在りし日の里

 麓の集落で、ふたりは残った路銀のほとんどをはたいて、ロバを一頭手に入れた。マルテはそれに跨り、後ろに簡素なローブでぐるぐる巻きになって顔半分だけを出したティエラを積んで、オリージャへ向かった。オリージャに行くには、まずセルピエンテ川を目指し、川に差し掛かったらそれを上って行けばいい。ロバという足もあり、サヒタリオの家に向かうための山登りと比べたら、距離はあるものの楽な旅だった。

 マルテは後ろで揺れているティエラを振り返った。


「ねぇ、ティエラ。なんでそのオリージャの町にマルテの体の部品があるの?」


 ティエラは瞑っていた右目を開いた。


「セルピエンテ川の上流に霧の里があったんだよ」


 それを聞いてマルテは思わずはっと息を飲んだ。ティエラはマルテの反応を気に留めることなく話を続けた。


「オリージャでは、町の真ん中を走るセルピエンテ川を使って、上流の集落で作られる品物や農作物が集められてた。霧の里も、人形師が作る木彫りの民芸品をオリージャに卸してたんだよ」

「へぇ。そうなんだ。里の人形師は人形ばかりを作ってたんじゃないんだね」

「日用品から動物を象った置物までね。技術はすごく高かったし」


 ティエラがどこか誇らしげに語る。しかし、わざわざ誇らずとも、その技術の高さは実際に動くティエラを見れば一目瞭然だ。


「私は里が焼けたときに人形師の遺灰も集めた。体が壊れたとき、修理できる人間がいなきゃ動けなくなるからね。で、降霊した人形師が作った体の部品をオリージャに置いてあるってわけ」


 途中、何度かの野宿を挟み、ふたりは目的の町オリージャへ到着した。オリージャは決して大きな町ではなかったが、小さくも多様な商店が軒を連ねており、活気にあふれている。旅人らしき人間の姿も多く見られ、この辺りの要所となっているのがわかった。

 マルテは久しぶりの町の雰囲気に少し長めの滞在を期待した。だが、体を真新しくすればすぐにティフォン城へ急ぎたいティエラにそのつもりはなかった。

 マルテはロバを引いて、ティエラの部品が置いてあるという木工細工を取り扱う店へ向かった。店は隣に工房を併設しており、訪ねるとそちらの方から不愛想な店主が顔を出した。


「あの。預けている人形の素体を引き取りに来たんですが」


 マルテがティエラの指示通りの台詞を言うと、店主はちらりと目を向けて、工房の奥へあごをしゃくるだけだった。マルテが遠慮がちにそちらへ向かうと、工房の隅に木板で区切られた一角に、バラバラになった人形の体が山積みにされていた。これこそティエラの替えの体だ。腕を一本手にとってみる。たしかにティエラのものにそっくりだ。

 店主は再び作業に没頭している。マルテは工房内を何度か往復しながら、必要な素体の部品をロバの背中に積む。ティエラは無言でその様子を見守っていた。荷積みが終わり、マルテが店主に礼を言って立ち去ろうとすると、店主が最後にボソリと声をかけた。


「お仲間がいたんだな」


 驚いたマルテがどう言葉を返すべきかと言葉に窮していると、店主はさっと手を振った。余計な会話はいらないという意味に捉えたマルテは、黙って頭を下げ、店を後にした。





 マルテは数日ぶりに宿を取り、そこでティエラの素体の修復作業を行った。と言っても、その作業は人形師の魂を降霊させたティエラが自ら行う。マルテにやれることはそれをただ見守ることだけだ。

 修復作業が進み、ティエラが真新しい体に生まれ変わっていく。


「あの木工細工のお店はティエラの協力者なの?」


 マルテは作業の合間を見計らってティエラに尋ねた。ティエラは腕を畳んだり伸ばしたりを繰り返して、関節の状態を入念に確かめている。

「霧の里の細工品をずっと取り扱ってくれてたお店なんだ。協力者ってわけじゃないんだけど、ただ、私のやることを黙認してくれてる。私が人形であることも、もしかしたら霧の里の術師だったことも分かってるのかもしれないけど、何も言わないんだ。店に出る亡霊くらいに思ってるのかもね」

「なんだか不思議な人」


 マルテが率直に思ったことを口にすると、ティエラは新しくなった肩を竦めた。


「だけど、それがありがたい」


 今まで孤独な戦いを続けていたと思っていたティエラにも、あのような存在がいたのだ。マルテはティエラのことを何も知らなかった。復讐人形であること以外には。マルテはもっとティエラのことを知りたくなった。初めて旅を共にしたときには、こんな気持ちになるとは思わなかった。


「ねぇ、ティエラ。霧の里の話、もっと聞かせてよ」


 すると、ティエラは思いの外怖い目でマルテを見た。


「私に辛いことを思い出させるの?」


 マルテははっとして激しく首を振った。


「そ、そうじゃなくて! 霧の里がどんなところだったのかとか、どんな暮らしをしてたのかとか、私、里のことを全然知らないから、そういうのを知りたいの!」


 ティエラは怪訝そうにうっすら目を細めた後、視線を年季の入った窓の外へ向けた。外はすでに夜の闇が落ち、雲にかかった月がぼんやりと覗いている。


「里は山の深いところにあって、人の往来もほとんどない隔絶された場所だった。ずっと霧に包まれてて、うつし世とかくり世のあわいにある場所って言われてた」


 鬱蒼とした山間に立ち込める霧。そこに置かれた何体ものティエラのような美しい容姿の人形たち。想像するに一種異様な光景だ。マルテは少し身震いした。


「なんて言うか、たしかにこの世の場所とは思えない感じがしそう」

「私も人形になって里を出てから初めて、世界はもっと明るいんだと知ったよ」


 ティエラは自嘲気味に笑う。


「里に生まれた女はみんな物心ついた頃から降霊術の修行を始めて、例外なく降霊術師になる。十六歳の誕生日を迎えると一人前と認められて里の外に出ることを許される。十六歳になったときは、ようやく外の世界を見られると思って嬉しかった」


 マルテは思わず目を伏せた。ティエラはその直後にオスクリダドの襲撃を受け、夢と未来を奪われたのだ。


「降霊術師になるのは女の人だけ?」

「そうだよ。男じゃなれない。どうしてって思うかも知れないけど、そういうものなんだ。男の人が子供を産めないのと同じように、女じゃなきゃ駄目なものなの。その代わり、男はみんな人形師になる。里では人形を作るのは男の仕事」


 男女ではっきりと役割が分かれている。人形師と降霊術師の里、それが霧の里なのだ。


「私が十六歳になって与えられた人形は、父親が作ってくれた人形だった。父は里一番の人形師でね。そんな父が、娘のためにいっそう腕によりをかけて作ったって言ってたっけ」


 マルテは聞きながら沈痛な表情を浮かべた。結局、里の話は何を聞いても悲しい話になる。だが、当のティエラは悲嘆に暮れる様子もなく淡々と語り続けた。


「ただ、この二十年で何度も体を取り換えているから、あの頃の部分はほとんど残ってないんだけどね」


 その二十年が苦難の連続であったことは想像に難くない。


「そっか。里がなくなってから過酷な旅を続けてたんだね」

「それもあるけど、私は戦う技術を身につけなきゃいけなかった。だから、何度もボロボロになったんだよ」


 生前、ティエラはただの術師の少女だった。しかし今は、かつての戦闘部隊と互角に渡り合うほどの戦闘技術を身に付けている。木製の体を何度も替えねばならないほど、過酷な訓練を自らに課したのだ。


「里では戦う訓練なんてしてないでしょ? 木工細工の人みたいに、剣術の師匠みたいな協力者が他にもいるの?」

「ううん。そんな人はいない。まだ西部は戦ばかりだったから。戦場に赴いて、騎士や戦士の遺灰を集めて、降霊して体に覚えさせたんだ。そんなことで戦えるようになるのか、最初は自分自身、疑心暗鬼だったけど、それしか方法が思いつかなかった。でも、やればできるもんだよ」

「すごい努力をしたんだね」

「本来はこんな降霊術の使い方は許されないだろうな。でも、いいんだ。どうせもう里はない。私も復讐を果たせばきっと消える。守るものなんてもう何もないんだから」


 マルテはティエラの言葉にはっとした。


「ティエラは、やっぱり消えちゃうの?」

「分からないけど、そりゃあね、私は死んでるし。この世にいる理由がなくなれば」

「私、やだな。寂しい」

「なんで?」

「え? なんで、って……」


 マルテはそこで言葉に窮した。どうしてそう思ったのか。結局、マルテにもこれまで歳の近い友人がいたことはなかった。ティエラはマルテにとっては初めての歳の近い友人なのだ。だが、ティエラがどう思っているかわからないかぎり、マルテはそれを素直に口にすることができなかった。


「さ、里にはさ、仲のいい友達はいたの?」


 マルテは話題を変えた。我ながら不自然な話題の転換だった。だが、ティエラに頓着せず、静かにかぶりを振って答えた。


「そもそも里には子供も多くはいなかったんだ。大きな里じゃないから。同世代って呼べるような子はいなかった。年上はみんな里を抜けていくから、いつしか私が里の子供たちのお姉さんみたいになってて、年下の子の人形遊びばかりに付き合わされてた」

「待って。ティエラがお姉さん? なんか想像できないな」

「なんでよ。これでも、子供たちからは慕われてたんだよ」


 ティエラは憮然とした声を返す。


「友達はいなかったけど、姉が里を出るまでは、姉が友達みたいなものだった」

「お姉さん? お姉さんがいたの?」


 驚くマルテにティエラが目を向けた。マルテの胸がドキリと跳ね上がる。その目はあの復讐者の目だった。突然変わったティエラの様子に、和やかな雰囲気が吹き飛んだ。


「そうだよ。エスプランドール城でシリオ・エストレージャに降霊術を披露することになったのは私の姉なんだ」


 マルテは言葉を失った。シリオ・エストレージャは、単に里へ刺客を差し向けた張本人というだけでなく、実の姉の仇でもあったのだ。ティエラがシリオ公にひときわ強い復讐心を抱くのも当然だ。


「エスプランドール城で命を落としたから、遺灰も手に入らない。どんな皮肉か、魂を呼べる私でも、もう二度と会うことはできないんだよ」


 そうしてしばらく沈黙がふたりを包んだ。先に言葉を吐いたのはマルテだった。


「ごめんね」

「え? どうして謝るの?」


 ティエラが小首を傾げる。


「結局、辛い記憶を思い出させることになっちゃったみたいだから」


 すると、ティエラはゆっくりと首を振った。


「やめてよ。里にもいい思い出はいっぱいあったんだ。あそこは私の唯一の故郷で、生きてる間の私の世界のすべてだった。それを思い出せて、少し嬉しかったくらい。ありがとう」


 ティエラの復讐は止めたい。だが、それ以上に、この人形に宿った同世代の少女のためになにかしてあげたい。やはりマルテにとってティエラはもう友人だ。

 すぐにでも、再び旅が始まる。だが、ティエラの凶刃がエストレージャ公の首に届くまでにはまだ時間がある。自分のやれること、やるべきこと。それを探すのがおそらくこれからのマルテの旅の目的になるだろう。

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