第四話 松山の江戸っ子
水野安左衛門は松山の藩士であるが、彼自身は自分を『江戸っ子』であると認識している。別にとち狂っているわけではなく、実際にもともと江戸に祖父の代から続く菓子職人の家の生まれなのである。菓子職人だというからには、町人だ。元和六(一六二〇)年、神田で餅菓子売りをしていた
「まさか、将軍家の御落胤というのでもあるまいし。これはどうせ、どこの馬の骨とも知らん男の倅だろうよ」
などと言って、安兵衛は孫を疎んじた。母親はそうまででもなかったのだが、安次は結局、まっすぐな子供には育たなかった。十といくつかになる頃には立派な不良少年に育ち、当時江戸市中をにぎわせた町奴と呼ばれる『かぶき者』の仲間として、徒党を組んで暴れ回った。町奴のほかには旗本奴という武家の若い者たちの不良集団もあって、この両者がよく江戸市中で喧嘩騒ぎなどを起こしていたのであった。
さて、そんな彼のところに実の父親である松山藩士・水野
「お前が安次か」
「なんでえ、どこの田舎侍さまだ。こちとら神田の
「バカもんが。わしは、お前の父だ。おみつから聞いているだろう」
「なんだって。それは、聞いてる。おれの親父は、桑名のお侍だったって」
「それがわしだ。いや、当時の御藩主定勝様は既にお亡くなりになられ、また領地は国替えとなって、今は伊予松山の藩士だが。水野十郎左衛門。聞き覚えがあるだろう」
「ある。だけど、今さらおれに何の用が……うべっ」
十郎左衛門は息子をいきなり張り飛ばした。
「父親に対する口の利き方というのを、いずれ教えてやる。だがまずは、お前の家にゆく」
「なにしやがんだ、この……うわっ」
安次は首根っこをひっつかんで連れていかれた。
「……かような次第のわけで。安次を、水野家に迎えたい」
十郎左衛門が語った次第というのは、以下のようなものであった。まず、十郎左衛門には妻と、ふたりの息子がいた。つまり安次の兄たちである。だが、その二人が二人とも、松山藩が鎮圧に参加した島原の乱において名誉の戦死を遂げた。十郎左衛門の年齢ではこの先新たな子宝に恵まれるということは期待しがたく、このままでは家門断絶になってしまう。そこで思い出したのが、むかし江戸で町人の娘に生ませ、そしてそれからも密かに生活費を仕送りしていた隠し子の存在であった、というわけだ。
「おみつの奴、何か隠しているとは思ったが。そういうことだったのか」
と、既に老境にあり病身の安兵衛は言った。
「おっかあはどうなるんだ」
「あたしゃ、江戸に残るよ。今更この年で、武家の養女だなんて御免だね。ここで餅菓子屋をやってるから、江戸に戻ることがあったら顔を出しな」
「……分かった。じゃあおれは、松山へ行くよ。おっかあ、爺ちゃん、達者でな」
そうして、それから十年近くの歳月が流れ。数えの二十八歳、かつての不良少年の面影もすっかり薄れた安次改め安左衛門は、隠居した十郎左衛門に替わって家督を継ぎ、二人扶持九石取の包丁侍をやっているというわけである。
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