地下洞窟、断末魔の宴

「やれっ!」


 依り代人形が動くよりも早く、リブラが怒号を上げた。各々得意の得物を構えた無法者たちが、一斉に人形へ雪崩れた。たとえリブラの手下でなくとも、ここは彼等にとって貴重な売買市場だ。邪魔な闖入者は皆で徹底的に排除する。

 多勢に無勢である。しかし、そこで繰り広げられたのは、無法者たちの血と絶叫による狂乱の宴だった。依り代人形が剣をひと振りすれば、四、五人の男たちが、その身に一斉に真っ赤な大輪を咲かせた。人形は、瞬く間にできた屍の山を登り、続けざまにその剣で死の芸術を描く。瞬く間に洞窟の中が真っ赤な絵の具で塗り潰されていった。

 命を拾ったわずかばかりの無法者たちは、最初にこそ見せた威勢を自慢の武器とともにかなぐり捨てて、一目散に外へと逃げ出した。


 洞窟内が騒然となる中で、いつの間にか存在を忘れ去られていた少女は、思いがけずに逃げ出す期を得た。芋虫のように体をくねらせて中途半端にかけられた縄を体から剥ぎ取り始めた。

 すでにそこには少女以外、リブラと依り代人形しか残っていなかった。こうなるまであっという間だった。


「たとえ悪党でもあの人たちに恨みはないからね。逃げるなら追わない。もちろん、あなただけは別だけど。リブラ」

「ふん。逃げ出すことなどあろうはずがない。ここは私の大切な仕事場なんだ」

「悪党のくせに言うことは殊勝だね」


 リブラは骸と化した盗賊のひとりから剣を一本拝借した。


「麗しのお人形さん。これまでやったのはカンセルひとりですか?」

「今のところは。でも心配しないで。あなたをお星さまにしたあとは、残りのお仲間もすぐ後を追うことになる。私たちがみんなそうなったように。もちろん、勅命を下したエストレージャ公その人もだよ」

「まったく。国に仇なす厄災め」


 リブラは剣を構えて、人形へ飛びかかった。今でこそ剣を握らない闇市の顔役となったリブラだが、かつては血生臭い仕事を数々こなしてきた身だ。そこらの悪漢よりは剣も使える。しかし、昔取った杵柄など、研ぎ続けた復讐の刃の前には無力だった。致命を狙って人形の首元へ一閃したリブラの剣は虚しく空を切り、逆に人形の刃がリブラの首を撫でた。次の瞬間には、リブラの首は自らの足元に転がり、佇立して血飛沫を上げる首無しの自分を見上げていた。

 人形は感情の読み取れない表情でそれを眺めたあと、盗品にかかっていた布で白刃を濡らした血を拭い取った。

 剣を収めて唯一の生き残りである少女に目を向ける。少女は逃げることなくそこにいて、あろうことか剣を握っていた。


「あなたは復讐の相手でも悪漢でもない。自由の身になったんだから、さっさと逃げなよ」


 人形がそう言っても少女は逃げ出さず、刃物を持つ手を震わせながら、強い眼差しを人形に向けたままだった。


「ねぇ、さっき言ってたことは本当?」


 少女が問う。


「さっき言ってたことって?」

「エストレージャ公にも復讐するって」

「本当だよ」


 当たり前だとばかりに人形が答える。少女はかぶりを振った。


「どうして! シリオ・エストレージャ公は王国西部をまとめ上げた賢君だよ? シリオ公のおかげで内乱は終わった! その公の命を奪っていいはずがない!」


 少女の正義感に火がついている。少女は悲鳴に近い雄叫びを上げて勇気を奮い立たせ突進した。さきほど灰の詰まった小瓶が転がり出た胸部と腹部の部品の隙間を狙うくらいには、冷静さも残っている。

 だが、復讐人形の前に、少女の剣など文字通り児戯だった。ひらりと身を翻した人形は易々と少女の背後に回り、その背中に前蹴りを見舞った。少女は前方の岩壁に激突し、地面に転がった。


「私の邪魔をするなら敵と見なすよ」


 人形が剣を構えた。少女は取り落とした剣を探した。手を伸ばせば届く距離に落ちている。迷わず手を伸ばす。だが、その手が柄に触れる前に人形の足先が剣を蹴り飛ばした。剣がまるで手の届かないところへ滑って行く。見上げれば、人形の構えた切っ先が少女の鼻先に迫っていた。もうやれることはない。

 少女が灯した正義の炎は頼りなく揺らぎ、瞬く間に吹き消された。


「や、やだ……助けて……」


 人形の剣は止まったままだ。少女が上目遣いで人形の動向をうかがう。小さな肩は寒空の下の野犬のように震えている。人形はあっけなく剣を下ろし、少女に背中を向けた。

 あっけなく命が助かったことに、少女は驚いた。人形は無暗やたらに剣を振り回しているわけではないのだ。先ほど言ったとおり、復讐の対象でも悪漢でもないなら相手にするつもりはないのだ。


「あ、ま、待って!」


 少女がその背中に声をぶつける。


「今度はなに。命は助けてあげたでしょ」


 少女はわずかに逡巡するように瞳を揺らして答える。


「私、同行してた人たちがみんな死んでしまって、ここでひとりになっても帰る場所がないの。だから、あなたの旅に同行させて」


 人形は闇市の連中が残していった荷物を物色し、盗品と思しきドレスを一着引っ張り出した。


「やだ」

「こんなどこかもわからないところでひとりにしないで!」


 少女の懇願に人形が冷たい一瞥をくれる。


「知らないし」

「お願い! ひとりじゃどこにも行けない!」

「はぁ~。私の旅は復讐の旅だよ。それを間近で見ることになる」


 ドレス姿になった人形が少女に見せるのは、リブラの首だ。髪を鷲掴みにしてぶら下げられたリブラの顔は力なく口を開けて、首から血を滴らせている。少女は嗚咽を飲み込み、目を背けた。


「あ、安全なところまででいいから……」


 存外頑固な少女に、人形は再度溜息を吐いた。


「危険な目に遭っても手は貸さないよ」

「……気を付ける」


 とは言え、盗賊団に襲われてひとりきりとなってしまった年若い娘に、安全な場所などどこにもない。ならば、この戦う人形の傍らにいるほうが安全な気さえする。いくら手を貸さないと言っても、人形自身の身も危険なら対処しないはずがないのだ。


「ただし、私の邪魔だけはしないでね」


 人形が最後に念押しした。少女はうなずき、人形の後をついていった。なんとか一命は取り留めた。ただ、不穏な復讐人形としばらく旅をすることになる。


 少女は人形に目をやった。正面から戦って勝てないなら、どこかで隙を見せたときを狙うしかない。旅を共にしていれば、いつかそんな機会が訪れるに違いない。西部総督エストレージャ公の命を狙う輩を野放しにするつもりはない。命乞いは人形に同行してその凶行を止める機会を伺うためだった。少女の心で消えたかのように思われた正義感の炎は、まだ完全には消えてはいなかった。


「ねぇ。ちなみにあなたには名前があるの? 人形って呼ぶのは呼びづらいんだけど」


 少女は人形の隣に並ぼうと小走りに追いかけた。人形は少女を一瞥した。


「ティエラ。それが私の名前」

「ティエラか。いい名前ね。私はマルテ。しばらくの間よろしくね」

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