君の音色にふれる
彩空百々花
第1話 出会い
それは突如舞い降りた出来事だった。
力強いギターの音色が耳に入り、思わず音のした方へ視線を向ける。
そこには、汗をたらしながら力強くギターを弾く美しい男がいた───。
*
学校の廊下を歩いていると、人とぶつかった。
「あっ、すまん」
俺はとっさに謝った。けれどぶつかってきた相手の方は俺に見向きもせず、ずんずん歩いて行ってしまう。
感じの悪いやつー。
その後ろ姿を見つめながら心の中でそう思った。
*
「あ、
後方扉から教室に入ると、廊下側の一番後ろの席に座っていた
「あー、すまんすまん」
俺は航平から視線をそらして適当に謝る。
「購買にパン買いに行くだけでそんなに時間かかるか?」
「ちょっと女子たちに捕まっちゃって」
「ちぇー。また女かよ」
俺の返答に、航平が吐き捨てるように言う。
俺は苦笑いを浮かべてその場をやり過ごした。
「日向って昔からモテてんの?」
航平からの何気ない質問に、紙パックのミルクティーを飲んでいた俺はブッとそれを吹き出した。
「うわ、お前きったねえ!」
「元はと言えば航平のせいだろ! てか、なんで急にそんな質問……」
口元を拭った俺は航平に視線を向けた。
「だって日向、モテるじゃん」
「それは航平も同じだと思うけど?」
「え、どゆこと?」
きょとんとした表情を浮かべる航平。
この無自覚野郎が。
俺は心の中でひっそりと悪態をついた。
でもまあ、これで航平の気を逸らすことができたんだからでかいもんだ。
しつこく訊いてくる航平を適当にあしらって俺はパンにかぶりついた。
偶然進学する高校がおんなじ所で、意気投合して一緒に試験勉強なんかもした仲。
短髪の黒髪男で片耳に黒く光るピアスを付け、サバサバとした性格に思えるこの男は、実はド天然なのだ。
「なあ日向ー。今日の部活校庭三十周だって。だるくね?」
どこ情報なのかは知らないが、それは確かにだるい。
「まあな。だけどそれを承知で俺たちは高校でもサッカーを続けることにしたんだろ」
そうなのだ、俺たちが仲良くなったきっかけに、中学の時から同じサッカー部に入っていたというのがある。
俺はそう言って航平の頭を軽く叩く。
「そうなんだけどさー。……ま、頑張りますか」
机にだらりと体を預けていた航平はわずかに体を起こした。
「その意気だ」
一体誰目線? という発言をした俺は、口角をかすかに上げた。
そうこうしていると昼休みの終わりを告げるチャイム、いわゆる予鈴ってやつが鳴り、俺たちは椅子から立ち上がる。
次の授業は体育なので、女子たちが更衣室に姿を消すと男子たちが続々と着替え始める。
俺もそそくさと体操着に着替え、航平と一緒に体育館に向かった。
*
上履きから体育シューズに履き替え、体育館の中に入る。
すると俺と航平が来るタイミングを見計らっていたように女子たちが駆け寄ってきた。
「日向君! 小野寺君! 今日もバレー姿、楽しみにしてる!」
その中のリーダー格のような女子が胸の前で手を組んで俺たちを見上げている。
ちらっと航平の顔を盗み見ると、少し戸惑った表情で女子たちの相手をしていた。
まあ、女慣れしていない航平にとってはこの状況をすぐには呑み込めないのだろう。
かといって別に俺が女慣れしてるとかそういうんじゃねえけど。
でもやっぱ慣れって怖いよな。こうやって女子に話しかけられる機会が多い俺はすっかり女子の相手をすることに慣れてしまった。
「日向君って本当にかっこいい~。まじヤバい」
何がヤバいんだよ。そう思ったけれど、決して口にはしない俺。
女子たちからキャッキャと騒がれて俺は内心うんざりする。
けれどそんな感情を表に出すわけにもいかず、俺は笑みを貼り付けて女子たちの相手をした。
「はは、ありがと~。バレー頑張るね」
バリバリの営業スマイルってやつだ。これで今までもやってきたんだ。こういうことがこれから先もずっと続くのかと思うと嫌気が差すけれど、今はただ耐えるしかない。
そんなこと言ったら航平からまた愚痴という名の嫉妬が飛んできそうだけれど。
俺がそう言ったところでチャイムが鳴り、整列するために移動する。
体育委員の俺は準備体操が始まる前に前方へ行き、全員に声をかけた。
「白瀬基準、体操体系に開け」
俺の言葉に、一年生全員が広がり始める。
その中に、誰よりも無気力なやつに視線が留まった。
あいつは確か──
……あ、そういえば今日の昼休み、廊下で俺にぶつかってきた奴の後ろ姿、渡辺のに似てたな。
うん、あの失礼野郎は渡辺で間違いない。
体操をしながらそんなどうでもいいことを考える。
なぜ俺がそいつの名前を知っているのか。その答えは一つだけだ。
それは、渡辺がクラスメイトであり、教室で陰口を叩かれるほど地味な男だからだ。
ぼさぼさの黒髪に細身の猫背。すらりと長い手足はモデルレベルだ。
じっと渡辺を見ていると、渡辺の顔が俺の方を向いて目が合いそうになった。もちろん俺の見事な反射神経で視線が交わうことはなかったけれど。
体操が終わり、それぞれが元の位置に集まってくる。俺の視線はもう渡辺の方に向いていなかった。
本格的に体育の授業が始まると、四月に決めた種目を行うためそれぞれが準備を始める。
バレーを設営するためのコートを設営し、六人グループを作る。
「日向、いけー!」
航平からお決まりの掛け声が飛んできて、俺のサーブで試合が始まった。
コートの外から試合を見守る女子たちから「きゃ~!」と歓声が上がる。
俺が打ったボールは緩く弧を描き相手チームのコートに入っていく。そのボールをレシーブして受け止めたのは、予想外の人物だった。
渡辺聖月。あいつ、運動できたんだ。そんな失礼すぎる感想が頭の中に浮かぶ。
渡辺と同じチームメイトも少し目を見開いている。みんな意外に思ったんだろう。
普段目立たない奴だから、少しでもいつもと違う動きをしただけでみんなが注目する。
渡辺が打ったボールはチームメイトに繋げられ、うちのチームに返ってきた。
セッターの航平が俺にボールを投げてくれる。俺は宙に高く飛び上がり、ドゴーン! とアタックを決めた。続けて聞こえてくるはずの床にボールが打ち付けられる音が聞こえず、俺はあれっ? となる。
重力に従い体が地上へ降りていく時、ネット越しに見えた相手チームの渡辺に視線が釘付けになった。
なんせ、俺が打ったボールが誰かの顔面に激突するなんていう漫画みたいな状況ほんとにあんのかってのと。渡辺の鼻から流れ落ちる赤いものを見た瞬間、ひやりとこめかみに浮かんだ冷や汗に。俺は現実と二次元の間で板挟み状態になってしまった。
「おい、日向! 何してんだ、えーっと、髪ぼっさぼさの奴に怪我させて!」
うん、それはほんと悪かったって思ってる。てか髪ぼっさぼさの奴ってなんだよ。失礼すぎないか。名前思い浮かばなかったのは仕方ないとして、もっと他にあっただろ呼び方。
ショートしていた思考回路がようやく通常の状態に戻ってきた時、俺ははっとして渡辺の方に駆け寄った。
「ごめん、渡辺。大丈夫か……? いや、明らかに大丈夫じゃないよな」
長い前髪に隠れた渡辺と目を合わせようと顔を覗き込む。
俺より身長の高い渡辺が鼻を押さえて俺に視線を向けたのが分かった。
「あっ、そうだ。保健室! 保健室行こう!」
俺は思いついたことを口に出して、考えるより先に体が動いて渡辺の手首を掴んでいた。
「……えっ」
渡辺の口から吐息に似た驚きの声が漏れる。俺はそれに構わず渡辺の腕を引き、体育館を出て保健室に向かう。
その道中、俺の斜め後ろにいた渡辺が急に足を止めた。
「ん、どうした?」
心配に思ってその顔を覗き込む。そんな俺は渡辺が次に発した言葉に目を丸くした。
「お前、くそ生意気」
そう吐き捨てて俺の手を振りほどき、一人で保健室に行ってしまう。
俺は自分に向けられた言葉を呑み込むのに数秒を要した。
「……、え?」
少し震えた声が、誰もいない廊下にやけに大きく響いた。
*
「日向、さっきからぼーっとしてるけどどうした?」
体育館の床にだらりと座り、ぼんやりと館内を動き回る生徒たちを眺めていた俺に航平が心配した表情で近づいてきた。
「……なあ、航平」
俺の隣にドカッと腰を下ろした航平に少しだけ顔を向ける。
「お前はさ、自分が心配した相手に『くそ生意気』って言われたら、どう思う?」
「え、何急に」
航平は不思議そうに俺の目を見た。
まあ、そうだよな。急にこんなこと訊かれてもすぐには答えられないか。
俺はがっくりとうなだれて床に視線を落とした。
「悲しいよ。それに、なんだこいつってなるかも」
そんな航平の返答に、俺は下げていた視線をわずかに上げた。
「……だよな」
「えー、どうしたんだよ日向ぁ。なんか様子ヘンだぞ」
そう言って航平が俺の髪をわしゃわしゃと掻き混ぜる。
「別になんでもねーよ」
なんでもなくなんかない。俺にとってあの言葉は、胸に深く突き刺さるほどの殺傷力があった。生まれてこの方、他人から悪意を向けられたことのなかった俺にとって、渡辺が発したあの言葉には相当堪えた。
渡辺、俺のこと睨んでたな。俺が渡辺にボールをぶつけてしまったのはいけなかったとして、そこまで恨まれるようなことをしただろうか。
俺はこれまでの自分の行いを思い出そうと逡巡する。だけど、記憶にモヤがかかったようにこれといった決定打になる出来事は何も思い浮かばない。
「ま、あんま思い詰めんなよ」
航平はそれだけ言って立ち上がり、バレーをしているみんなの輪の中に入って行った。
俺も次の試合のために行かなきゃな。あーでも腰が重い。これ、立ち上がれるのか?
航平に言われた言葉を思い出して一度深く深呼吸をし、あんま気にしない方がいいよな、と考えを改め直して俺は立ち上がった。
だけど、頭の中から渡辺のことが完全に消え去ることはなかった。
*
翌日の朝。自転車を押して道路に出た俺の前を、チリンと音を鳴らして通り過ぎた人物に視線を向ける。
「おっ、日向」
相手の方も俺に気づいたのか、自転車を漕ぐ足を止めバックしてくる。
「はよ、航平」
「お前、なんか疲れた顔してね?」
さすがは航平。いつもに増して鋭い。
昨日の夜は渡辺から言われた言葉が頭の中をぐるぐる回ってすぐには寝付けなかったのだ。
これじゃあめちゃくちゃしつこい奴だと思われてしまうかもだけど、それでも俺にとってあの廊下で起きた出来事は一言では済ませられないものだったんだ。
夏が迫るこの時期。肌に心地よい風を浴びて、航平と一緒に自転車を走らせる。
都会の朝は、いつもどこか騒がしい。
*
「なあ日向ー。お前ほんとに今日どうしたんだよ」
二限目の休み時間。机にだらりと体を預けてある方向を一点に眺め続けていた俺の背中に航平が手を添えた。
「……別になんでもねえよ」
今まで見ていたものから視線を逸らし、顔だけを航平に向ける。
君の音色にふれる 彩空百々花 @momonohyaka20080517
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