第八話 三同割

 安左衛門が最初に試作したものはかすていらと言うか、三同割であった。


 三同割というのは「三つの材料を同量で混ぜたもの」という意味で、洋の東西を問わぬ料理の基本である。製菓の用語と言うわけではなく、例えば醤油・酒・みりんを同量で混ぜたものも三同割と呼び、これは和食の基本の調味料として重宝なものとされる。この調味液に柚子を利かせ、魚を漬け込んで焼けば「柚庵焼き」と呼ばれる料理の出来上がりだ。また、西欧の製菓の技法においても小麦粉・卵・砂糖の三同割はやはりその基本とされているのである。


 安左衛門のさしあたっての目標はかすていらを焼き上げることなわけだが、かすていらの基本の材料が小麦粉と卵と砂糖であることくらいは試食してみれば分かった。詳しい製法は知らないとはいえ、とりあえずその三つを同量混ぜて、鍋で焼いてみたわけだ。砂糖は、とりあえず少量の実験であるから城のくりやにあった白砂糖を少しだけ持ってきた。小麦粉は、隣国讃岐(香川県)がうどんの名産地であるから、うどんの粉でよければわりあい容易に手に入った。卵の利用は十七世紀中葉の日本ではまだあまり一般的ではないのだが、湊町に探しに行ったらアヒルの卵が売られていたので、一つだけ贖ってみた。とりあえずはまだ実験であるから、それでよい。


 さて、まずは量らねばならぬ。天秤ばかりが必要なわけだが、やはり湊町の道具商でひとつ買い入れてあった。丁寧に重さを調べ、卵ひとつと同重量のうどん粉、白砂糖を同じ鍋に入れ、菜箸でかき混ぜる。そして鍋を火にかけ、焼いてみた。


「……」


 出来上がったそれを、熱いうちに試食する。それは食べられないものではなかった。上等な砂糖がふんだんに用いられているから、甘くはある。茶がすすむし、贅沢な食べ物であるとはいえた。だが根本的な問題として、明らかにそれはではなかった。柔らかいことは柔らかいが少しもふうわりとはしておらず、ぼそっとしている。ほぼ別の何かである。


「ここから、かすていらに近づけていかなければならんのか。気の遠くなる話だな」


 見よう見まねだけで菓子作りができるものではない。安左衛門は真っ先に、松山藩の江戸屋敷と大阪蔵屋敷に連絡して、手に入る限りの『かすてら製法書』を探し出して送ってもらうようにと藩に掛け合っていた。筆頭家老が関わっていることであるから、江戸と大阪に早馬が送られている。藩の公務である以上はそれくらいのことは許される。そしてもちろん、彼自身も松山城下の書籍商はすべて訪れ、そこで手に入れ得る資料は探索していた。かすていら等安に関する資料もそうして見つけた書物の中にあったのである。


 かすてらの製法そのものをはっきりと記述した書を、安左衛門はまだ見つけていない。そこで、ここでは先に、彼が直面している小麦・卵・砂糖の入手に関する問題について触れておこう。


 まずは砂糖についてだ。砂糖と一口にいっても色々な原料と製法があるが、ここではこの時代の日本で主要であったサトウキビの砂糖について述べる。サトウキビの原産地はインドである。紀元前四世紀、アレクサンダー大王がインドまで遠征した頃には既にインドでサトウキビの栽培が行われていた。サトウキビの栽培や砂糖の製造法がインドから外に出るのはそれから数百年は先のことであったが、八世紀には日本まで伝来した。中国から日本にやってきた有名な高僧、鑑真がんじん和上が持ち込んだのがその始まりであったとされている。だが、この当時の砂糖はあまりにも貴重で、薬として扱われていた。


 日本に砂糖が普及するようになったきっかけは、例によって南蛮交易である。西洋人たちは日本人に砂糖の文化を教えた。日本人は彼らが交易物資として持ち込む砂糖を大いに珍重した。一方、日本国内での砂糖の生産はまだほとんど始まっていない。日本であるかどうかがまだ微妙な場所、すなわち琉球で、黒砂糖の生産が試験的に始まったばかりという程度である。であるから、松山城下で手に入る砂糖は白砂糖も黒砂糖も長崎交易でオランダや中国から持ち込まれた舶来品であった。寛永十八(一六四一)年の長崎の記録には、台湾を経由して入港してきたオランダ船の積み荷に「黒砂糖三五〇〇〇斤、白砂糖四〇〇〇斤」が含まれていたとある。そのほか、白砂糖よりさらに量が少なくなるが蜂蜜や氷砂糖なども輸入されていた。


「いかに藩主様のご要望のための研究とはいえ、白砂糖は高価だ。献上品を完成させるときか、そうでなくともここぞというときだけにしてくれ。日ごろの研究には、黒砂糖を用いよ」


 と、勘之丞には言われている。というわけで、安左衛門が城から砂糖を持ってきたとき、白砂糖はごく少量だけだったが、黒砂糖は沢山持ってきていた。

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