血塗られた人形劇
荒涼としたシエルボ山地を背にしてポツンとできた小さな宿場町に、一台の荷馬車が訪れた。宿場町と言ってもその規模は集落と呼んで差し支えなく、宿は二つしかない。一階に酒場のある大きな宿がひとつと、小さな宿がひとつ。町からは山地を迂回するように伸びる街道があり、行商人たちが一時の休息に使う場所として知られていた。
荷馬車が大きい方の宿の裏手に回ると、停まるや否や荷台から男がひとり降りてきた。顔のど真ん中を長い切り傷が斜めに走っていて、男がまともな類の人間でないことを物語っている。男はそこにぼうっと突っ立ったまぬけな顔の青年に声をかけた。
「荷物を軽くしたい。できれば半分」
それを聞くと、青年は裏口の扉を開けて、奥に見える階段をあごでしゃくった。階段は地下へ伸びている。男は荷馬車の方へ合図を送り、自身は階段を降りて行った。
地下は、地上の様子から推し量ることのできない広い洞窟になっていた。岩壁に煌々と照るオイルランプが等間隔にならび、地上の酒場よりも多くの人間がうろつき、各々が売買に勤しんでいる。ここは山間の洞窟を利用して作られた西部最大の闇市だった。
荷馬車から下ろされた積み荷が地下へ運びこまれる。そのほとんどは木箱と樽で、それに混じって少女がひとりだ。
「おやおや、これは随分な量ですね。酒ですか」
湿っぽい洞窟には不釣り合いの身なりのいい男がやってきて、金縁の眼鏡の奥から積まれた荷物を興味深げに眺めた。
「やぁ、リブラの旦那。ご無沙汰」
傷顔が眼鏡の男と固い握手を交わす。
「樽はおそらく酒だね。そっちの木箱はわからん。隊商を襲ったんだ」
リブラと呼ばれた男が首を傾げてコキリと鳴らす。
「なるほど、盗品ね」
リブラは、盗品を持ち込んだこの盗賊団に、積み荷を開けろと指図した。
「それでな、旦那。目玉はこっちだ」
傷顔はあごをしゃくり、荷物と一緒に引っ張ってきた少女をリブラの前に立たせた。両手を縛られ、布を噛まされている。リブラは少女に目をやるとその布を取って、他の品物を見るのと同じように、値踏みするような目でまじまじと見た。少女は気の強そうな目でリブラを見上げているものの、その体は小刻みに震えていた。
「どうだ。上物だろう? 正直、積み荷の方は適当に捌いてくれていい。この娘を高く買って欲しいんだ」
「私は物じゃありません! この縄を解いて下さい!」
この状況でこの物言い。気丈とはまさにこのことだ。歳の頃は十の半ばを過ぎたあたり。充分女として通用するが、一方まだ子供の部分が残っていて、こんな年の娘は大抵がわんわん泣くものだ。
「ただの娘さんじゃないね。いや、見栄えだけの話じゃなく。どこの子? 偉い貴族さんところの娘さんじゃないだろうね。面倒は嫌だよ」
「いやいや、隊商の中にいたんだよ。おそらく商家の娘だ。荷物をいただくとき、全員始末するつもりだったんだけど、この子は価値がありそうだと思って」
「商家の娘って言ってもさぁ、有力貴族と取引のある商人さんもいるんだよ? そこらへん理解してるんだろうねぇ」
苦笑する傷顔に小言を浴びせながら、リブラが改めて少女に目を向ける。その負けん気溢れる瞳を覗くように見る。
「ほお、綺麗な藤色の目をしてるんだねぇ」
突如リブラの顔面に少女の頭突きが飛んだ。鈍い音とともにうめき声を上げてリブラは思わず仰け反った。
「てめぇ!」
傷顔の男が少女の頬を力任せに引っ叩く。少女はたまらずよろけて倒れ込む。そこを手下の男たちが馬乗りになって抑え込んだ。
「すみません! 旦那! お怪我ありませんか!」
傷顔がへこへこと頭を下げた。リブラは純白のハンカチを口元当てて、それが血に赤く染まるのを確認してから舌打ちした。頭突きが口元に当たり、口内を切ったのだ。
「まぁまぁ、元気なのはいいことだ。そんなことより、彼女に手荒な真似はやめてよね。せっかくの商品に傷がついたら値が下がるんだから。ひとまず縄でしばっておきなさい」
リブラは少女の鑑定を後回しにして、他の積み荷の方に目をやった。開いた木箱にはビン入りの酒や値の張りそうな食器が入っている。酒は上の酒場で消費するとして、他の盗品は適当に捌く。頭の中で算数を巡らせ買い取り価格を見積もる。
「おーい、元締めーっ! こいつどうすればいいです?」
洞窟を往来する手下のひとりが脇からリブラに声をかけた。
「今、こっちの話を進めてるんだから、後にできないの?」
仕事を遮られたことに明らかな不快感を面に出しながら、リブラは手下が荷車で押している木箱の中を見やった。
「これは?」
そこには、小さく折り畳まれた状態で等身大の木製人形が詰められていた。長らく売買に携わってきたリブラの目は、ひと目でそれが他にふたつとしてない精巧な逸品であることを見抜いた。傷顔の男に目をやる。
「いや、うちが持ち込んだ荷物じゃないよ」
リブラと交代するようにして傷顔の男が人形を覗き込んだ。その瞬間、突然人形の瞼がパチリと開いた。
「いちばんぼーしーみーつけた」
傷顔の男の首が飛んだ。それはリブラの足元に転がり、頭を失くした首から噴水のように血が噴き出る。荷車を押していた手下が腰を抜かして、狂った虫のように地面を掻いた。
「何事ですか!」
瞠目したリブラが怒号を上げる。闇市に溜まっていた人間が皆一斉に武器を抜く。木箱の中に収まった人形がむくりと起き上がった。
「まさか」
リブラは思わず呟いた。そのまさかだ。下手人はその動く人形だった。その証拠に、手には血に濡れた剣が握られている。人形は大勢のならず者たちに一切目を向けず、じっとリブラを見据えていた。その宝石のような作り物の瞳がリブラの記憶を刺激した。そういえば、この人形には見覚えがある。この個体ではないが、かつてこれに似たものを見た。
「依り代人形だ」
リブラのかすれるような呟き。人形はそれを聞き取った。
「久しぶりだね。リブラ。二十年ぶりかな。探したよ」
屈託のない口調とは裏腹に、背筋に染み入るような冷たい声だった。体を貫く悪寒に身震いを禁じえない。
「まさか、本当に霧の里の依り代人形だと? ありえない」
「そう? むしろ、それ以外にありえなくない?」
「死者の魂に依り代として具体を与える人形。確かに精巧に動く人形といったら霧の里の依り代人形しか考えられないけども」
リブラは首を捻る。
「しかし、霧の里は二十年も前に焼けたはず」
「よく覚えてるね。まぁ、自分で焼いたんだから当たり前か。でもね、奇跡的に一体焼け残ったんだよ。それが、じゃじゃーん、私」
リブラはかぶりを振った。
「だとしても依り代人形は魂を降霊しなければ動かないはず。一体、誰が降霊術を施したと言うの。肝心の術師がいないでしょう」
「たしかに。あなたたちが里の人々の命をすべて奪ったもんね」
依り代人形がうっすらと笑う。
「でも、考えてみてほしい。亡くなった人間の魂を人形に宿せるなら、死に行く自分の魂だって宿せるはずじゃない?」
凍り付くような微笑みにリブラもひきつった笑みを返す。
「まさか、そうやって死んでなお魂だけで人形に宿ったと?」
依り代人形の無言は肯定を意味していた。依り代人形がふわりと飛んで箱から出た。
「さて、二十年前、効率的に里を焼くための作戦を立案したのはあなただってね。リブラ」
「ほう。そんなことまでよくご存じですね」
「カンセルに教えてもらったよ」
リブラは眉を寄せた。それはリブラにとってかつての仲間の名前だ。
「そのカンセルは?」
リブラの喉仏が緊張で上下する。
依り代人形が左手をみぞおちのあたりへ持って行く。すると、胸部の部品の合わせ目がパクリと開き、中から透明の小瓶が手の平の上に転がり落ちた。中には黒ずんだ粉が入っている。依り代人形がその瓶をリブラに見せつけた。
「カンセルはもう、お星さまになったよ」
すでに亡き者となったカンセルは、焼かれて遺灰となっているのだ。依り代人形はリブラの驚いた表情を満足げに堪能したあと、小瓶を体内にしまい、ゆっくりと剣を水平に持ち上げた。
「次はあなたが夜空に輝こう」
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