温かな食卓

 的の隣の畑の前でふたりは横に並んで立った。万が一夫人が窓からふたりの背中を見ても、畑のことを話しているようにしか見えないだろう。


「さて、どういうことなのか詳しく聞かせてもらおうか」


 サヒタリオが切り出すと、マルテは野党に襲われて闇市の商品になりかけたこと、そこで自ら動く人形ティエラと出会ったこと、そしてなによりティエラが過去に起こった悲劇の復讐に燃えていることを順序立てて話した。もちろん、マルテが復讐を止めるために敢えてティエラに同行していたこともだ。

 マルテが話し終わっても、サヒタリオはしばらく遠くの景色に目をやっていた。夕日がゆっくりと沈んでいく。


「霧の里の降霊術師は、あの時、みな死に絶えたはずだった」


 ボソボソと相変わらずの口調だ。


「だから、人形を連れた女がいるという話を聞いたときは、我が耳を疑ったし、実際にキミたちを見たときには生き残りがいたことに驚いた。だが、その話を聞いて腑に落ちた。やはり霧の里の住人は、あのときすべて死んでいたんだと」

「やっぱり、私たちが旅をしていることを知ってたんですね」

「注意勧告する手紙が送られてきた。すでに三人が失われていることも知ってる。否が応でも気付くというものだ」


 やはり待ち伏せされていたのだ。ここでティエラの命運が尽きたのも必然と言える。そして、マルテは自身が生き残れたことに改めて安堵した。


「私の話を信じてくれてありがとうございます」

「キミが霧の里の生き残りであっても生かして話を聞くつもりだった。だが、ひと目見てキミは若過ぎると思った。霧の里が燃えたのは二十年も前のことだ。キミの年齢はどう見てもそこまで達していない。よしんば、生き残りがいて、後に生まれた子が先祖の復讐を果たしに来たという可能性もないとは言い切れないが、キミが自ら人形を崖に叩き落したのを見て、キミは里とは無関係だろうと判断した」


 マルテはいままで死者からしか霧の里の話を聞いていない。今は生きた証人から当時の話を聞ける機会だった。


「霧の里で行われたことは本当だったんですか?」

「ああ。本当だ」


 サヒタリオは淀みなく答えた。事実と認めて肯定することに何の躊躇も見せない。


「私、サヒタリオさんからそんな恐ろしい印象は受けません。もちろん、ティエラが矢で射られたときは恐ろしかったですけど、お茶をご馳走してくれたり、こうしてお話してくれる様子からすると、そんなに怖いことをする人とは思えません」

「根が恐ろしい人間だから恐ろしいことをするわけじゃない」


 サヒタリオは首を振った。


「必要があったからやった。私の場合はそれが上から与えられた命令だっただけのことだ」

「そうやって割り切れるんですね」


 マルテは家の方を振り返る。サヒタリオには若い妻がいて、まだ幼い娘までいる。


「里には若い女性だけじゃなく幼い子もいたと思います。それもみな人形と一緒に燃えたんですよね?」


 マルテはいつの間にかサヒタリオを責めるような物言いになっていることに気づき、思わず口を押さえた。霧の里とは無関係のはずなのに、これでは復讐をしに来た人間の心理そのものだ。


「女子供の命をいくらも奪っておいてよく家族を持てるなと、そう思うか?」


 サヒタリオがマルテを見据える。ついさっきは恐ろしい印象を受けないと言ったばかりのマルテだったが、サヒタリオに見据えられてようやく気付いた。深い沼のような目だった。リブラやタウロと同じように、多くの血生臭い所業を行ってきた人間の目だ。その目の中で、映り込んだ自分の姿が沈んでいくような気がした。マルテはまるで蛇に睨まれた蛙のように硬直した。やっとのことでかぶりを振る。だが、マルテ自身がそこで気付いた。本心では、サヒタリオの言った通りであることに。


「たしかに私は荒れたあの時代に、多くの人間の命を奪ってきた。多くの人間の幸せを摘み取ってきたというのならその通りだろう。だが、そんな私だってひとりの人間だ。ならば平等に幸せになる権利があるんじゃないのか」


 サヒタリオは淡々と言葉を紡ぐ。だが、マルテの耳には自分勝手な物言いにしか聞こえず、まるで響いてこなかった。


「だから、この誰もいない山の天辺で奥さんとお子さんと暮らして、幸せな生活を築いたというんですか?」


 意識せずマルテの言葉に棘が生じる。マルテはこれまでの旅の中で、当事者のティエラから霧の里が受けた辛苦を聞いてしまっていた。サヒタリオを含むオスクリダドが行ってきたことが必要悪ならば、平和になった今こそ、その過去を省み、懺悔する気持ちを持っていて欲しかった。家族を持ち穏やかな生活を手にしているサヒタリオならなおさらだ。


「幸せという形のないものがどういうものなのか、はっきりとはわからない。だから、私はやってみることにした。妻を娶り、子を作り、平穏な場所で暮らしてみる。どうやらこれが人の言う幸せというものらしい」


 マルテは一瞬、我が耳を疑った。


「え? ご自分では幸せとは思わないのですか?」


 サヒタリオは感情のほとんど感じられない目でマルテを見た。マルテは背筋が凍るような気がした。人間がする目とは思えない。中に何も入っていない作り物のような目だ。これならティエラの方がよっぽどか人間の目をしている。


「そうさな。幸せだと言われることを、そういうものかと享受するだけだ」


 マルテは絶句してしまった。そう感じていること自体も衝撃だが、それを臆面もなく言葉にしてしまうことがまた恐ろしかった。サヒタリオは本当に幸せが何なのかを理解していないのだ。そんな人間が他人の幸せなんて理解するわけがない。過去、オスクリダドで多くの人間を手にかけているというのなら、それも無感情に平気でやってきたに違いない。

 闇市の元締めをやっていたリブラも常人の感覚は持っていなかったろう。自ら進んで半牛半人となったタウロはもってのほかだ。だが、結局のところ、このサヒタリオだってまともな人間ではない。間違いなく異常者なのだ。


 ふたりの会話は突然終わり、長い沈黙へ変わった。空にしがみついていた夕日が地平線へ溶け、ゆっくりと夜が落ちてくる。


「夕食が出来ましたよ」


 外に顔を出した夫人がふたりを呼んだ。温かなその声が凍った時間を溶かした。


「さぁ、食事にしようか。今日は疲れたろう」


 労いの言葉をかけながらサヒタリオが先に家へと戻っていく。果たしてサヒタリオはどんな気持ちでその言葉をかけたのか。マルテはその背中を怪訝そうな目で見つめた。


「空気が湿ってる。夜あたりに一雨きそうだな」


 サヒタリオは屋根の下へ入る前にふと空を振り返って呟いた。


 食卓には、豪勢とは言えないが、立派な料理がずらりと並べられていた。小麦の香りの立つ焼きたてのパン。湯気の立ち昇る野菜を煮込んだスープ。香草と一緒に焼いた塩漬け肉。どれもマルテを客としてもてなす料理だ。


「さ、マルテさん。座って下さい。食べましょう」


 夫人がにこりと笑う。突然迷い込むように山に現れた人間に、まさかこれだけの食事を用意してくれるなんて思わなかった。


「ありがとうございます」


 マルテは深く頭を下げ席に着く。まずは手にしたスプーンをスープに差し込む。火傷しないよう静かにすする。あっさりした塩味に野菜の甘味が溶け込んだ優しい味わいだ。


「お、おいしいです」


 マルテが言うと夫人はサヒタリオにも微笑みかけて、パンの乗った皿を差し出してくれた。手に取ったパンを千切って口に放り込む。塩漬け肉もフォークとナイフを使って行儀よく切り分けて口に運ぶ。夫人の思いやりのこもった料理に舌鼓を打つ。

 旅の道中も、闇市で回収した金があったため、食べ物には困らなかった。だが、夫人の手調理の味は別格だった。家庭料理の温かみは、旅籠の食堂では決して味わえないものだった。

 マルテは突然、自分の暮らした家の食卓を思い出した。商家の娘として年かさの両親とともに暮らし、毎日当たり前のように不自由のない食事をしていた。だが、数日前、それを一瞬にして失った。そこから、わけもわからないままこの数日を駆け抜けた。正気を保っていられたのは、謎の人形と行動を共にし、現状を忘れるほど気を張っていたからだ。

 それが、平和な家庭のぬくもりに触れた。途端にマルテの中で何かが決壊した。自分を疑うほど、両の瞳からぼろぼろと涙を零していた。


「マルテさん?」


 肉を頬張りながら頬に涙の川を作る少女を見て、夫人が心配そうに眉根を寄せる。狼狽しながら夫人は涙を拭うための清潔そうな布を差し出した。


「ごめんなさい。実は、この数日いろいろ辛いことがあって。美味しいごはんを食べたら、急に涙が出ちゃって」


 マルテは鼻をすすりながら必死に言葉を紡ぐ。


「いいんですよ。ここは安全だから。ゆっくり食べて、今日はゆっくり休んで下さい」


 夫人の優しさにまた涙が溢れた。もう自分でも止められない。マルテは泣きながら夕食を頬張った。

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