咎人の告解
♢春
告解。
自分の罪を告白し、神に許してもらうこと。
僕にとって相手は、ミカエルである。
あの後、僕は判決を受け、2年ほどの懲役を受けることになった。僕が精神疾患だからだと、判決は軽くなったらしかった。
ミカは右目の視力を失ったと聞いた。多量に出血し、脳に血液が回らなくなって。僕は何度も自分が馬鹿な事をしたと悔やんだ、だが謝ることもできず、ただ時間が過ぎていた。
そして今日、僕は出所した。初めにすることは決めていた、ミカに会うこと。
♢
待ち合わせは卵料理がおいしい店。彼は私を許してくれるだろうか。いや、一目顔を見るだけでいいのだ。僕の傲慢なのだろうなとも思いながら歩く。
電車を降りて、まっすぐに店へと向かう。久しぶりに踏む外の土、香りに心が躍った。
突然、目が紺色のパーカーを捉えた。
月日が流れても変わらない、絶対に見間違わない。
「ミカ」
僕は笑顔で駆け寄る。
彼が気づく。
彼はどんな顔で僕を見るだろう。
何度も頭の中でシミュレーションしてきた事。
だのに、どうしようもなく期待してしまうのだ。
「ユキ、久しぶり」
彼は笑顔で両腕を広げた。
想像もしなかった最高の選択肢、それが僕に与えられた。
僕はそこに飛び込んで行った。
♢
温かいふわふわのオムレツが二つ並ぶ。僕は雲のように柔らかいそれをナイフで切り、広げる。
トマトソースの香りが店中に広がっている。
僕はその空気を目一杯吸い込み、口を開いた。
「本当にごめん。目の事も。全部」
自分でも、これは稚拙な謝罪の言葉だと思った。だけれど、どう準備しても、浮かばなかったのだ。だから、いっそのことそのまま伝えてしまおうと思って、ここにいる。
ミカは微笑んだ。
「なんて言えばいいかな。気にしていないよ。嘘に聞こえるかもしれないけれど、本当に大丈夫なんだ。ユキこそ、大変だっただろう? 守れず、ごめんね」
何故こんなに優しいのだろう。許してくれないほうがマシだった、と思うのは、罪悪感の行き場がないからだ。そんな思いが生まれるのは僕が利己的だから。
「ミカは、優しいね」
初めて僕は彼にそう言った。
ミカは笑った。
「私は君のことが好きだから、優しく思われたいよ」
「なぜ、僕のことが好きなの?」
「」
ハウリング。そして鈍い音。そして、僕の妄想は途切れた。
前彼が僕に言ってくれたことを繋ぎ合わせただけの、脆い台詞が。
♦︎
机の上にあるオムレツはひとつ。もう冷めている。
そう、
僕が殺した。
ミカの両親や妹には責められたし、小説家としての生命も絶たれた。精神病にかかっているからといって、世間は優しくなかった。
だけれど僕の心は平穏だった。
彼に最後に『大好きだ』と言ってもらえてからは、他人の言葉など全く心に入ってこなかった。
だから、僕は、彼に会いにいくのだ。
唯一、僕の事を認めてくれて、愛してくれる彼に会いにいくのだ。
彼にもう一度会うには、死ねばいい。
彼が信じていた北国正教について、僕は死後の世界の考え方は全く知らないけれど。僕はカトリックを信仰しているから、彼が天国に行くものだと信じている。彼が天国にいるのなら、罪を犯した僕は地獄から這い上がってでも彼を捕まえに行くだろう。
♦︎
店から出て、煉瓦塀の間の狭い路地を歩いていくと、視界が開ける。崖の下は小さな湾があり、海の匂いがした。僕は走った。
やっとミカに会える。胸が高鳴る。
崖から下を覗き込むと、怪物の顔が揺れていた。
「久しぶり、ミカ。僕を許してくれる?」
冷たい水飛沫が跳ねる。その飛沫に反射して、彼のいつもの笑顔が見えた気がした。
雪麗 弱恣ゆづる @watagashi_k
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます