11. アデル、懊悩する(1)
うちの弟子が天才すぎる。
このところ、アデルは毎日のように思い悩んでいた。
これは、「うちの弟子が天才すぎて困っちゃう♡」と、語尾にハートマークが付く類の自慢ではない。
真実、彼女は懊悩していたのだ。
金髪碧眼のかわい子ちゃんを、「教会は怖いとこだよー!」と騙して攫って、はや7年。
レイノルドは15歳になり、その美貌はいよいよ際立ち、同時に身長もすくすくと伸びて、青年期特有のしなやかさを溢れさせるようになった。
かつての鬱々とした態度なんてどこへやら、アデルが何を言っても「はい、師匠」と目を見て頷き、声を掛けるとはにかんで返事をし、用事を言いつければ嬉々として駆けつける。
滑舌はよく知性は冴え渡り、大人顔負けの議論も難なくこなし、かと思えば他愛ない雑談にも品よく応じる。
いつの間にか筋肉はしっかりと鍛え上げられ、均整が取れていながらも武術の巧みさを誇る、完璧な体つきになった。
さらには、すっと相手の懐に入り込んでいく気さくさや、言葉ひとつで相手を確実に喜ばせるセンス、地道な努力も厭わない忍耐強さまで完備し、その魅力は留まるところを知らない。
これだけでも十分すごいのに、彼ときたら、かなり強大な魔力まで持ち合わせているのだ。
かつて、夜の森で目覚めた彼の魔力は、七年をかけてめきめきと増大し、たった15歳の現時点にして、歴代勇者に匹敵するのではないかと思われるほどである。
「どうやっても……勇者になるでしょ、これじゃあ……!」
相変わらず掠れたままの声で呟き、アデルは寝台で頭を抱えた。
窓からはさんさんと朝の陽光が降り注いでいるが、そんなもの慰めにもならない。
むしろ、この7年でレイノルドが作った上等な寝台が、魔力を浴びせて成長させた観葉植物が、増築した広大な寝室が明るく照らし出されて、胸焼けするような思いを噛み締めるだけである。
(好意が、重い!!)
みし……っ、と謎の重みを伝えてくるかのような家具を前に、アデルは髪に手を差し込んだまま天井を仰いだ。
(底辺魔女の師匠にも、こんなに甲斐甲斐しく尽くすってどういうことなの。これで恋人でもできた日にはどうするの? 世界でも捧げるの? そうか、だから「大切な人を蹂躙した」私を拷問死させることになるのか。はーん、繋がった。って、繋がっちゃったじゃない!)
考えるそばから恐ろしい伏線回収をしてしまい、ばすんと枕を殴る。
レイノルドの献身は破滅の伏線だ。
彼がこちらに尽くすたび、アデルとしては心からそれを辞退したくなる。
だが、どれだけ心を込めて、何度「こんなことをしなくていい」と辞退してみせても、レイノルドは感じ入ったように首を振り、ますます頑なに献身度合いを深めていくのである。
(本当に! なんなの! あの天邪鬼は!)
マルティンたちは、アデルの断り方がダメなのだと言う。
その儚げな伏し目や掠れ声で、物静かに辞退してみせても、単に奥ゆかしく遠慮しているようにしか見えないと。
とんだ言いがかりだ。
ならばと、懸命に声を張ってみたり、強引に腕を取って贈り物を押し返したりしてみたが、それはそれで逆効果だと言われた。
いったいどうしろというのか。
挙げ句に弟子たちは、
「師匠は何をやっても裏目に出るから、いっそうもう手出ししないで」
と何もかも諦めた顔でアデルに伝えてきた。
彼らももう21歳と16歳。
大人になるにつれ、以前は大きく感じられていた年の差も希釈されてしまったのか、最近ではアデルを師匠というより、「手の掛かる姉」くらいにしか思っていないのが伝わってくる。
「それより、どうやって、あの子の魔力増強を、妨げるかよ……」
逸れてしまった思考をなんとか軌道修正し、アデルは膝を抱えた。
これまでの自分の行いがすべて裏目に出ている。それはマルティンたちの言うとおりだ。
(私だって頑張ったのに)
窓から差し込む陽光を恨みがましく見つめながら、アデルはこれまでの日々に思いを馳せた。
***
「これは、あなた専用の、魔力の書よ」
たとえばアデルは、レイノルドがまだ九歳の時、彼が体系的に魔力を理解するのを妨害すべく、テキストを求める彼に向かって、魔術所ではなくレシピ本を渡したことがある。
「教会が出版している内容は、すべて偽り……。必要なことは、すべて、これに書いてあるの……。この神髄が、理解できるまでは……私は一切、あなたに修行など、させないから」
我ながらひどく雑な口実で修行拒否をしたのだったが、彼はぱあっと顔を輝かせ、宝物でも扱うような手つきでレシピ本を受け取ったものだ。
「師匠が、僕のために、専用の書を選んでくださったのですね?」
「ええ、まあ……。ほかの人にはまず選ばない書よ。あなただけ……特別」
後ろめたさをそんな言葉でごまかす。
その使い込まれたレシピ集に書かれているのは、ハンバーグをふっくら膨らませる方法だとか、ジャム用の苺を目利きする方法だとか、それだけだ。
魔力の「魔」の字も登場せず、何年読んだって術を鍛える役に立つはずなどない代物なのだが、真面目なレイノルドならば深読みし、数ヶ月は稼げるかもしれない。
そう狙ってのことだった。
「ありがとうございます、師匠。必ず、一語一句違えず暗誦できるほどに読み込みます」
「いえ、そこまで、根詰めなくて、いいのだけど……」
「師匠はいつも優しすぎます」
たじろいだアデルがつい制止の言葉を掛けると、レイノルドはくすぐったそうに苦笑した。
この流れでなぜ師匠を「優しすぎる」と思えるのか、アデルとしては彼の認知機能を本気で心配したものだ。
だがまあ、彼から敬意を抱かれるのは、未来を生き抜くのに大変有益である。
結局アデルは、レイノルドの感想を訂正することなく、レシピ集の押し付けに成功したのであった。
(これでしばらくは「修行させろ」なんて言わなくなるでしょ)
アデルは肩の荷が降りた気分だった。
実を言えば、レイノルドの魔力はすでに、アデルのことなど質量ともに悠々と越してしまっており、教えることも特にないのだ。
(わからなそうにしていたら、「こんなこともわからないの?」って言おう……我ながらひどいけど。でも、常に「偉大な師匠」で居続けなきゃ、より殺されやすくなっちゃうかもしれないし)
実力で勝てない以上、はったりで生き延びるしかないのだ。
そしてアデルは、はったりの能力にかけては、このつらく厳しい人生で、かなりのレベルまで磨きを掛けていた。
レイノルドも、レシピ集を嬉々として受け取りはしたものの、どのように解釈してよいのかわからなかったらしく、しばらくは悶々とした表情を浮かべて部屋に籠もっていた。
万事計画通り――アデルは数日の間、勝利の美酒を味わった。
ところがである。
「師匠!」
一週間後には、レイノルドはこれまで以上に顔を輝かせ、抱きつかんばかりの勢いでアデルの前に現れた。
「頂いた魔力の書、すべての意味がようやくわかりました!」
「なんて?」
いったいどうしたことなのか、彼はレシピ集を糧に、しっかり魔力を謎成長させていたのだ。
「つまりハンバーグを魔力としたときに、肉の種類は属性、こねる強さは練度、高温で熱された鉄板というのは主の恩寵を受け止める鼎の役割を果たすとともに魔力を錬成する窯を意味するのでありそれすなわち肉体を示しこの熱を上げるには窯を構成する鉄自体の見直しと適切な火力を――」
彼はレシピ集から得たとは思えぬ洞察をまくし立てると、最後に、小屋の外に向かってぱっと掌を振った。
「以上の解釈を総合すると、このように魔力を増強できます!」
――ごおお……っ!
途端に、近くの草原ごと覆い尽くすような巨大な火の玉が広がる。
「そしてジャムの苺を目利きする原理で制御!」
――ふわ……っ!
ついで彼が軽く拳を握ると、炎がたちまち蝶の形の火花と化して、宙に舞い、消えていった。
(なにがどうハンバーグでジャム?)
どう考えてもインプットとアウトプットが繋がっていない状況に、アデルは愕然とするしかできない。
(なんで?)
ツッコミの語彙も焼き尽くされてしまったようだった。
「師匠! いかがですか。この末弟子は、師匠の期待に応えられていますか?」
レイノルドは、青い目をきらきらと輝かせこちらを見上げた。
頬はうっすら紅潮し、金糸のような髪は風になびき、夜にでもこれを発揮してもらえたなら、灯りが取れそうな眩しさだ。
彼は、森で腕輪をなくしてしまってから手首を撫でる癖がなくなり、代わりに、頻繁に言葉を求めるようになっていた。
「そうね……」
だが、誤った教材を渡しても、魔力を急成長させてしまう弟子に、師匠がかけられる言葉なんて何があるというのだろう。
「予想以上だわ……」
アデルはもう、それしか言葉がなかった。
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