牛頭の魔人

 青々としたエルマノス平原には、牧歌的な風景に不釣り合いの物々しい天幕村ができていた。天幕の布地にはすべて、横に倒した三日月と円を上下に組み合わせたシンボルが茶色い塗料によって雑に描かれている。金牛傭兵団を表す牛を模したシンボルマークだ。天幕村は小規模だが異様な存在感を漂わせている。

 天幕村中央、ひときわ大きな天幕の中に、剣を履いたざんばら頭の男が入っていき、天幕内に座す巨大な影の前にかしずいた。


「首領。なにやら旅芸人がうちに尋ねて来てるみたいなんですが」


 首領と呼ばれた大きな人影は、皿に盛られた葡萄を房ごと口に放り込んで咀嚼する。口端からこぼれた果汁が滴り落ちて、服に染みを作った。


「ああん? 旅芸人が傭兵に何の用事があるってんだ?」

「はぁ。なんでも、各地を慰労で回っているそうです。年端もいかん娘ですよ」

「旅芸人な。何ができることやら。まぁいい。入れてやれ」


 ざんばら頭が天幕の外へ出て、その女子を連れて再び入ってきた。マルテである。マルテは天幕に入るや否や、首領の大男の姿にすくみ上った。

 テーブルと見紛う大きな椅子に腰を据えた男は、体が巨大なだけではなく、首から上が双角の牛頭だったのである。それだけではなく、足先も偶蹄類の蹄だった。人間ではない。物語に出てくる怪物だ。これが金牛傭兵団の首領タウロなのだった。

 驚愕と恐怖で立ちすくんでいると、ざんばら頭の男が顔に似合わない優しい手つきでマルテの背中を撫でた。


「はっはっは。黙っててごめんよ。驚くのも無理はねぇな。首領は牛人間なんだよ」


 そんなこと、ティエラは一言も言っていなかった。こんな驚くようなことなら言ってくれていてもいいのに。いや、こちらから何も聞かなかったから敢えて何か言うこともしなかったのだろう。勝手について来た女子に、わざわざ自身の復讐のことを詳らかにする必要などないのだ。


「人、ではないのですか?」


 マルテは思わずそう言って、ハッとして口を閉じた。目の前の怪物の気分を害したら、どうなるかわかったものではない。しかし、タウロは落ち着いた様子で皿に盛られた色とりどりの果物を難しい顔で吟味した後、おもむろに林檎を選び取って口へ放り込んだ。

「俺は人間だ。禁断の外科手術によって牛と融合したのだ」

「き、禁断の外科手術……?」

「外法だ」

 マルテは絶句している。

「牛はいい。二本の角、たくましい肉体。俺は牛こそこの地上でもっとも強く美しい生き物だと思っている。だから牛になるべきだと思ったんだ」


 そこまで言うと、タウロは急に自分の話に興味を失ったように手を振る。


「まあ、そんなことはどうでもいい。俺の話を聞きたくてここに来たわけじゃないだろう。なぁ、娘。おまえ、旅芸人だそうだな。何ができるんだ?」

「あ、はい。人形芝居を少々」


 マルテはタウロの異様な風貌に本来の目的を忘れるところだった。

 ティエラの立てた算段では、夕食の酒盛りの時間に人形芝居と称して踊りを披露し、油断したところでタウロの首を獲るということになっていた。そのためには、まず傭兵団に取り入らなくてはならない。その役目をマルテが任された。それが霧の里の話をする代わりに交わしたティエラとの約束だった。


「肝心の人形はどこにある?」

「天幕の外に置いてあります」


 緊張しながらも、不自然にならないよう落ち着いてマルテが答える。タウロはざんばら頭に視線をやった。天幕の外へ出たざんばら頭が、ティエラを抱えながら再び入って来た。


「こいつですね。胸はねぇが、女なんですかね。等身大の人形ですわ」


 本当ならあの人形に性別はない。だが、ティエラの魂が宿っているからか、どちらかというと女性に見える印象だ。

 タウロが前のめりになってマルテとティエラを見比べる。牛頭が間近に見える。巨大な体躯の牛人間。人間の体に不自然に牛の頭が乗っているというわけでもない。体は全身黒い毛に覆われているが、その体毛の下には縫合痕があるのだろうか。マルテは眉間にしわを寄せた。禁断の外科手術とはどれほど摩訶不思議な技術なのだろう。


「娘、お前と同じくらいの大きさじゃないか。一体、どうやって操るんだ?」


 タウロの鼻息がマルテに吹き付ける。マルテは思わず顔を背けそうになるのを我慢した。


「中は複雑なからくりになってまして、そのからくりにあらかじめ決めておいた動きを仕込んでおくんです。そうすると自動で仕込み通りに動きます。百聞は一見にしかず。実際にここでお見せしましょうか?」


 マルテは大嘘がバレないよう努めて平静を装い、それらしい適当な話をでっち上げる。我ながら流暢な説明だった。それを聞いてざんばら頭がティエラの体のパーツの隙間に指を突っ込んで中を覗こうとする。マルテは唾を飲み込んだ。ティエラの体の中には、複雑なからくりなどではなく、遺灰の瓶や武器が収納してある。


「せ、繊細な人形ですので、あまり弄らないでもらってもいいですか?」


 タウロも片手を振ってざんばら頭の行動を無言で制した。


「面白そうだ。しかし、ここで先に見てしまうと興が削がれてしまうな。いいだろう。楽しみは後で取っておこう」


 タウロが宴での披露に許可を出した。マルテはひとまずホッと安堵する。これでティエラとの約束は果たした。だが、マルテには個人的にまだやることが残っていた。

 ざんばら頭がティエラを抱えて天幕の外へ行くのを見計らって、マルテは再びタウロへ目を向けた。先ほどよりも真剣な目だ。マルテにとってはこちらの方が本題なのである。


「あ、あの。実はもうひとつお伝えしたいことが」


 マルテがことさらに緊張した面持ちを浮かべる。心臓が早鐘のように打ち、手の内がじっとりと汗をかいた。


「なんだ? 言ってみろ」


 タウロがあごをしゃくると、マルテは背後を気にしながらタウロにさらに少し近づいた。


「実は、あの人形には怨霊が宿っているのです。私は人形に脅されて人形師の振りをさせられているのです。あの人形は人の命を奪う人形なのです。あなたはあの人形に命を狙われています」


 言った。マルテの心臓は今にも胸を突き破って出て来そうなほど激しく鼓動している。タウロが唸りながら鼻息を吐いた。まさに猛牛だ。


「わからんな。なぜ、俺が人形ごときに命を狙われねばならんのだ」

「それはもしかすると傭兵様の方がご存じなのかも知れません」

「俺に人形の知り合いはおらんぞ」


 タウロはまた鼻を鳴らす。


「あの人形はシリオ・エストレージャ公のお命も奪うと言っていました。心当たりはありませんか? 公は西部総督となって王国西部に平和をもたらした方です。狂った人形なんかに命を奪われていい方ではありません」

「シリオ公の命だと?」

「あの人形はシリオ公のお命を奪うまで私を利用するつもりです。ですが、私だって凶行の手伝いなんてしたくありません。どうか、あの人形を止めて頂けないでしょうか。よろしくお願いします」


 マルテは深く低頭した。

 ティエラが夜襲を狙っているのは、標的が屈強な傭兵団だからだろう。リブラは闇市の元締めであり、そこにいる悪漢たちは荒事こそするものの、生粋の戦闘者たちではなかった。しかし、今回は違う。傭兵団がティエラの奇襲に気付いていれば、あのティエラでさえ手を焼くはずだ。これはティエラの凶行を止める絶好の機会に違いない。


「それで、俺に人形を破壊しろと言うわけか」


 タウロは巨大な大腿四頭筋を膨らませながら、ゆっくりと立ち上がった。ざんばら頭が天幕の中に戻ってくるや否や、そちらに目を向けた。


「捕えろ」


 タウロの一言で、マルテの体に背後からするりと縄がかけられた。ざんばら頭の鮮やかな手練である。逃げる間も与えられず、瞬く間にマルテの自由が奪われた。


「ど、どうして!」


 マルテは声を上げることしかできない。


「不審な点が多すぎる。なぜひとりで旅をしているのか。なぜ俺の命の心配をするのか。それに人形が人の命を奪う? そもそも勝手に人形が動くだと? お前の本当の目的が何なのか一向にわからん」

「で、ですから! あの人形があなたの命を狙っていてっ!」


 タウロはもはや取り合わないといった様子で首を振った。


「俺は戦うのが好きだ。半面、頭を使うのは好きじゃない。お前の言動はいちいち不可解で信用ができん。だから捕えておく。詳しい話は後でじっくり聞かせてもらう」


 まったく信用されていなかった。マルテは絶望の縁に立たされた。この手の連中がのんびりとお茶を飲みながら話をするはずがない。このあとマルテに待っているのは尋問、それも拷問を伴うものに違いない。これならまだ闇市で誰かに買われた方がマシだったかも知れない。


「お願いです! 私は無関係なんです! 助けて下さい!」


 マルテは無謀と思いながらも身じろぎした。すると、意外にも縄はきつく縛られておらず、すぐに体の自由が戻った。不思議に思って背後を振り返る。そこには首から上を失くしたざんばら頭が、ぴゅーぴゅー血を噴いていた。


「闇討ちを仕掛ければタウロだけで済んだのに。余計な星屑が増えちゃった」

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