ルビンの壺。誰かの思うつぼ

「ゲスト?」


 白手袋の人差し指を、演者のように大袈裟に、自身の額に当てたシャーロックがにやりと笑む。


「この迷い家の招待客になってくれってこと。平世界のゲストはいなくてね。ちょうど探してたんだ。言伝ことづてで状況知るより、こうしてゲストから直接連絡し合う方が楽ちんでしょう。ってことで。まずこれね」


 空中に主張の激しい人差し指を滑らせる。まるでトルコアイスをもらう時のパフォーマンス。一つ違うのはアイスじゃないし、二倍腹が立つこと。愉快に虚空を踊る人差し指に期待ゼロの視線で追いかける。やっとそれが落ち着きを見せたところで、


「君のポッケにいる友人をみてご覧♪」


 言われるままにポケットをまさぐった。

 スマホだ。

 スマホに何が……。


「……なにこれ?」

「アプリでしょ。それ以外のなんなの?」


 聞かれても困るんだが。明智はアプリケーション一覧に並ぶそれを引きつった顔で眺めていた。


 『迷い家アプリ』

 四角に収まる絵はこの車両の室内空間そのものである。


「これで君ちんは我が迷い家の正式な招待客だよ〜。パチパチパチパチ。記念して何か飲む。もちろんノンアルで」

「いらない。このアプリも、いらないかな」


 そもそも招待客ってなんだ。ここで談笑してるつもりはないのに。

 世迷はバーカウンターの椅子に腰掛けると、ほっそりした顎に手を添えて、恐らくこの車両でもっとも高価なグラス達を眺めながら、ため息混じりに呟いた。


「そのアプリは目羅ちんのとおんなじだから、ゲートを見つけたら閉じてね」

「! それを早く言えよ!」

「ごめんごめん♪ だって乗り気じゃなさそうじゃない。不安そうじゃない、辛そうじゃない。ゲートになっちゃった人って自覚は出来ないからさ。君っちは運が良いんだよ。そのアプリを使えば、君を通して現れる迷子達は元の世界に追い返せる訳。あと、目羅ちん、これからこの子が君ちんのパートナーだから、任務よろしく♪」

「分かった」

「おい! 話しを勝手に進めるなよ」


 よろりと立ち上がる世迷。

 今までピエロのような立ち振舞をしていた車掌だが、この時は至って真面目な顔と声で、大義を成す強者の如く、民衆を統べる統率者の如く、このよく分からない現象のプロとしての、顔と声で言い放った。


「進めるさ。迷おうとも無慈悲に進むのが列車だからね」


 ■□■□■


 ルビンの壺といえば、顔と壺だったな。白を注目すると壺が浮き出て、黒を注目すると顔が浮き出る。

 あれは見ていてとっても変だった。気持ち悪いとか特別意識を持ったこともなく、『とっても変だった』と自分の中にストンと落ち着いた。それ以上に不思議はない。だって白か黒か、二択に一つで、そう見えたら中々もう一つには見えないのだから。

 なんなら、白か黒か、この言葉がルビンの壺から来てるんだと思っていたぐらいに、不思議で、はっきりしていて、変、で簡潔していたんだ。

 こんな変なものがあるんだなって。


 だけど、変ってなんだろう。変ってつまり何を指す? 変には奥深いって言葉を使うのだろうか。


 晴天晴れ。賑やかな談笑の声。靴底から伝わるジャリジャリとしたグラウンドの踏み心地。

 、不思議に思う気持ちに白黒など着かない。

 だって、数分前には阿鼻叫喚の混沌を極めていたのだから。


「どうなってる……」

「どした、霊障?」

「……かもしれない」

「マジ!? もっと詳しく!」


 ぎゃーぎゃーと斎藤が明智の周りで叫ぶ。伸びた不良三人衆は反応しなかった。

 これを現実と取るか、夢と取るか、明智にとって難しかった。一度は崩壊して何もかも無になったのだ、それが今再び怪物に襲われる前に戻り、平穏そうに友人がカメラを回していることが、現実としてすぐには受け入れられなかった。

 いや、むしろ崩壊した世界のことを受け入れ過ぎなのかもしれない。ノストラダムスの大予言が外れて泣いた人なんていないだろう。多分。

 ただ鮮明に、ただはっきりと、醒めない悪夢の残滓が瞼の裏に張り付いているんだ。顔を洗えば綺麗爽快だろう。

 そう思った。

 のだが……、


「そうすると、このアプリの方をどう言い訳するか分からないよな」


 『迷い家』の名前がぼんやりと浮かび、スマホのホーム画面に並列していた。

 体感にして数秒前、車掌である世迷 シャーロックに寝台車両へ案内された。元の世界に帰るには眠るんだとか。

 疲れていたのもあり、列車の振動が心地良かったのもある。だからか意識はすんなりと落ちていった。本来ならここでぼんやりと夢を見るのだろうけれど、どうしてか、怪物の現れる数分前の今に、血の付いた拳で顔をごしごしと擦って覚醒した次第だった。


「げっ、体育教師っぽいのが正面玄関から来てる。どうしようアル!」

「どうしようって、素直に指導室に連れてかれようぜ。多分正当防衛にはなるだろう。斎藤、お前のカメラを思い出せ」

「あっ! そうか! ズバリ心霊現象を現場で解明するんだね!」

「どこの名物探偵だそれ! しかもそれ現場は廃病院だろう!」

「あの教師が拳の当たらないものを怖がる人だと良いんだけど……」

「カメラ映像に人生かけ過ぎだろ……」


 あ、そっか。と朗らかに笑う友人。その姿もリアクションも、よく知っている友人そのもの。


 赤いジャージの教師が、一歩、また一歩と歩む。このグラウンド中の砂が宙に浮き、人も建物も逆さになって、この瞬間を乗り越えなくてはならないSFのような展開に囚われていないのなら、


「お前達! ちょっと指導室に来い! そこの不良もだ!」

「先生、彼らは気を失ってます」

「なら俺が運んで保健室に連れていく。お前達は指導室に向かえ、場所は……」


 友人と共に並んで、教師の説教に身を縮こませて耐えた。学校側から複数の視線も感じた。

 半泣きの斎藤と共に、後ろで不良三人衆を引きずる教師の監視のもと、正面玄関へと向かった。

 何の変哲もないまま、不良を返り討ちにした明智とそのお供(元凶は斎藤)は、静かな時間を噛み締めていた。


「……あの、先生」

「なんだ」


 呆気ないので、何か投じてやりたい気持ちで、明智は質問した。


「先生は熊……、いや、犬は好きですか?」

「嫌いだ。夢でゴロゴロ転がされて、さんざんだった」

「その夢って、いつ見ましたか」

「今朝だ」


 

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