嵐の中の死闘

 サヒタリオはティエラを狙撃するつもりなのだ。だが、この暗闇の中ではいかなる方法でも、本来の狙撃よりも精度が落ちる。もし、ティエラの近くにいれば、万が一にも流れ弾で大怪我、あるいは命を落とす可能性だってあり得る。

 マルテは静かに距離を取った。すでにその距離でティエラの姿はまともに見えない。

 そのとき、突然、カッと稲光が瞬いた。その雷光が一瞬だけ辺りの輪郭を宵闇の中に浮かび上がらせた。その瞬間だった。

 雨粒のベールをクロスボウの矢が貫いた。真っ直ぐに飛んだそれはティエラの無事な右腕の肘を内側から穿った。肘関節の部品が砕け散って、刃を握った右前腕が吹き飛ぶ。

 雷光は一瞬である。すでに暗闇に戻った中でマルテには何かが弾けた音しかわからなかった。だが、それがティエラの体のどこかが砕けた音だというのはわかった。


「ティエラ!」


 マルテの声が遅れて轟く雷鳴に混じった。


「大丈夫。まだやられてない」


 ティエラが声を返す。視界の利かない中で自分の無事を伝えるのは声しかない。


「まさか、雷に合わせて撃ってくるなんてね。敵ながらさすがだよ」


 マルテは戦慄した。サヒタリオは暗闇のどこかに潜み、雷光が瞬くほんのわずかな時間でティエラの位置を確認して、そこを狙撃しているのだ。しかも確実にティエラに当てる正確性で。神業としか言えない腕前だ。

 ティエラは剣を拾い上げた。無事な右腕が落ちた今、指が三本しか残っていない左手に武器を握らざるを得ない。だが、目下、問題となるのは、いかにしてサヒタリオに近づくかだ。

 ティエラは狙撃の方向からあらかたの位置を推測し、そちらの方へと進み始めた。


 再び、雷光が瞬いた。


 次の一瞬に矢が暗闇を引き裂く。ティエラは雷光とほぼ同時にとっさに身を伏せていた。今度の矢はティエラの頭上を掠めただけで、外壁に突き刺さった。

 ティエラが足を止めた。矢の飛んできた位置が先ほどと変わっていたのだ。サヒタリオはクロスボウを撃った後、位置を特定されないように場所を変えている。今、矢の飛んできた方向へ近づいてもすでにそこにサヒタリオはいないだろう。ティエラが体の向きを変える。

 すると、今度は次の雷光を待たず、即座に三本目の矢が放たれた。サヒタリオはティエラが立ち止まることも想定していたのだ。ティエラの右膝が吹き飛んだ。すでに半分削げ落ちていた右大腿部を残し、右脚はそこから下を失った。ティエラは倒れ込み、バシャリと飛沫が上がる。


「ティエラ!」


 マルテが駆け出す。


「来ないで!」


 ティエラが叫び、マルテは凍ったように足を止めた。三本目の矢も命中し、ティエラは動けない。この機会をサヒタリオが逃すはずはない。近づけばマルテにも危険が及ぶ。他者が近くにいるからといって躊躇するサヒタリオではないのだ。

 サヒタリオは時間をかけなかった。四本目の矢は無慈悲に放たれた。サヒタリオは二度の射撃によって見えずともティエラの正確な位置を掴んでいる。

 矢は不自由な片足となって立ち上がるのも困難なティエラの片目を貫いた。そこは目玉を失った空洞の眼窩であり、矢は頭部を貫いて後頭部を吹き飛ばした。正面からの狙撃。ティエラはその方向に向かおうと体を傾けた。だが、そのままついに地に伏した。無数の雨粒が倒れ込んだティエラの木製の体を打つ。ひとつの魂の終焉を嘆いているかのように。


「ティエラーッ!」


 マルテは音のした方に駆け出した。ティエラの声はない。辺りを下がるように歩き回り、その足元に固いものが当たってようやくマルテはティエラを見つけた。ボロボロの体は泥化した大地を抱くようにうつ伏せで、破壊された頭部を地面で隠すように横を向いて倒れている。無事に残った瞳はもう何も見ていない。


「ティエラッ!」


 マルテは乱暴にティエラの体を揺さぶった。しかし、反応はなかった。ティエラはもはや人間大のゴミだ。


 だが、最初に胸を射抜かれたときもティエラはまったく反応を示さなかった。マルテが崖に引き摺って渓流に落としてもなお、目を覚ますことはなかった。しかし、その後にこうしてここまで戻ってきている。本当にこれでティエラの魂は消えたのか。損傷の程度でティエラの無事を推し量ることは、果たしてできるのだろうか。


「結局、キミはどっちの味方なんだ?」


 ようやく暗闇からサヒタリオが姿を現した。

 マルテはハッとしてそちらを振り向いた。だが、なにより驚いたのは、あれだけティエラを止めようと思っていた自分が、ここまでティエラの身を心配していたことだ。もはや、マルテは自分に嘘を吐けなくなっていた。この数日旅の間で、復讐の阻止以上に、ティエラに情を抱いてしまっている。


「どけ」


 サヒタリオが固まったマルテをクロスボウで押しやった。まだ動くのならば、確実にとどめを刺さなくてはならないのだ。


「もう、たぶん、ティエラは本当に動きません」

「キミの言うことは信用できんな」


 サヒタリオがクロスボウでティエラをつつく。反応はない。

 右腕は肘から下を失っており、左腕は指が二本ない。足もやはり右は膝から先を失っていて、左は足首から先がない。よしんばまだ動けたとして、この状態からティエラに勝機が見つかるとも思えなかった。


「本来なら、燃やしてしまうのがもっとも安全な方法だろう」


 サヒタリオは落ちていたティエラの剣を拾った。


「だが、この雨じゃあな」


 サヒタリオは舌打ちしながら空を見上げた。


「まあいい。おかげでこいつを始末できたようなものだ。せめて首だけでも落としておこう。明日を待って燃やす」


 サヒタリオはティエラの背中を踏みつけて、剣を構えた。


 そのときだ。


 突然、ティエラの首がぐるりと回り、踏みつけるサヒタリオを見上げた。人間では考えられないが、首が真後ろを向いている状態だ。さすがのサヒタリオも僅かに瞠目したが、それでも躊躇は一瞬、素早く剣を振り抜いた。だが、今度はティエラの肘から下を失くした腕がぐるりと回り、剣と交差した。軌道の狂った刃が濡れた空を切る。そして、左脚が螺旋を描いてサヒタリオの足に絡みつき、膝下から先を失った右脚がもう片方の足を払った。


「なんだと!」


 サヒタリオが思わず呻いた。

 足元はひどいぬかるみである。サヒタリオは容易く足を滑らせて後ろ向きに倒れ込んだ。体を跳ね上げたティエラがサヒタリオの腹の上に乗り上げた。

 胸に空いた穴から何かが零れ落ちた。それはクロスボウの矢だった。最初にティエラの胸を貫いた一本だ。ティエラは穴の開いた胸の中にそれを隠し持っていたのだ。それを三本指の手にしっかりと握る。


「終わりだ。サヒタリオ」


 懺悔はもちろん、悪態を吐く間も与えなかった。ティエラはサヒタリオの喉元にその矢を深く突き立てた。

 喉でごぼごぼと血の溢れる音がして、サヒタリオがもがく。ティエラはまるでその痙攣を押さえ込むかのように、自身の体重すべてをその矢の一本に預けた。

 サヒタリオの体が痙攣して、やがてゆっくりと力を失いこと切れた。クロスボウが手から落ち、目から光が失われた。雨が溢れた血を洗い流していく。

 サヒタリオが死んでもしばらくティエラはそのままだった。一部始終を見守ったマルテもしばらくは茫然とその様子を眺めていて、やがてそこにへたり込んだ。

 どれだけの時間そうしていたのか、あれだけ振っていた雨はいつの間にか嘘のように止んでいて、空にはうっすらの朝の気配が滲み始めていた。

 マルテはサヒタリオの頬に手を触れた。


「ごめんなさい」


 口からぽろりと言葉が零れる。サヒタリオはいっときの宿を与えてくれた。わずかだがクロスボウの扱い方も教えてくれた。だが、マルテは最後にはティエラを選んだのだ。

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