黎明の降霊術

 井戸の底のような深夜の暗闇の中で、青白い炎が煌々と燃えていた。焼かれているのはリブラの亡骸だった。死体を遺灰にするために、儀式めいたまじないの言葉とともに、特別な薬品を使って燃やされていた。

 マルテは簡素な布を布団代わりに横になっていたが、人と薬品が燃える匂いが鼻につき、まともに眠れる気がしなかった。マルテは寝転んだまま、火の番をしているティエラに声をかけた。どうせ眠れないのなら、この奇妙な人形のことも知ろうとしたほうがいい。世にも珍しい自ら意思を持って動く人形なのだ。


「ねぇ、ティエラは依り代人形だって言ってたよね?」


 ティエラは炎を見つめたまま簡潔に返事をしただけだった。マルテはティエラとリブラの会話の内容を思い返した。切羽詰まった状況だったから一言一句を正確に思い出すことはできないが、会話の内容と印象的な単語ははっきりと覚えている。


「魂を降霊させる人形だって言ってた。それに、自分の魂を降霊させたってことも」


 マルテだってこれまでたくさん人形を見てきた。家は商売をやっていて金もあったから自分の人形も持っていた。しかし、それは机の上に座るくらいの大きさのものだ。自ら動く等身大の人形など見たことがなかった。それが死者の魂を宿して動く人形となればなおさらだ。こうして実際に動いているところを目の当たりにしても、にわかには信じがたい。


「信じられないのも無理ないね。降霊術は二十年も前に王国から失われたんだから」


 まだ二十歳にもなっていないマルテからすると、生まれる前の話だ。そんな昔のことがティエラの復讐の源になっているらしい。


「二十年前に何があったの?」


 そう問うたマルテをティエラは一瞥した。その冷たい目にマルテの身が強張った。不用意な質問だった可能性がある。人形は得体が知れない。洞窟では見逃されたものの、ずっとそうとは限らない。だが、それは単なる杞憂だった。


「西方の辺境にある霧の里っていう小さな里が焼かれたんだよ」


 ティエラは目の前の炎から空に目を向けた。漆黒の空では宝石箱のように星々が煌めいている。


「霧の里では、故人の遺灰を使って依り代人形に魂を降ろす降霊術を伝えてた。そんな降霊術師の里だったんだ」

「もしかして、ティエラもその里の降霊術師だったの?」

「そう。一人前の降霊術師として認めてもらってすぐ、里が炎に包まれてみんな死んだ。当然私もね。人形も一体残らず焼かれた。でも、一体だけかろうじて焼け残ったんだ。それは私の遺灰を沢山浴びてて、私の魂だけは星にならずにその人形に留まった」


 ティエラは胸部の隙間から小瓶を取り出した。中にはやはり遺灰が入っている。


「これは残った私の遺灰」


 マルテはまじまじとその小瓶を見た。魂となっても自分自身の遺灰を持ち歩くというのはどんな気分なのだろう。


「今のその体は、焼け残ったその人形なの?」

「うん。今ではだいぶ改良したけどね。最初はまともに動ける状態じゃなかった」


 マルテは昔を語る人形を静かに眺めた。こうして会話をするぶんには、同世代と話をするのと変わらない。一人前として認めてもらってすぐということだから、ティエラの享年は若い。そこから二十年経っても、ティエラの魂は命を落とした頃のままのようだった。剣を握っているときこそ危険で無慈悲だが、喋っているときの様子は年頃の少女となんら変わらない。エストレージャ公の命を奪おうとしていることも忘れてしまうところだった。


「エストレージャ公の命を狙ってるのはどうしてなの?」

「里を焼いたのがエストレージャ公だからに決まってる」

「エストレージャ公は小さな戦が続いてた王国西部をまとめた立派な人だよ。降霊術の里を焼くなんて到底思えない」


 思わずマルテの口調が強くなる。民からの信頼も厚いエストレージャ公の所業とは思えなかった。よしんば、何かの理由があったとしても、里ひとつを丸ごと焼き払うなど信じられるものではなかった。


「だったら信じなくてもいい。私の復讐にマルテは関係ないんだから」


 そう言われてしまったら、もう返す言葉は見つけられない。会話はまるで友人と口喧嘩をしているような雰囲気で終わった。


 二十年前にあった出来事。その真相はマルテにはまったくわからない。ただ、それが気になったことで、亡骸の焼ける匂いのことは忘れてしまった。あれだけ寝付けなかったはずのマルテはいつの間にか眠りについていた。疲労に身体は逆らえないのだ。ハッと目を開けたときにはうっすらと辺りは明るくなり始めていて、ティエラが真っ黒になった遺体から遺灰を取って小瓶に集めているところだった。

 マルテが身を起こすと、それに気付いたティエラが声をかける。


「まだ寝てていい。私はまだやることがある」

「やること? これから何をやるの?」

「リブラの降霊。次にお星さまにする相手の情報を聞き出すんだ」


 マルテからすぐに眠気が吹き飛んだ。これからティエラが神秘の降霊術を実際に行うというのだ。相手は自分を買おうと値踏みした闇市の元締め。それが再び人形の体を借りて現れると思うと恐ろしい気もしたが、降霊するのはティエラの体だ。危険なことにはなるまい。


「降霊術って見たことない。見ててもいい?」

「邪魔しないでね」


 マルテはうなずき、大人しく腰を下ろした。

 ティエラは亡骸に指を這わせて灰を取ると、自身の額に横に一本、額から鼻筋へ縦に一本、十字を描くように交差させて灰の線を描いた。あぐらをかいて瞑目し、両手を合わせてマルテの耳に聞き慣れない響きの言葉をつぶやく。霧の里に古くから伝わる降霊術のまじないの言葉だ。黎明の空に見える群青と冷たい静謐が神秘の空気を研ぎ澄ませる。急に寒気が走ったマルテが身を震わせる。突然、木々から鳥が一斉に飛び立ち、その音でマルテは両肩を跳ね上げた。やがてティエラの瞼がゆっくりと開いた。

 ティエラが首を鳴らすように頭を傾けた。


「はてさて、これは一体どうしたことやら」

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