世界とは

「ただいま。って、誰もいないか」


 明智は自宅に帰ると、鞄を置いて玄関に座り込んだ。

 この家はマンションの二階にある一室、明智はその一室を借りて一人暮らしをスタートした。1Kの空間にはテーブルと椅子、テレビと必要な家具が置かれ、とりあえず生活するには困らない、程度に多少散らかっていた。

 今月から住み着いたというのに、すでに実家のような安心感を漂わせていた。


「とりあえず、何か作るか」


 明智は重い腰を上げると、小さな冷蔵庫からもやしとひき肉とその他野菜を引きずり出した。

 これからバイトするとはいえ、仕送りだけで生計を建てている現在、苦学生の身として、安売りされるもやしと値引きされやすいひき肉は財布に優しかった。それらを塩コショウで炒めたもやし炒めは今月に入って食卓に出ないことはない。けれど、飽きる。


「こういう時のオイスターソース様ですよ」


 火を止めたフライパンに垂らす茶色の液体が、グツグツと膨張を繰り返す。さっともやしとひき肉に合わせると、たちまちご馳走に転じた。

 卓上テーブルにそれを置き、炊飯器から白米を茶碗によそい、それも置く。

 これが今回の明智の夕飯である。


「ひき肉とはいえ、肉があるのは良いな。米が進む」


 カツ、カツと茶碗を鳴らしながら、白米と極上のタレが絡んだもやしとひき肉、その他野菜を箸で摘んでは白米に乗せ口に運ぶ。


「美味い! しばらくはこれで何とかなりそう」


 本当はもっと食いたい、と育ち盛りらしい欲望はある。だが、金という制約があるために、出来る範囲でしか食えないし食材も買えない。


「早くバイトするか」


 ピーンポーン。呼び鈴が突然鳴った。

 斎藤か? と考えていると、卓に置いたスマホも鳴り始めた。それもアプリ通話の方である。

 そのアプリというのが、『迷い家』アプリだった。


「何だよ世迷さん」

『イヤッホー! アルゴっち。おはよう? こんにちは? こんばんは? ごめんね各世界の時間帯っていちいち把握してなくてさ! 平世界って今何時な訳、っていうか。良く俺っちって分かったね』

「そりゃこんなへんてこなアプリから掛けてくる相手なんて決まってるようなもんでしょう。

 それよか、前から気になってたその『平世界』って何なの」

『あぁ~、前に話すって言ってたね』


 通話先から、ふむふむ、と頷くような声がする。もしかして聞かれて嬉しいのだろうか。

 やや悩んでいると、『要約するとね』と口火を切った。


『この世界はね。実は一つじゃないんだ』

「まあ、うん。そうだろうね」

『ありゃ、てっきりそこは『なんやて!? この世界は一つじゃないんかい! じゃあ地球って丸やなくて平らなんか!?』って感じにリアクションしてくれるかと』


 いつ関西人認定されたんだ。関西弁で喋ったことないのに。

 明智は複雑な気持ちになったが、このままツッコミを入れると話しが長引きそうなため、ぐっと飲み下した。


「あの怪物やあんた、目羅の存在から、まあ何となく察してたよ」


 確信があるわけじゃない。明智の信じるのレベルは、この地球に人がいる。なら他の星にも人はいて、生物がいるだろう。ぐらいのものである。


『なるほどね。まああんな体験したら信じちゃうか。各世界は大きく特徴を持ち、それでいて準ずる世界から大きく離れない。付かず離れずの距離感を保っているんだ。例えばあの怪物、何か似た動物いなかった? もしそう思ったならそれこそ、離れ過ぎず、それでいて独特な進化を遂げているといえる』


 確かに熊や狼に似てなくもなかったし、異形というほど見慣れない完全な怪物でもなかった。

 でも、それとは違う、確かな違いがある。

 明智の心の底で、あれはこの世界の生き物ではない、と確信を唱えていた。


「まあ確かに。でもあれはこの世界の生き物じゃない。いそうとも思えないし、何か、致命的に違う気がする」


『そうそれ、その感覚が答えだよ。あの世界、『妖世界』の生き物は殺戮に特化した者たちが多くてね。例えば彼の歯は捕らえた生き物を離さないし、あの足の長さは視野に入れた生き物に絶対に追いつくように特化した姿なんだ。まあ、今回君ちんの活躍のおかげで、彼の弱点である気の弱さが出ちゃったから、功を成したことになるよね♪』


 ってなると、先生が体を大きく見せていたのは正解だったのか。意外と大きい身体の生き物には効くんだな。


『そしてお待ちかね、『平世界』この世界はあらゆる文化や文明が均等に分けられているのが特徴さ♪』

「…………それだけ?」

「それだけ」


 まあ世界だもんな。薄々そう来るとは思っていた。

 やや残念そうな明智ではあるが、妖世界の物騒な事情を聞いた手前、平和が一番とも思っていた。争いよりもやりたいことなんて多いのだし。


 ピーンポーン。また呼び鈴が鳴る。ここで明智は飛び上がるように玄関を見た。


「あ、悪い世迷。人を待たせてたんだ。これ以上長話出来ない」

『あぁ~、それ目羅っちだよ』

「は?」

『いやね、目羅ちんと君をタッグにしたわけじゃない』


 強引にな、と明智が心の中で抗議する。


『色々とあってね。目羅ちんに君ちんの居場所を教えた訳』

「別に住所言ってないよね! 何で居場所が分かるんだ」

『ん? そりゃ君、今ゲートだし』

「そういえばゲートになった人物は特定出来るとか言ってましたね!!」


 個人の尊厳とか無視してるなこのアプリ。


「いやいや、今それどころじゃない! 目羅」


 慌てて玄関に向かい、戸を開ける。

 見るとそこには、無感情な瞳を見上げ、半口の目羅がいた。


「目羅悪い。待たせた」

「大丈夫、目羅は慣れてる」

「多分違う意味なんだろうけど、そっか」


 玄関前で無視されることを慣れてる可哀想な子、ではないだろう。多分。


「とりあえず上がって」

「分かった」


 リビング兼寝室である部屋へ上がるよう勧めた。一応、明智はこの部屋に斎藤という友人を招き入れた事がある。だが、女の子、それも知り合って間もない綺麗な女の子を、部屋に招き入れるなんて経験ないため、明智の心は結構な荒れようだった。

 どうしよう。とりあえずお茶を出して話し合うか。

 ぺた、ぺた。乾いた軽い音が背後からした。明智は振り返る。


「あの、目羅さん」

「……なに?」


 こくり、と首を傾げているが、明智は目逃さない。

 上がりかまちを超えた目羅の足の裏が、真っ黒に汚れているのを。

 コイツ、裸足だ!

 辛うじて少女は床を踏みしめる直前だった。

 明智は叫んだ。


「風呂に入りなさい!」

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