孤高の狙撃手

山中の隠者

 マルテとティエラは山の中の道なき道を歩いていた。生物ではないティエラの体力は無尽蔵で、その健脚はこの山道でこそ際立った。一方のマルテはすでにヘトヘトだった。裕福な商家で大事に育てられたマルテは体力に優れた方ではない。目的の家屋もまるで見えていないのに、いつへたり込んでしまっても不思議ではない状況だ。

 ティエラはそんなマルテの手を引っ張りながら先行する。マルテは頼もしいティエラの背中に喘ぎ混じりの声を投げた。


「本当にこんなところに人が住んでるの?」


 まるで諦めようと言わんばかりの口調だ。


「麓の集落の人も言ってたじゃない。山を登ったところに人が住んでるって」


 ティエラは行く道を見据えたまま答える。

 ティエラが次の標的に選んだサヒタリオは、王国西部の北方、アルコ山地の山奥に住んでいるという話だった。そこは西部の北の境であり、山地を越えれば北部総督の治める土地となる。そんな領内最北端の山奥にサヒタリオは妻子と共に、まるで隠者のように暮らしているのだ。しかし、遺灰になったオスクリダドの三人は、その元同僚が山地のどこに居を構えているのか詳しい場所は知らず、とにかくふたりは山を登って探すしかなかった。

 山道はきつい傾斜が続く。足が疲労で震えそうになるたび、麓の集落で聞いた、たしかに住んでいるという証言が、マルテの細い希望の光として明滅した。


「ね、ねぇ、ちょっと休憩しない?」


 しかし、さすがに体力には限界がある。ついにマルテは足を止めた。


「また? さっきも言ってたけど」

「休憩の時間が短すぎるよ。全然、回復しないし」


 マルテはついにへたり込んだ。崖下を流れる渓流の音が聞こえる。山がマルテの不甲斐なさをあざ笑っているように聞こえて半べそになる。ティエラは腰に手を当ててそんなマルテを見下ろす。言うことを聞かない子供を見るような目だ。マルテは足手まといと思われているんだろうと思ったが、実際足手まとい以外の何者でもない。マルテさえいなければティエラはさっさと山奥の家を探し出して、目的を完遂しているに違いないのだ。ティエラからすればマルテを連れて歩く必要もないのだが、なぜかマルテを放っておかなかった。


 その時だ。突然ティエラが固く鋭い音を発して、仰向けになって倒れ込んだ。


「え? ティエラ?」


 人形にも活動限界があるのか。マルテは不思議そうに倒れたティエラに目を向ける。そして驚きに息が止まりかけた。ティエラの胸から一本の矢が突き出している。固い音は矢が突き刺さった音だったのだ。


「ティエラ!」


 思わずその矢を握る。しっかりと深くティエラの胸に埋まっており、マルテの力では到底抜けない。刺さったところから木目に沿った亀裂が伸びている。矢は太く短く、いわゆるクロスボウと呼ばれる種類の弓で使われる矢だった。

 ティエラは虚ろな目で空を見上げたまま微動だにしない。頬を叩いても肩をゆすっても動かない。あれだけ意志の籠った瞳も、今はただのガラスの球だ。胸に矢を受けた衝撃で魂が抜けた。そう考える以外になかった。まさか、あの半牛半人の怪人タウロすら圧倒したティエラが、こんな矢一本で倒されるとは、マルテは夢にも思わなかった。


 驚きで思わず茫然としていたマルテだが、すぐに自身も危ないことに思い至り、疲労した体に鞭を打って立ち上がった。何者が矢を射ってきているのか分からないが、早くここから逃げなければ。マルテが駆け出そうとすると、その前を高速で何かが横切り、その行く手を阻んだ。腰が抜けてマルテは尻もちをついて転がる。傍にそそり立つ木の幹にティエラに刺さったものと同じ矢が深々と刺さっている。


「た、助けて……」


 しかし、疲労に加えて、恐怖と焦燥に苛まれた体は言うことを聞かず、もはやマルテは立ち上がって駆け出すことができなくなっていた。もがくように地面を這って木陰に身を寄せるのが精いっぱいだった。

 木の影で息を潜める。しかし、そんな子供だましのかくれんぼが通用するはずもなかった。じきに草を踏みしめながら近づく音が聞こえ、マルテは震えながら振り返った。そこにひとり長身の男が立っている。無造作に伸びた髪を後頭部で括っており、髪留めで留め切れなかった前髪が目元まで垂れている。手にはやはりクロスボウをぶら下げていた。


「女子ふたり組の旅人がいると聞いた。信じがたいことにその片割れは動く人形だという」


 男が足元に目をやる。そこには依然、動きを止めたティエラが横たわっている。


「そんな奇妙なふたり組、そう多くはあるまい。おまえたちで間違いないな」


 マルテは息を飲んだ。この男こそティエラが次の標的に選んでいたサヒタリオに違いない。そして、どういうわけかティエラがやってくることを知っていて、先に迎え撃ったというわけだ。マルテの背筋に冷たいものが走る。マルテだけがこのまま無事に帰してもらえるはずがない。

 マルテは当初の目的を思い出した。そもそもティエラを止めるために旅を共にしていたのではないか。なぜこんなところでティエラと共に星になる必要があるのだろう。


「とどめを刺さなきゃ!」


 マルテはとっさの判断で男に向かって叫ぶと、突然、ティエラの体を力任せに引っ張った。マルテの突然の行動に、男は垂れた前髪の奥で瞠目した。マルテは男の反応もお構いなしに、ティエラの体を引き摺り、叫び声を上げながら、急な傾斜に突き落とした。胸から矢を生やした人形が草の上を滑り、断崖を転がり落ちていく。突き立った岩肌に容赦なくぶつかりながら、最後には崖下の渓流へ飲み込まれていった。

 その様子を見届けたら、マルテは肩で息をしながら男を振り返った。


「こ、これで倒したはず……」

「どういうことだ?」


 男の鋭い眼光が疑わしげにマルテを舐める。


「あの人形は人の命を奪って回る狂った人形なんです。私は、拉致されて持ち主役をさせられていたんです」


 マルテは男の信用を得るために嘘の関係をでっち上げた。生き残るには仲間と思われてはいけない。男は精査するようにマルテを見つめる。緊張にこわばったまま男の反応を待っていると、男はクロスボウを収めて小さくあごをしゃくった。


「付いて来い。詳しい話を聞かせてもらおう」


 ひとまず命は拾った。マルテはホッと安堵して男に付いて山を登った。


「さっき、人形に脅されて同行していると言ったな。一体、どういうことだ?」


 道中、後ろを振り向かずに男が問いかける。マルテは答えようとしたが、疲労にぜいぜいと激しい息遣いが出るばかりで言葉が出てこなかった。


「いや、いい。後にしよう」


 その様子を見かけて男はゆるく首を振る。


「ご、ごめんなさい。私、マルテっていいます」

「サヒタリオだ」


 男が短く名乗った。やはり、ティエラが標的にしていた人物だった。

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