第18話「お迎え」
ユアは、ただただ歩いていた。
ミラーレのことは、近所の公園と山菜を採りに行った山と、朝方とびらが案内してくれたスーパーしかわからない。
彼女も後悔していた。書き置きをして出て来たが、他に身寄りもない。
スーパーは二十四時間営業だが長く入り浸っても不審に思われるし、山菜を採りに行った山は遠くて道順も忘れてしまった。
何より、お金がない。日払いなので給料は既にもらっているが、こんな時に限って財布を忘れて出て来てしまった。
だけど、帰りたくもなかった。
とびらやキイなどのお店と図書館の人達は良くしてくれるが、ディンフルとフィトラグスに嫌われてしまい、二人に会いづらかった。
歩道橋の階段を下っている時、アクシデントが起きた。
考え事をしながら降りていたので足を踏み外し、一番下まで転落してしまった。
幸いにも下段を降りていたので大事には至らなかったのと、他に通行人もいなかったので恥ずかしい思いもしなくて済んだ。
山菜採りの滑落みたいに全身に大ケガもしなかったが、改めて自分のドジの多さを嘆いた。
(何で私って、こんなにドジなんだろ……?)
立とうとすると、足に痛みが走った。捻挫をしたようだ。
「ウソでしょ? 最悪なんですけど……」
人の邪魔にならないように、歩道橋の横にある隅のスペースで座り込んだ。
これからどうしようか考えていると、階段の上の方からランドセルが落ちて来た。
(ミラーレにもランドセルが? 本当に私の世界と似ているんだな……。でも、何で上から?)
ランドセルは蓋が開いたまま落ちて来た。中には何も入っていなかった。
落ちて来た方を見上げると、歩道橋の上では小学校低学年ぐらいの男の子が六人おり、その内の一人はランドセルを背負っておらず、他の五人に泣きながら何かをやめるように頼んでいた。
その五人はと言うと、笑いながら一人のものであろう教科書やノートをビリビリに破いたり、持っていたペンで落書きをしていた。五人で一人をいじめている。
その光景を見たユアは次第に呼吸が荒くなって来た。
そして、落書きがされた机、破れたノート、泥まみれになった上履き、腕組みをして笑う一人の女子生徒が脳裏をよぎった。
そこへ警察官らしき大人がやって来て、五人は厳重注意を受けた。
その間に被害者の児童は逃げるように階段を降りて来て、取り返した教科書やノートを落ちていたランドセルに詰めると、泣きながら走って行ってしまった。
ユアの呼吸は荒いままで、頭を抱え込んで顔を膝に埋めた。
「何をしている?」
頭の上で男性の声がする。
返事をしようと、ユアは荒くなった呼吸を落ち着かせるために深呼吸を始めた。
再び声がした。
「聞いているのか?」
それどころではない。今は、苦しくなった呼吸を整えるので精一杯だった。
呼ぶ声は止まず、遂に名前を呼ばれた。
「ユア!!」
正気に戻り顔を上げると、ディンフルが立っていた。
ユアは思わず目を見開いた。
「具合でも悪いのか?」
来てくれるとは思わず、驚きのあまり、苦しかった呼吸が一瞬で落ち着いてしまった。
「な、何でここにいるの?」
「お前を探しに来た」
「えっ……?」
「もしかして、心配して?」と聞こうとすると、先手を打たれた。
「心配で来たのではない! お前が変な書き置きを残したせいであいつらが気に病んでいる。見ている方も気が沈むのでな」
「またツンデレだな」と思ったユアだが、いつもと違って素直に喜べなかった。
「ごめんね。私のこと、嫌いなのに……」
「……気にしているのか?」
ディンフルも罪悪感があるのか、おそるおそる聞いた。
「するに決まってるでしょ。直に“大嫌いだ”なんて言われたら……」
「あ、ああ言わねば、“私が人間を好きになった”と、フィトラグスに誤解をさせるからだ!」
一週間ほど弁当屋と図書館を手伝ってくれたディンフルだが、人間を好きではないのは今でも変わらないようだ。
何より、因縁であるフィトラグスに人間の手伝いをしているところを一番見られなくなかった。
「とりあえず帰るぞ。他に行く当てもないだろう?」
「ディンフルはどうするの? 私がいるから、弁当屋と図書館から出て行くんでしょう?」
ディンフルは少し考えてから言った。
「……あの発言は取り消す。やはり、例の本を待ちたいのでな」
ということは、これからもディンフルと一緒に働ける……いつものユアなら、テンションが上がって喜ぶところだが、今は受け入れ難かった。
「言い過ぎてしまったな。申し訳なかった……」
突然、ディンフルの口から謝罪の言葉が出た。
ゲームの悪役……それもラスボスなので人を傷つけることがあるのはわかっていたが、まさか謝られるとは思ってもいなかった。
「ケガをしているな」
ディンフルは彼女の手首のケガに気が付いた。
徐々に出血したらしく、ユアも階段から落ちたばかりの時は気付かなかった。
「階段を踏み外して……」
「まったくドジだな! 今は薬がない。これで我慢しろ」
そう言うとディンフルはピンク色のチェック柄のハンカチを取り出し、彼女がケガをしている箇所に巻いて止血した。
ユアはそのハンカチに見覚えがあった。ミラーレに来たばかりの時に公園のベンチでうなされているディンフルの額に置いた自身のものだった。
恐らく洗濯物に紛れていたものを適当に取ったのだろう。そうでなければ、ディンフルが可愛い系の物を意識して持つわけがない。
「帰るぞ」
ついて行こうとユアが立ち上がるが、捻挫の痛みで上手く歩けなかった。
「どうした?」
「あの、捻挫もしてしまって……」
ユアが申し訳なさそうにおどおどしながら言う。
「世話が焼ける!」とディンフルは面倒くさそうに言い放つと彼女に背を向け、その場に屈みこんだ。おぶってくれるようだ。
「そ、そんなつもりで言ったんじゃ……!」
「なら、歩いて帰るか? 捻挫での長距離は足に響くぞ」
「……お願いします」
◇
ユアはディンフルにおぶわれながら弁当屋へ帰って行った。
まさか推しにおんぶまでされるとは思わず、胸がドキドキしっぱなしだった。
(ここまでは望んでなかったのに……)
ユアは自分の胸の鼓動が彼に聞こえていないか心配で、余計に緊張した。
しばらくお互いに無言だったが、ディンフルの方から話しかけて来た。
「フィトラグスは図書館にいるそうだ」
「フィットも戻って来たの?」
「やはり、本を使いたいそうだ。初めからそう言えばいいものを、素直でない」
「素直でない」という台詞をディンフルが一番言ってはダメだ……ユアは心の中でつっこんだ。
「しばらく敵視されるだろうが、無視をしておけ。私が好きなら、奴のことは好きではないだろう?」
ディンフルはユアを気遣って忠告してくれた。
いつもなら喜ぶべきところだが、今は複雑な思いだった。
ユアはずっとディンフルが好きだ。だからと言ってフィトラグスのことを嫌いなわけではない。
なので彼から嫌われるのは辛いし、無視をするのも気が引けた。
「一つ、聞いてもいい?」
「何だ?」
「何でフィット達の故郷を異次元へ送ったの?」
ユアは気を紛らわす為に、ネタバレを覚悟で質問した。
「本日二度目の質問だな……。同じように答えるが、人間が嫌いだからだ」
「差別を受けて来たって言ってたもんね……」
ディンフルが簡単に答えるとユアはすぐに理解し、悲しそうに言った。
「だが、ずっと憎かったわけではない。いつか和解を信じ、尽くしていた時もあった。前にまりねから言われたが、その経験が今の仕事に役立っている」
その後、ディンフルは人間に尽くすため、色んな職種に就いて来たことを話してくれた。
同時にこの一週間、ミラーレで働くことでその時の気持ちを思い出し、懐かしく感じたことも打ち明けてくれた。
これを聞いた時、ユアは「前より人間が嫌いじゃなくなってるのかも?」と思った。
「だが、どんなに尽くしても受け入れられることは無かった。命を救ってもな……」
最後の一言が哀愁に満ちているように感じられた。
ユアは、彼にとっては辛い過去を興味本位で聞いたことを詫びた。だが、ディンフルは「聞かねば気が済まなかったのだろう」と淡々と言いながら許してくれた。
既に見知った道を歩いていた。弁当屋はもうすぐだ。
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