冥色染まる夕焼け

 赤を微かに混じえた濃い青が、ぼんやりとした空を覆う。次第にそれは、引っ掻く様に夜が侵食する。

 広葉樹の森の中、それは棺の闇を思わせる静けさを纏って、錆びれた姿を現す。

 七階建ての壁面は赤茶けた錆を泣き零したように染め、白の塗料は時間の経過によって風化し剥がれ落ちる。彩りと言えるものは黄色と黒のテープぐらい。窓越しから中がうかがえる。剥がれたタイルや、樹木の繊維が剣山の如くむき出しになっている。玄関口の横に置いてある植木鉢が、ここで働いていた人物の性格を想起させた。

 吹く風に思わず首を縮こませた。再度見上げれば、冥色めいしょくに染まった夜空。真正面を見ると、光をかき消す闇色。

 見るだけで思わず泣きたくなるような、かつて病院だった残骸がそびえ立つ。


 明智達は廃病院に着くと、キョロキョロと周りを確認してから話しだした。


「いいか、まずゲートを見つける。病院内全部を調査する。異常が無ければそれで良し。怪物がいたらお前に任せる」

「分かった」

「ん〜、相変わらず素直っていうか、なんというか」

「目羅は任務を完了するだけ」


 彼岸花の髪飾りを撫でながら、目羅は満月を見ていた。月光が白い肌を照らし、神秘的な雰囲気を醸し出す。虚無と思える瞳の端が、微かに細められたように思えた。


「どうした?」

「目羅、いつも月を見る。こういう時、いつも」


 月は丸く、この不安な夜を唯一照らしている。

 これ以上聞くのは野暮だなと思った明智は、目羅の真似をするように、月を見た。


「無事でありますように」

「…………?」

「お祈りだよ」


 不思議そうに見つめる目羅に、両の手を腰に当て、顎を少し上げて言った。


「別世界があるって言うなら、神様もいそうだなって。なら、神頼みするのもありだなって」

「たよるの?」

「本当に頼る訳じゃない。聞いて欲しいってだけ。まあ、いざって時は助けて欲しいけども」

「大丈夫、目羅が守る」


 一段と強い声音で、明智の目を見つめる。

 無感情で底の見えない瞳だが、声音には意志の強さを感じさせる。

 明智は、ふっ、と目羅の頭に手を乗せ、撫でた。


「大丈夫だ。前回は一人でここに入って、ここから出たんだからさ。つか目羅、何か髪硬いような……」

「そっか」


 廃病院へ進み出た目羅。髪をいじられて機嫌を悪くしたのかもと、「あ、悪い」と声を掛けるも、それより早く少女が振り返り、神秘的に輝く銀髪を闇に流して、僅かに首を傾け、唇を動かす。


「アルゴ。信じてるよ」


 その表情が眩しかった。眉一つも動かしていないのに、優しい信頼の波動が伝わるような気がした。

 それが恥ずかしくて、寂しくて、体を伸ばしつつ表情を何となく程度に隠した。

 いや、何で隠す必要がある。別にやましい気持ちがあるわけでもないのに。

 けれど明智は、次に声を掛けるまで目羅を見ようとしなかった。

 パートナーとして初めての探索。しかし、ゲートを閉じれば、ここから帰るのは一人。


「行こう」

「うん」


 二人が廃病院の玄関口を通る。片手にした懐中電灯で闇を払い、どこからか伸びたつたを手で払い、白い粉を吹く壁にそっと手を付け、時に廊下の向こうを覗く。

 そんな風に探索を進めていた。


「ゲートってどうやって見つけるんだ?」

「これ使う」

「でた。迷い家アプリ」


 案の定、迷い家アプリの出番だった。アプリを起動すると、目羅はポチポチと操作を進め、ん、と画面を明智に突きつけた。


「これ、反応する」

「探知機能あるのか、範囲はどのくらいなんだ?」

「じゅうめーとる、って」

「微妙だな……」


 いっそ建物全部調べてゲートの箇所も分かれば良いのに。いまいちぱっとしないアプリを半眼で睨みつつ、しゃーないと切り替え画面を注視しながら練り歩いた。

 だがしかし、心霊内容の人魂も、ばさばさという音もしなかった。


「いない」


 少しでも明かりのある窓側に寄ると、その奥に竹林が見えた。別に何かあるわけじゃないのだけど、人魂と竹林の相性って最悪な気がする。ふと目の前に鎧武者の幽霊が出たら、なんて思うとゾッとする。


「って、こっちには頼もしい目羅がいるから大丈夫か。……目羅?」


 近くに目羅がいない。慌てて付近を調べるが、痕跡さえもない。


「どこ行ったんだ。そうだ電話して……って知らない!」


 迷い家アプリでの通話も試みようとしたが、世迷以外に登録されてる者がないため、この方法も駄目だった。


「目羅! おい目羅! どこにいるんだよ!」


 来た道を辿る。診察室やトイレ、受付なども見たがいない。荒々しく半壊したタイルを踏みしめながら、明智は必死に探し回った。


「いない。もしかして上の階か?」


 残された可能性を信じるならば、上へ向かう他ない。

 でも、なぜ急に。明智はそれが引っ掛かって仕方ない。


「守るとか言ってたのに急にいなくなるか? もしかして何かあった。いやもしかして!」


 スマホを取り出す。目羅がいじっていたのを思い出しつつアプリをいじれば、十字マークに何重の円が重なった探知機能が表示される。

 それをあらゆる角度へ向けた。反応を期待して。


「…………きた!」


 その反応を手かがりに、慎重に明智は進む。

 進んで、歩んで、そこに辿り着いた。

 明智は、目にした光景に口を開いた。

 そこは先ほどいただった。


「この近くにゲート? だとしたらここで目羅とはぐれた?」


 反応があった以上、ここから十メートル以内にゲートがあることになる。それは同時に目羅が近くにいることにもなる。目羅の名前を呼びながら窓辺から外に出ると、片足に掴まれる感触がし、後方へと引っ張られた。着地は失敗して柔らかい腐葉土へ身を投じることになった。上体を起こし、足を掴まれた方に目を向けると、


「目羅!」

「…………」


 細い指で足首を掴む目羅の姿があった。

 ほっとした刹那、掴まれた足をぐっと引っ張られる。かさかさと葉を鳴らしながら、ぐったり伸びた状態で目羅の横に置かれる。

 もっと丁重に扱えよ。と文句を言ってやろうとのっそり起き上がるが、目羅の顔を見てやめた。


「目羅……?」


 何かを注視して動かない。表情の変化は乏しいが、瞳が微かに大きく見開いている。しかしそれよりも、明智にははっきりと分かることがあった。

 殺気だ。目羅の周りに漂うオーラを表現するなら、それは痛い程の赤と鋭い刃、本当に具現化しそうなほどに、見えぬそれが肌を刺す。


「いる」


 緊張を感じる硬い声に、目羅が続けた。


「竹林の中、いる」


 ザッと目羅が消えた。夜闇のせいで視界が安定しないのもあるが、彼女がいた場所には抉れた足の後があった。つまり、目に見えない速度で駆け出したことになる。

 行方を知ろうと身を乗り出そうとした瞬間、きぇぇーーーッ、という断末魔のような音が鼓膜と地面を揺らした。

 ボッ、と辺りに赤い炎が燃えだす。不思議なことにそれは宙に浮き、竹の長い葉や茎に触れているのに燃え移らない。

 しかしそれは、明智達が探していた、最悪の手かがりでもあった。


 人魂。


 人魂がクラゲのように遊泳する。

 人魂と竹林の合間、目羅が静かに立っていた。

 目羅の前にも人魂の炎が泳ぐ。それが、少女が対峙する者の姿をゆっくり照らす。

 黄色い脂肪の粒で覆われた鉤爪のある足。ふっくらと茶色い羽毛が身体を覆っている。長い首を見上げると、深く刻まれた皺のある老婆の顔が、その頭に真っ赤な鶏冠が生えている。

 巨大な人面の鶏が、明智達を見下ろしていた。

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