第九話 小麦と卵と

 日本は米文化の盛んな国であるが、小麦も古くから伝来している。弥生時代にはもうあった。にもかかわらず日本では古今米文化の方が主流であり、小麦は二番手か三番手くらいである。なぜそうなったかというと理由は単純で、ざっくり言えば日本の気候風土は小麦の栽培に向かないからだ。


 これは安左衛門のたると研究においても重要な問題となるから、もう少し詳しい解説が必要だろう。小麦と一口に言っても様々な品種があり、性質による分け方が何通りもある。例えば、強力粉・中力粉・薄力粉という概念があるが、これらは小麦の品種が違うのである。


 また、大きく二種類に分けて春まき小麦と秋まき小麦、というのもある。春まきの小麦は強力粉になる。強力粉の主な用途はパンである。秋まき小麦は、中力粉や薄力粉になる。中力粉というのはうどんに向いた粉で、薄力粉は菓子に向いた粉である。


 春まき小麦というものは湿気に弱い。そして、日本では春まき小麦の成長時期に、全国的に「梅雨」というものがある。だから江戸時代までの日本の自然環境は(安左衛門の時代にはまだ日本だとは言い難い蝦夷地を除いて)春まき小麦の栽培に適さず、日本では強力粉がほとんど手に入らなかったのだ。日本にパン食の伝統が興らず、米文化が盛んになった最大の理由は以上のようなことである。


 とはいえ、小麦の栽培そのものは、土地によっては行われていた。米の栽培をまったくせず小麦だけを育てるということは日本では稀であったが、秋小麦は稲刈りが終わったあとに種を播いて収穫することができる。というわけで、比較的小麦栽培に向いた土地柄では、稲と秋小麦の二毛作が行われていた。伊予の東の隣国、讃岐もそれに含まれる。四国の中でも比較的温暖で、雨が少ないからであった。というわけで、讃岐では中力小麦が盛んに生産されており、うどん文化が長く栄えているのである。


 最後に卵について論じよう。現代人の感覚では卵と言ったら鶏卵、つまりニワトリの卵であると相場が決まっているが、安左衛門の時代にはそうではなかった。鶏の卵ももちろん多少は流通していたが、しかしそれだけではなく、最初の試作に用いたようなアヒルの卵や、それに現代人にはまったく馴染みがないものであるが鶴の卵なども食用に用いられていたのだ。ただ、いずれの卵にしても貴重で高価なものであったことに変わりはなかった。


「鶏と家鴨あひるを、庭で飼いたいのですが」


 研究のために大量の卵を必要としている安左衛門は、勘之丞にそう談判した。白砂糖を黒砂糖で間に合わせることはできても、卵の代わりになるものは無いと思われるので、やむを得ない。だが勘之丞は難しい顔をした。


「ぬう。うちの庭でか?」

「他にありますまい」

「どれくらい必要だ?」

「できれば、合わせて十羽ほど」


 この時代の鶏は、後代のそれほど品種改良が進んでいないため、一羽のめんどりが毎日卵を産んだりはしなかった。よって、一羽や二羽では足りないのである。


「止むを得んな。大工を呼んで鳥小屋を建てさせよう。しかし誰が面倒を見るんだ。お前、一人で手が足りるか?」

「うむむ。それは」


 そこで、茶の支度をして部屋に入ってきた喜代が手をあげた。


「あっ、あたしでよければ。お手伝いさせてもらえませんか?」

「それはかたじけない。ありがとう存じまする、喜代どの」


 そういうことになった。勘之丞の家の奉公人が、松山近郊の農家を数軒回って、よく卵を産む鶏や家鴨を何羽か買い求めてきた。ヒヨコも混じっていた。


「ピヨちゃん、ピヨちゃん。ぴーよぴよ」


 喜代は面白がって鳥たちの世話を焼いた。昼間のうちは庭で放して、夜になったら小屋に入れる。その繰り返しである。ちなみにこれは平飼いという立派な養鶏法なのだった。時計というもののない時代、鶏は朝を告げる神聖な鳥であったが、しかし流石に武家屋敷の真ん中で十羽も鳥を飼ったら近所の評判にはなる。勘之丞の水野家は、近隣から「御鳥御殿」と綽名されることとなった。


「鳥ってかわいいですねえ、安左衛門さま」

「さようでござるな、喜代どの」

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