妖世界

 汚れていた目羅を風呂に勧めたが、これは? これは? とシャワーやシャンプーの説明を求められた。一通り説明をしてお湯に浸かるよう指示すると「分かった」と淡白に返事したため、まだ不安はあるものの、とりあえず浴室に少女を入れることに成功した。


「どんだけ汚えんだよ! 銀髪よく見たら土埃に血の跡もあるし、服もなんかオイル臭えし、綺麗にしろ!」

『アハハハ! やっぱりねえ! 目羅ちん野生児だからそこのところ気にしてないのよ。面白いねぇ〜♪』

「面白くないわ!」


 通話先の世迷がケラケラ笑っている。明智はケラケラ笑う世迷から目羅の常識レベルを問いただそうとしたのだが、どうしたことか、現在イジられているのである。


「まず野生児ってなんだよ。この文明社会に野生児なんていないだろ」

『その世界じゃそうなのかもしれないけどね。目羅ちんは妖世界の住人な訳、むしろあの世界で読み書き出来る方何だから、育ちは良い方だよ』

「そうだとしてある程度汚いって自覚は持ってほしい。人ん上がるのにあれはないだろ、つか木の葉も結構落ちてたな、どこにいたんだホント」


 明智は人を部屋に上がらせるのに本来ここまで反応しない。もちろん相手が泥だらけなのを許容するような寛大な器はないのだけど、見た目からは分からない汚さを感じ取って身体が動いた、というのが今の明智に当てはまる。

 

『まあまあ、それよりどうなの?』

「何が?」

『何がって、この色男。君ちんのお家で彼女がシャワー浴びてるんだよ、興奮しないの』

「するかバカ、くだらない質問するな」


 彼女じゃねえし、とついでに反論した。それが面白いのか世迷がねちっこい程いじってくる。こういうタイプ中学にいたな。


「それはそうと、『妖世界』って言ってたな。妖世界って確か、あの化け物がこっちに来たのと同じ世界、だよな」

『そうだね。目羅ちんの出身は妖世界だよ』


 『妖世界』の生き物は殺戮に特化した者たちが多い。明智の記憶にはそう刻まれている。

 確かに目羅は強い。化け物を一瞬で断頭してみせたのだから、それを疑う余地はない。けれど、殺戮特化という割には、化け物と目羅には見た目の危険度具合に差がありすぎるのではないか。

 話せるし、会話も出来る。殺戮なんて言葉とは無縁に思える程に。


「目羅は人間なのか?」

『そうだね。一応人間だよ』

「何で歯切れ悪いんだよ」

『う〜ん。何ていうか、シンプルに人間離れしてるんだよね。正直なところ、彼女が迷い家に訪れた時ね、大変だったんだよ』


 明智は黙った。珍しく世迷が真面目なトーンで話し始めたからだ。口調こそ普段通りなのだけれど、芯の部分から漂う苦労感に共鳴した、というのが近いかもしれない。


『まず目羅ちん、乗車そうそう暴れてね。あの空間は俺っちの管理だからどうともなるんだけど、話しできる雰囲気にするのが大変で、暴れた末、迷い家を一刀両断されちゃった訳、アハハ♪』

「アハハじゃなくない?」


 あの列車を破壊って相当なことでは。それを笑える世迷は大物なのか。


『まあ、会話にまで持ち込めたらその後はすんなりでさ、最低限の読み書きと礼儀は教育してみるとすぐ飲み込むし、根が良い子なんだろうね』

「教育者あんたかよ」

『ふっふーん。僕ちん天才だからね』


 育ちが良いんじゃなくて、育ちに恵まれたのか。でも何だろう、何かムカつく。


「その教育に人んち上がる時は身なりは綺麗にしとく、とかなかったのかよ」

『まさか、うちの目羅ちんがそうそうに男の子のお家に上がり込むなんて想像してなくて、お母さん、目羅ちんの成長スピードに涙早々なみだそうそうよ』

「気持ち悪いからそれ止めろ!」

『まあ実際、パートナー組ませるなんて考えてなかったからね。人に会ってもすぐ殺さない、しか常識教えてないかな』

「急に殺伐としてんな……」

『妖世界じゃ重要だからね。すぐ殺るって』


 それはどういうことだろう。

 明智は化け物を思い出し、少女の容赦の無さを思い返す。

 目羅を認識したのは命を救われてから、少女をより知ったのは世界が白く崩壊した後だった。

 目羅との接点はいつも何かあった後で、こうして、平穏のまま出会ったのは初めてのことかもしれない。

 正直なところ、目羅とそう何度も会いたいと思っていない。目羅と話す時、いつも虚空を覗いているような気持ちになるから。それが明智には効いていた。

 何もない、それを認識してしまうと、今この時、世界は崩壊して、虚空が広がる平行線と、空虚な自分だけが残るかもしれないと、怖くて仕方なかった。


「目羅が野生児なのと、関係あったりするのか。その……、つまり両親がいない、って、ことなんだろう」

『実のはね。でも親代わりはいた。彼女は凄いよ。人は見た目で判断するな、って言うけど、彼女は本当にその通りで、ただの無感情で無愛想な美少女じゃないのさ。彼女は『今』を懸命に生きてる。生き急いでいるのさ。僕ちんも彼女との付き合いはそう長いものじゃないけれど、彼女がひた隠しているものに気付いてからは、可愛くてしょうがないんだよね』


『それに』と、相槌が打たれる。電話越しに何かが軋む音がした。恐らく背もたれのある椅子に腰を深く掛けたのだろう。数瞬の間が空き、ぼそり、と世迷は言った。


『彼女程、今の大切さと危険性を感じさせてくれる女性はいないよ。まったく、過去と未来があっての命だと思うんだけどね。彼女はそう思ってないんだよね』

「それはどういう……」

「風呂、出た」


 そこで、浴室から目羅の声がした。綺麗になったか、と振り返ると、面食らったように明智は倒れ、目羅はきょとんと小首を傾げた。


「おまっ! おまっ! お前何で……」

「どうした?」

「どうしたじゃねえよ。その、?」

「服? あ、忘れた」


 少女は今、真っ裸にタオルを首に下げている状態だった。湯気をくゆらせているため、ちょうど今風呂から上がったのだと分かる。

 起き上がるなり高速で転回すると、明智は赤い顔に両の手を重ねた。


「着ろ! 今すぐ着ろ!」

「分かった。……、あ」

「どうした」

「これ、どうするんだ」

「こっちに渡してくれ」


 直に見るわけにはいかないので、明智は後ろ手に寄こせと手で合図を送る。これ、と言われたものが渡された。


「? Tシャツだけど」

「てぃー、しゃつ」

「こう着るんだよ」

 といって実戦してみた。見せると後ろから「ほう」と声がした。本当に分かったのだろうか。


「ズボンは足を通せばいい」

「分かった」


 着替え終わったか? と尋ねると。できた、と返事が返る。恐るおそる見返ると、ダボッているが、服を着た目羅がいた。


「はぁ〜、どっと疲れた」

「そう」

「そうって、はぁまあいいや。洗濯するぞ」


 どうせ服も汚いのだろう。そう思った明智は目羅の分だけ洗濯機に入れようとカゴを持ち、逆さにした。

 のだが、ここでまた明智は衝撃を受けた。


「め、目羅さん」

「? なに」

「あの、そのですね……、非常に聞きにくいんだが、それでも聞かなきゃいけないから聞くんだけども、その……、服って、これだけ?」

「うん」


 それだけの服というのは、黒いケープみたいな布、それだけのことだった。

 つまり黒装束だと思っていた服は、このケープ単体だけだった。

 相変わらずよくわからない顔をしている目羅。

 明智はカゴと洗濯物を戻し、まだ繋がっている電話相手に尋ねた。


「この子の倫理観、どこまで教育してる!?」

『アハ♪ 俺ちゃん、プライベートまでは突っ込まない主義でね』


 見透かしたように逃げる世迷。明智は激怒した。そして思った。


「確かに野生児だなおい……」


 この後、明智は目羅を連れて服を買いに行った。

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