第一章 ビスケットサンド(1の1)

 春 花の咲きの盛りの山辺には、風吹き渡りて跡なく散りゆくがごとく

 秋 まどかなる月の夜の美空には、雲わき出でてさやけき光を覆うがごとく

 ことに世は常ならず 人の命も今日ありて明日は知れずというなり



 昼下がり。

 教師が読み上げる、なんとなくわかるような、わからないような、とても風流そうだけれど興味を引く以上に眠気をさそう呪文のような言葉を耳にしながら、全身でやわらかな日差しを感じている。

 窓の外に目をやると、ひらひらと風に舞う薄紅色の花弁がこれまた目に心地よく、肩口で揃えられた髪がそよそよとやさしくなびく感触とあいまって、よりいっそう瞼を重くさせた。

 遠く、街並みの向こうに見える山々の上には、どんよりとしたねずみ色の雲がたちこめ、気まぐれな風向き次第ではやがて雨になるかもしれない。


「見納めかな、さくら」

 ほんの少し唇をとがらせ、誰にともなくつぶやいた。




 本日の全課程の終了を告げる鐘の音が響き渡る。

 教室のあちらこちらで、皆いちように背伸びをし、脱力したようなため息がもれ聞こえた。


「りんこちゃん、また明日」

 笑顔で手をふる隣の席の少女に、笑顔で返す。

 続けて数人と同じような他愛もないやり取りを交わしてから、りんこはようやく自分の帰り支度を始めた。


 真新しい革鞄の中身を丁寧に確認し、机の中をのぞき込む。忘れ物がない事を確かめると、席を立とうと手足にちからを込めたところで、再び声をかけられる。


「またなー、ちゃんと牛乳のめよー」

 まだ不慣れな新しいクラスのなか、中学校から良く知る数少ない男子生徒の声が教室に響いた。その無遠慮な声に、ほかの生徒たちの間で押し殺したような笑いがもれた。


「うん、ありがとう。またね」

 なかば袖にかくれた小さな手をかるくあげ、目を細める。男子生徒があわただしく立ち去ったのを目で追い、ほかの目もない事を確かめると、ひとこと。

「よけいなお世話だっつーの」

 んべっ、と赤い舌をのぞかせた。



 その時、教室の入り口から視線を感じ、あわてて舌をひっこめる。

 瞬時に、いつもの涼しげな表情に戻ると、内心の動揺などおくびにも出さずに、両手で革鞄をからだの正面に提げ、足をそろえて、小首をわずかに傾けた。

 そして、視線の主を視界におさめると、わずかに安堵する。


「なんだ、れいちゃんか」

 ぶしつけな物言いだが、声にも表情にもどこか嬉しそうな響きがあった。


「……おわった?」

 れいちゃん、と呼ばれたのは、一目で強く印象に残るほど背の高い女子生徒だった。あまり手入れの行き届いていない黒髪を無造作に腰あたりまで伸ばし、幾筋も垂れる前髪の間から青白い肌をのぞかせる。小柄で、どちらかと言うとはつらつとした印象のりんことは様々な意味で対照的だった。


 りんこは、れいちゃんに手を振りながら駆け寄ると、廊下に出て並んで歩き始めた。


 つづく...

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