償い

「これで四人目。ようやく半分だ」


 ティエラが立ち上がろうとして、当然のようにバランスを崩した。マルテはとっさにティエラの体を支えた。ティエラにはもう、無事と言える足が一本も残っていない。


「こんなにボロボロになっても、ティエラはまだ動けるんだね」


 体はもちろん、頭部も半壊していると言っていい。だが、ティエラは残った目に相変わらずの強い意志の光を宿したままマルテを見返した。


「私は復讐のためにこの人形に宿ってる。どれだけボロボロになっても、その復讐の炎が潰えない限り、私は止まらない」


 ボロボロになったティエラ。里では多くの人間と人形たちがこのような姿にされたのだろう。マルテには、ティエラとオスクリダドの人間たちが語る昔話でしか、そのことを知り得ることはできない。だが、今、元の姿も分からないほど変わり果てたティエラの姿に、マルテはかつての里の惨劇を垣間見た気がした。

 気付いたらマルテはティエラを抱きしめていた。


「ごめんね」


 マルテは、ティエラの復讐を邪魔しようと画策して、あまつさえ崖から突き落とした。


「なんのこと?」


 いっとき魂の乖離していたティエラはまったくそのことを覚えていなかった。気付いたらボロボロの状態で川べりに打ち上げられていたというわけだ。


「ううん。覚えてないなら、また落ち着いたときに話す」


 このことはおざなりに話すわけにもいかない。それに今は目下気にかけなければならないことが他にある。残されたサヒタリオの妻子のことだ。


「ねぇ、ティエラ。やっぱり遺灰のために遺体を燃やすつもりなの?」

「もちろんだよ。他の連中の情報を聞き出さないといけない」

「でも、もう、三人分の遺灰があるんでしょ? だったらそんなに新しい遺灰って必要?」


 ティエラは残った片目を訝しそうに細めた。


「なんで急にそんなことを言い出すの?」


 マルテは家の方を振り返る。


「奥さんとまだ小さいお子さんがいるんだ。せめて家族に弔わせてあげたい」

「残された人たちには申し訳ないけど、それもサヒタリオの罪のひとつだ。どうせ自分がやってきたことだって家族には秘密にしてたに決まってる」


 ティエラの言うとおりだった。


「でも、奥さんと子供は悪くないんだよ? 残された人たちの気持ちを汲んであげることくらいいいじゃない」

「サヒタリオの持った情報を逃して、私の目的に支障が出るんだったら困るんだよ。私の復讐は誰にも邪魔させない」


 ティエラは譲ろうとしない。マルテは少しばかり考えた。


「じゃあ、もし、サヒタリオさんからの情報がなくても支障がないなら、遺灰を諦めてくれるかな」

「どういうこと?」

「私が手助けしてその穴を埋める」


 ティエラはそれを聞いて思わず嘲るように笑った。


「無理だよ。マルテはこの件には関係のない人だもん」


 マルテはかぶりを振った。


「そうとは限らないよ。私はこの王国西部で暮らしてきた。人との繋がりだってある。それに、金牛傭兵団のときだって私が役に立ったでしょ?」


 傭兵団に潜入するのにマルテが一役買ったのは間違いない。もっとも、その後の勝手な行動で台無しにもしていたが。


「ティエラが復讐したいと思ってる人は、あと誰が残ってるんだっけ」


 マルテが残りのティエラの標的を確認する。


「ヘミニス、ピスシス、レオン、それにシリオ・エストレージャだよ」


 ティエラが言うと、マルテはすぐにうなずいた。


「そのピスシスっていうのは、ピスシス・アステリスモ卿のことだよね?」


 ティエラが静かにうなずく。


 ティエラが復讐相手の名前を列挙したとき、西部総督シリオ・エストレージャの名に霞んではいたが、ピスシスという名も驚くに値する名前だった。

 ピスシスはタウロやサヒタリオとは違い、王国西部でも由緒ある一城、ティフォン城の城主なのである。それが霧の里の事件に関わっていたというのは驚くべき事実だった。


「まさか、ティフォン城の場所が分かるなんて冗談は言わないよね。そんなの誰だって知ってるよ」

「わかってるよ。そうじゃなくて、私が言いたいのは、ティフォン城に入るための手助けができるかも知れないってこと」

「金牛傭兵団のときのようにってこと? そんなにうまくいくかな。今度はお城だよ」

「私の両親は名の通った商人で顔も広かった。だから、何か役に立てることがあるはず。だから、お願い。サヒタリオさんのことは諦めてほしい」


 マルテが真剣な目を向ける。ティエラはしばらく答えを悩んでいたが、ついには折れた。


「わかったよ。その代わり、どんな無理難題でも受けてもらうからね」

「む、無理難題?」


 マルテは一瞬躊躇しそうになったが、今更断ることはできない。マルテは締まった喉から何とか声を絞り出す。


「わ、わかった。がんばる」


 それを聞くとティエラは納得して、剣を杖代わりに不完全な左脚でその場を離れた。マルテはともに残されたサヒタリオの亡骸に視線を落とした。もう、ティエラの復讐を止めるつもりはなかった。過去に酷い罪を犯した人間はどこかで償いをしなければならない。後に残される家族がいるからといっても許されるわけではない。しかし、残された者たちは違う。もしかしたら、自分こそがその残された者たちに何かできるのかもしれない。マルテはおぼろげにそう感じ始めていた。


「あなた?」


 ふいに後ろから声がした。振り返ると、そこには夫人が立っていた。雨が上がったにも関わらず、外から帰ってこない夫を心配して様子を見に来たのだ。亡骸を目の当たりにした夫人の目が大きく見開かれる。


「あなた! 一体どうして!」


 夫人は泥を跳ね飛ばしながらサヒタリオに駆け寄り、泥に汚れるのも構わず遺体の傍に膝をついた。変わり果てたサヒタリオの顔を震える手で撫でる。

 状況を考えるとマルテが真っ先に疑われても不思議はない。だが、夫人にはマルテを疑う様子はなかった。夫人の純粋な人柄にマルテは救われた。


「刺客がやって来たんです。サヒタリオさんは命を狙われてたんです」


 そんな夫人が悲しみに暮れている。居たたまれない気持ちがマルテを苛む。夫人の瞳から涙がぽつりぽつりと零れる。マルテもそこに膝をついた。


「サヒタリオさんがかつてどんなことをなされていたか、ご存じでしたか?」


 夫人はゆっくりとかぶりを振った。


「主人は寡黙な人でした。自分のことはあまり語ることがなく、かつて西部統一のために戦っていたという話しか聞いたことはありません」


 夫人は濡れたままのサヒタリオの髪を撫でながら答える。


「ただ、単に兵士として戦っていたわけじゃないということは薄々気付いてました」


 ひとつ屋根の下で暮らしていれば、黙っていても気付くことだってあるのだろう。マルテはうなずいた。夫人は続ける。


「人に話したくないような過去もあるんじゃないかと思ってました。それに、あまり笑わない人でもありました。メルクリオを抱いても笑うことはありませんでした。だから、普通の人じゃないんだろうなって。優しかったし、気遣いもある人でしたけど、私との生活が楽しかったのかどうか、最後まで分からなかった」


 マルテは言葉が出なかった。きっと楽しかったと思いますと言えればどれだけ楽だろう。だが、サヒタリオは結局、家族で暮らす生活を楽しんでいたわけではなかった。


「主人のこと、何かご存じでしたか?」


 今度は夫人がマルテに問う。


「そこまで詳しくは知りません。ただ、後に命を狙われるような危険なことに携わっていたということくらいしか」


 今、悲しみの縁にいる夫人に、霧の里での出来事を話すことはできない。


「そうですか」


 寂しそうに零すと、夫人が再びさめざめと涙を流し始めた。


「ああ……。まだ幼い子供と、これから一体どうやって生きていけばいいんでしょう」


 マルテはそんな夫人の手を取って強く握りしめる。


「ご主人は西部のためにその人生を捧げたんです。その責任はエストレージャ家にあります。だから、あなたたちの生活は、エストレージャ家が必ずお助けします。だから、必ず、必ず、メルクリオを立派に育てて下さいね!」


 夫人は涙に濡れた顔を上げた。大雨の後に昇った朝日がマルテの背後を照らしている。夫人の目に、マルテが気高く輝いているように映った。


「マルテさん。あなた、一体……」


 マルテは首を振った。


「多くは聞かないで下さい。ですが、私は絶対にあなたを見捨てたりしません。だから、私を信じて下さい」


 今度は夫人の方がマルテの両手を強く握った。


「……ありがとうございます……」


 マルテはサヒタリオを土に埋め墓標を作る手伝いまですると、メルクリオにも別れを告げて山を下りた。来た山道をしばらく降りていったところで、大木に身体を預けて休んでいるティエラを見つけた。見た目には山にうち捨てられた人形にしか映らず、ティエラだとわかっていながら、振り向かれたときにドキリとした。

 マルテが近づくと、ティエラは無造作に残った左腕を挙げた。マルテはそこに肩を差し入れてティエラの体を起こす。ティエラはマルテの半身を支えにして、足首のない足で跳ねるように器用に歩き始めた。


「サヒタリオの遺灰を諦めたのは残念だけど、こうやってマルテが献身的に支えてくれるなら悪くはないかな」


 ティエラの口から珍しく軽口のような言葉が零れる。


「力仕事はそんなに得意じゃないから、あんまり頼りにされると困るんだけど」


 マルテは眉根を寄せる。こうして気兼ねなく言葉をやり取りしていると、同世代の友人と一緒にいるようにしか感じない。いや、事実そうなのだろう。結局、ティエラの本質はマルテと同世代の少女のままなのだ。


「マルテ、なんで笑ってるの?」

「え?」


 気づかないうちにマルテの表情はほころんでいた。まるで友人とふたりで旅をしているような気がしたからだ。だが、その微笑みはすぐに露と消えた。これはティエラの復讐の旅であり、マルテにとってはそれを止める旅なのだ。


「そんなことより、ティエラはこのまま旅を続ける気? こんなにボロボロで大丈夫?」

「大丈夫じゃない。だから、ティフォン城へ向かう前に、オリージャへ向かうよ。セルピエンテ川沿いにある町だ」

「なんでそんなところに?」

「そこに私の体の部品があるからだよ。つべこべ言わずに私を運んで」


 横柄なティエラの態度にマルテは憮然とした。

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