彼が何かを言い返しても無視し、顔も合わせないようにした。


 ちなみにこれはエミリーの案だ。

 彼女いわく、レイノルドはアデルのことを相当強く慕っているのだそうだ。

 アデルが手ひどくレイノルドを拒絶すれば、傷心のあまり自発的に魔力の修行をやめるのではないかとのことだった。


 それほど強く慕われているというのは驚きだったが、一種の洗脳の結果だとすれば納得できる。

 彼は幼少期に教会から連れ出され、以降、アデル以外に頼る人がいない状況にあった。

 つまり、アデルは「親」だと刷り込まれてしまったのだ。


 アデルもアデルで、彼に舐められないよう、必死に「冷静で偉大な師匠」を取り繕ってきた。

 常に無表情で、囁くように話すスタイルも、泰然とした印象の醸成に寄与した。

 レイノルドはアデルを傑物と思い込み、だからこそそんな師匠に認められようと、必死に魔力を鍛えるのだ。


 健気な弟子をこき下ろすなんて気が重いが、このまま順調に魔力を鍛えられてしまっては、彼が勇者として頭角を現す未来に、また一歩近付いてしまう。

 すなわちアデルがなぶり殺される未来に近付くということだ。


 アデルは心を鬼にして、拒絶の言葉を放った。


 ――のだったが、すると半日もせず、空に異変が起こった。


 レイノルドが青ざめて、小屋の一室に籠もった数時間後、激しい雨が降りはじめたのである。

 呑気なアデルは偶然かなと首を傾げたが、すると真っ青な顔になったエミリーが部屋に飛び込んで来た。


「すみません、師匠! やはりこの作戦は打ち切りましょう。レイノルドの部屋から、とんでもない気配がします。意欲を削ぐどころか、魔力が増大すらしています。こ、このままでは」


 途中で気を失ってしまったエミリーが、いったいどれほど恐ろしい気配に感応したのかわからないが、とにかく不穏さを理解したアデルは、即座にレイノルドの部屋に突入していった。


「先ほどの発言は、嘘よ、レイノルド……! あなたが、修行に打ち込みすぎて、体調を崩しそうだったから、心配で……止めさせるために、嘘をついたの……!」


 すると、寝台で座り込んでいたレイノルドははっと顔を上げ、まるでそれと同期するように、窓から陽光が差し込んできた。


「心配してくれたのは嬉しいです、師匠」


 レイノルドは立ち上がり、珍しく、アデルの胸へと飛び込んで来た。


「ですが、どうか、このような嘘をつくのはやめてください」


 ローブを掴んだ手は、かたかたと震えていた。


「でないと、僕……」


 以降の言葉は途切れてしまったが、きっと「生きていけない」とでも続けたかったのだろう。

 いたいけな姿に、子どもに弱いアデルはきゅんと心臓を掴まれてしまった。


 いくら魔力増強を止めたいからといって、自分は彼になんてことをしたのだろう。

 どれだけ大人びて見えても、彼は自分よりも8歳も年下の、13歳の少年。子どもなのだ。


「わかったわ、レイノルド……。もう言わない」


 結局この日から、レイノルド勇者化阻止の選択肢として、「彼を拒絶する」という方策は消えてしまった。




 ちなみにその夜、意識を取り戻したエミリーが部屋を訪ねてきて、アデルがレイノルドを拒絶したとき、彼がどれだけ危険な精神状態にあったかを心話で説明してくれた。


『師匠。その、大変言いにくいのですが、彼は、本当に、本当に師匠のことを慕っていて』

『わかってるわよ、もー』


 このとき、震えるレイノルドの印象があまりにも強く残っていたアデルは、当然、それを「親子の情」という意味で受け止めた。


『さすがにあんなに態度で示されて、わからない人っていないと思う』

『そう、そうですよね。いくら鈍い師匠でも、さすがにわかりますよね』


 エミリーはほっとしたようだった。


『それで、好意が強すぎるあまり、拒絶されると……感情の反転とでもいうのか。ある種の、攻撃性が増すようで』

『うん、うん。わかる、わかる』


 歯切れの悪いエミリーの説明を、アデルは当然、母親に甘える子どもの文脈で理解した。

 なんでも言うことを聞いてくれると思っていた母親が、ある日突然冷たくしてきたら、衝撃のあまり癇癪を起こす。誰の子ども時代にもあったはずの経験だ。


『本当に危ういところだったんですよ。彼、もし師匠に拒絶される状況が続いていたら、彼、最悪、わ、腕力にものを言わせて……っ』

『やだ、本当? 信じられない』


 純潔を狙われたことのあるエミリーにとって「腕力にものを言わせる」とはそういうことだったが、思春期を弟子たちの世話に捧げ、マルティン以外の異性とほとんど接触してこなかったアデルにとって「腕力にものを言わせる」とは、ただ激しく暴れ回るという意味だった。


『あのレイノルドが?』


 アデルにとってレイノルドのイメージは、連れ去った8歳の時点|で止まっており、控えめな笑みを浮かべている、従順で献身的な弟子でしかない。


『そうです、あのレイノルドがです。私だって具体的なことは想像したくもないですが、たとえば彼は、目的を果たすためなら……うっ』

『無理に言わなくていいわエミリー! 私もそういう、、、、話は苦手だもの。想像もつくし』


 流血沙汰や、内臓が飛び散る系の話が苦手なアデルは、慌ててエミリーの話を遮った。

 考えてみれば、予知夢でのレイノルドは非常に冷酷で残虐なのだから、癇癪を起こしたらアデルにどんな暴力を揮うかは、想像ができる気もする。

 手足でも引きちぎろうするのかもしれない。


『そう……そうですよね。師匠は予知夢で、すでにそういう、、、、光景を見てきたんですものね』


 エミリーはなぜかはっとし、椅子の上でやおら居住まいを正した。


『師匠、ごめんなさい。私、予知夢のことはずいぶん前から聞いていたのに、師匠の恐怖を、これまできちんと理解できていなかったと思います。これは女性にとってひどい恐怖です』

『わかってくれる? そうよね』


 一般的に女性の腕力は男性より弱いものなので、アデルはエミリーの発言の真意を何一つ掬い取ることなく、熱心に頷いた。


『なんとか予知、回避しましょうね。私、改めて応援します』

『そうよね! ありがとう!』


 二人は同時にむん! と拳を握り合って結束を誓ったが、確認しあったはずの「避けるべき事態」は、両者で微妙かつ決定的に異なっていた。

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